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<テーマ012>自傷行為の傾向

<テーマ12> 自傷行為の傾向 

 

(12-1)ある女性バーテンダーの思い出 

(12-2)自分と同じ人を求めてしまう 

(12-3)自分と同じ人がいると知って安心する 

(12-4)自傷の否認 

(12-5)本項の要点 

 

(12-1)ある女性バーテンダーの思い出 

 ある時、私は実家の地元のバーでお酒を飲んでいました。そこには女性バーテンダーがいて、彼女がお酒を作ってくれるのですが、シェーカーを振る時に彼女の手首に何かが見えたのです。最初は何か飾りのようなものをつけているのか、何か巻いているのかなと思いました。でも、目を凝らしてよく見てみると、それは無数の切り傷だったのです。 

 私はそれとなく彼女を呼んで、「ちょっと見せて」と、あたかも手相でも見ようというような感じで、頼んでみました。彼女はなんのためらいもなく、その手首を差し出してきました。 

 そうして間近で見ることができたのですが、そこにあるものはすべて明らかに刃物で切りつけた傷でした。それも一つや二つではありませんでした。いくつもの切り傷が並んでいたのです。 

「よくこういうことをするの?」と私は尋ねてみました。彼女は「昔はしていたけれど、今はしていない」と、慣れた感じで答えました。きっと、こういう質問を彼女は繰り返し体験していたのでしょう。 

「昔は(リストカット)をしていたけれど、今はしていない」というのは、恐らく嘘なのでしょう。周囲に心配をかけないための「リップサービス」か、あるいは、関わってほしくないのでそう言っているのだろうと、私には思われました。 

 彼女の手首にある傷は、何週間とか何か月、あるいは何年も前につけられたものではありませんでした。私のような素人が見てもそのことは一目瞭然だったのです。その傷はどれもそれほど古いものではありませんでした。比較的最近のものなのです。仮に、「今はしていない」ということが事実だったとしても、つい最近までそれをしていたということは間違いなく言えそうなのです。 

 その時、私はどういうわけか、私の名刺を彼女に渡して、私がカウンセラーであるということを彼女に伝えました。そして、苦しくなったら連絡してと、彼女に頼んだのです。普段、お酒を飲みに行くときは、そのような「営業活動」は一切しないことにしているのですが、その時は、何となくですが、彼女のことがとても気がかりになっていたのでした。 

 名刺を受取った彼女は、いささか迷惑そうな、困ったような顔をしたように思いました。彼女は「わたしの友人に同じようなことをしている人がいるから、その人に(あなたのことを)教えてあげる」と言いました。名刺を受取った以上、私の気分を害さないようにしたのかもしれませんが、これも彼女の「リップサービス」だったのでしょう。 

 そのことがあってからしばらくして、私は再びそのバーを訪れました。彼女は私のことを覚えていました。彼女の方から前回約束したことを持ち出してきました。「名刺は友人に渡したけれど、その人も今は落ち着いているので必要ないと言っていた」と彼女は話しました。 

 それならそれで、私もそれ以上、深く入り込まないようにして、それ以後は手首の件には一切触れず、彼女と普通に会話をして過ごしました。 

 その後、数回、私はそのバーに飲みに行ってます。ある時、彼女はバーが終わったら一緒に飲みに行こうと私を誘いました。私は承諾して、一緒に飲みに行きます。彼女がよく行くという店に行きます。彼女は普通にお喋りをするだけでした。私はその話し相手です。手首の傷の話なんて微塵も出てきません。 

 その晩、私と彼女はタクシーで一緒に帰りました。そのタクシーの中で、彼女はにゅっと私の前に傷だらけの手首を差し出してきたのです。私はいささか驚きました。最初の時以来、この傷のことは一切話題にしなかったし、触れずにいただけに、私は意外な感じがしたのです。私は彼女の手を取って、傷がいっぱいついた手首を撫でたのです。「こういうことしなくてもいいようになれるよ」というようなことを囁きながら、撫でてあげたのです。 

 あれから数年経っています。彼女はそのバーの店長だったのでしたが、そのバーも今は閉店して、彼女がどうしているのか、私は知らないのです。そして、あのタクシーの中で、手首を私に差し出して、彼女はどうして欲しかったのだろうと、私は今でもその情景を思い出すたびに考えるのです。 

 

(12-2)自分と同じ人を求めてしまう 

 自傷行為を繰り返す人というのは、なかなか自分から進んで医者やカウンセラーを訪れないという印象が私にはあります。 

 私がお会いしたことのある「自傷行為者」は、最初は何か別の問題でカウンセリングを受けに来ているのです。そして、何回も面接を重ねた後で、初めてそういうことを自分はしていると打ち明けてくれるのです。そのような例をいくつか私は体験しています。 

 それに、彼らはカウンセラーや医師に相談するよりも、同じような体験をしている人たち、同じような行為をしてしまうという人たちと交わろうとする傾向が強いように私は思います。もちろん、これは私の個人的な印象でありますし、自傷行為をしてしまう人の皆が皆そうであると断言できるものではありませんが、自傷行為をしてしまう人は、同じように自傷行為をしてしまうという人に対してしか自分の内的な事柄を語ろうとしない傾向があるように思うのです。先述の女性バーテンダーと彼女の友人のように、自傷行為でつながる関係を築き、そういう関係を求める傾向が強いように私には思われるのです。 

 もし、彼らが自分と同じようなことをしてしまうという人たちとつながる傾向が強いのだとすれば、それはどのようなことを表しているのでしょうか。リストカットという同一の行為であれ、その背景は一人一人でことなるでしょうから、一般化して述べることは難しいことだと思います。 

でも、そうして同じ人と交わろうとするということは、それだけ自己を確認しなくてはいられないということなのでしょう。自分自身が十分に確立されていないので、そういう補助自我となる存在を求めてしまうのかもしれません。そうだとすれば、彼らは自分自身をかなり希薄な存在として体験されているのではないかと私は思うのです。そして、自己が希薄だということは、それは自分が存在しているのかしていないのか、とても曖昧に感じられているのではないかと思うのです。 

実際、一部の人たちはそういう解離的な状態で自傷行為をしてしまうようであります。痛みを感じたり、血を流したりすることは、自分が生きているということを確認することにもつながることでしょう。そうして自分自身、あるいは自分が生きて存在しているということを、それだけ確認する必要がある人たちなのではないかと私は捉えております。 

 

(12-3)自分と同じ人がいると知って安心する 

 自分の髪の毛を引き抜くことが止められないと訴える女性がありました。電話をかけてきて、私に問い合わせをしてきた女性でした。 

 髪の毛を引き抜くという行為は立派な自傷行為の一つなのです。身体のどの部位を攻撃するかということは、その人それぞれ背景があるものです。この女性は手首を切るのではなく、髪の毛を引き抜いているわけですが、それはこの女性にとって髪の毛が特別な意味を有しているからだと言えるのです。 

 その時、その女性は「わたしのような人が他にいますか?」と尋ねられたのでした。髪の毛を抜くという行為はけっこう頻繁に見られるものであり、それに対して独立した診断名さえあるくらいなのです。私はそのことを彼女に伝えました。つまり、それだけあなたと同じようなことをしてしまう人がいるのだということを伝えたのでした。 

 もっとも、彼女のこの質問は、私がそういう症状の人を扱ったことがあるかという意味だった可能性の方が高いのですが、それでも、彼女は自分と同じような症状を抱えている人が多くいて、尚且つ、それだけ頻繁に見られる現象であるということを知った瞬間、どこか安心したような節が私には感じられました。自分と同じような人が他にたくさんいるのだということを知って、それで安心してしまって、そこから先の行為、つまり援助を受けるといった行為にはつながらなかったのでした。 

 自分と同じような行為をしてしまう人がいるという事実を知るだけで安心するというのは、「自傷行為者」のある種の傾向の一つであるように私は思います。リストカットの人たちのサークルのようなものまであるというのを私は聞いたことがありますが、いかにも彼ららしいと感じます。ラカンの言う「鏡像段階」に留まっているとか、コフートの言う「鏡転移」を起こしているとかいう感じを私は受けるのです。 

 そこには「自分たちと同じでない人には分かってもらえない」というような、どこか閉鎖的な傾向、他者不信の傾向をも私は感じるのです。だからこそ、自分たちと「同じでない」人から理解されるという体験が彼らには必要なのではないかと、私は考えているので 

す。 

 

(12-4)自傷の否認 

 また、自傷行為をする人は、自分がそういう行為をしているということを秘密にしている人もありますし、自傷の痕跡を隠そうとする人もあるのですが、先述の女性バーテンダーのように、それを隠さない人も少なからずおられるようです。 

 しかし、自傷の痕跡は隠さなくても、「今はしていない」とか「今は落ち着いている」と述べることで、自傷行為を否認しようとする傾向もあるように私は思うのです。つまり、傷痕は隠さないけれど、行為は否認しようとしているわけであります。はっきりとした痕跡があるので、否認しても通用しないのですが、そうせざるを得ない何かがあるのかもしれません。 

 痕跡を隠そうと、あるいはそれは隠さずに行為の方を否認しようと、どちらも本質的には同じことを伝えているのではないかと私は考えます。隠すにしろ、否認するにしろ、そこにはそのことで他人に干渉されたくないという思いがあるのではないかと思います。周囲の他者からそのことで干渉されるということは、彼らには何か脅威と感じられるものがあるのかもしれません。 

 従って、彼らは他者から心配されるということに耐えられない人たちなのかもしれないとも私は思うのです。 

 でも、本当にそれは正しいだろうかと、私は今ではそう思うのです。あの女性バーテンダーは最初はそのことに関わって来てほしくなかったのです。だから私はそれには触れないようにしてきました。でも、そうしてそこには触れずにいると、タクシーの中でそこを差し出してくるのです。やはりどこか心配して欲しいという気持ちがあるのではないかと思うのです。 

 そこには触れて欲しくないし、関わって来て欲しくない、でも、まるっきり触れてもらえないというのもどこか耐えがたいのかもしれません。そこに彼らの葛藤があるのでしょう。不必要に関わって来て欲しくはないけれど、まったく見てもらえないということにも耐えられないのではないかと、そのように私には思われるのです。 

 だから、彼らは同じような行為をする仲間どうしで結ばれる一方で、自分たちと同じではない人たちからも触れて欲しいという気持ちがあるのではないかと、私は思うようになったのです。 

 

(12-5)本項の要点 

 本項では、自傷行為をしてしまうという人の傾向について、私が捉えているところを述べてきました。 

 彼らはあまり自ら進んで医師やカウンセラーを訪れることがないように思います。その代り、同じような行為をしてしまうという人同士で集まる傾向が強いようであること、また、自分と同じような人がいるということだけで安心する傾向があるように思います。 

 それはそれだけ自分を確認する必要があるからなのでしょう。従って、自分自身をとても希薄な存在として体験しているのではないかと思います。 

 自傷の傷痕を隠す人もあれば、隠さずに行為の方を否認する人もあります。それは他人に干渉されたくない気持ちの表れではないかと思います。他人の干渉に脅威を覚えるのかもしれませんが、でも、一方で関わって欲しいという願望もあるだろうということで、そこに彼らの体験している葛藤があるのだろうと思われるのです。 

 本項では以上の点を述べてきました。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー