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<テーマ062>カウンセリング環境へ適応すること

<テーマ62> カウンセリング環境へ適応すること  

 

 私が所属していた陸上部に新しい顧問が来ました。私が中学二年生の時です。以前の顧問は転勤したのでした。以前の顧問は「陸上は意外と危険なものであり、砲丸や円盤を投げ、その脇を走ったりする。他の部活ともグラウンドを共有しているために衝突が起きたりもする。だからちゃんと見てくれる顧問の下で練習していってほしい」と、最後の練習の日に、私たちに伝えたのでした。 

 新しい顧問は、確かテニス部と掛け持ちだったと記憶しています。その顧問はテニス部には顔を出すのに、陸上部には一切姿を現しませんでした。私たちは彼の所に行って、その日の練習メニューを貰うのです。あとは自主トレ状態で、中学生の私たちが自分たちで練習するのであります。監督してくれる人もなしにです。私は当然新しい顧問と陸上部に反感を覚えました。そして、前の顧問の言葉を裏切ってしまっているようにも私は感じていました。私が練習をサボるのも、その反感をアピールするためでした。いわゆるデモやストライキを個人的にしていたのであります。他の部員たちはそれでも練習に励んでいました。 

 当時の私は自分が筋の通ったことをしていると感じていました。大人になって分かったことは、実は何一つ筋の通ったことはしておらず、ただ不適応を起こしていただけなのだということであります。もし、陸上部に反感を覚えているのであるならば、私は退部すれば良かったのであります。その方がよほど筋が通っているのであります。以前の陸上部に戻すことを望んでいた私は、新しい環境に馴染めなかっただけなのであります。そして他の部員たちの方が新しい環境に速やかに適応していたのでした。 

 

 私のこの体験を持ち出したのは、私が新しい顧問と陸上部に馴染んで適応する代わりに、批判し攻撃ばかりしていたということ、そしてそれが間違った行為であり不適応であったということを伝えたいためなのです。私は次のどちらかをその時に選択しなければならなかったのだと今では思います。一つは陸上部に所属する代わりに、新しい顧問に適応すること。もう一つは退部する代わりに、いかなる批判もしないこと。それは退部した以上、陸上部に対して物を言う権利や自由は私にはないからであります。所属していながら、文句だけ言う自由は私にはなかったのであります。 

 このことは、ネットの掲示板で書き込む人たちに対しても同じようなものだと私は考えております。彼らはそのカウンセラーとは縁が切れた以上、批判する自由はないのであります。なぜなら、そのカウンセラーはもはや「書き手」には無関係であるからであります。「書き手」のことも後で述べるかもしれませんが、もう少し「適応」ということを見ていきましょう。 

 

 次のような例は適応していると言えるのかどうかを考えてみて欲しいのです。 

 ある女子高校生がコンビニでお菓子の袋を開けて、勝手に食べ始めました。会計はまだ済んでいません。店員が注意すると、「お金はちゃんと払うから」と言います。そして、空になった菓子袋をレジに持って行ってお金を払います。この高校生は「ちゃんとお金払っているのになんで注意されないといけないの」と、注意した店員に怒りを露わにします。 

 さて、この高校生はその場に適応していたのでしょうか。決してそんなことはありません。不適応を起こしていたということは一目瞭然であります。お金と商品を引き換えて、その時点で商品は客のものになるのであります。客の物になるまでは、お店の品物であります。これは自明のことであります。お金を払うから一緒だという理屈はここでは通用しないのであります。また、店内で勝手に袋を開けて食べるということも禁止されている行為であります。なぜそうなのかと言えば、それは店のルールがあるからだとでも言えばここでは十分でしょう。つまり、その場その場で従うべきルールがあり、私たちはそれに従うことがその場では求められているということであります。そういう意味で、常に、私たちは適応を求められている存在であると言っても構わないかと思います。 

 「適応」ということは、ものすごく単純に考えれば、その場において、その場に相応しい行為を選択するということであります。ルールやマナーを守るということは「適応」の一つの形であります。さらに、それが強制的に課せられているから従っているというのではなくて、それが自然に無理なくできるということも「適応」の要件だと私は考えます。規範が内在化されているということは「適応」のための条件であると思います。また、自分自身や周囲との折り合いをつけていくということも「適応」の一つであります。この場合、周囲と折り合いをつけながらも、自分自身を喪失してしまわないということが肝心なことであります。抽象的な表現になるかと思いますが、「適応」とはその場その場においてその人のパーソナリティが適切に機能することであると、私は考えております。 

 また、どれだけ「適応」に優れた人であっても、時には「適応」に失敗するということもあります。私自身はそれほど「適応力」に優れているとは思いませんが、足の怪我で病院に行った時に、医師から怒鳴られたというエピソードをどこかで述べたかもしれません。時にはそういう失敗をしてしまうこともあるかと思います。 

 さらに、「適応」ということには、その場においてという意味だけでなく、他者に対しての「適応」というものがあると私は捉えております。冒頭で示した私の中学時代の体験は、私が新しい顧問に対しても「適応」しなければならなかったということであります。 

 

 さて、カウンセリングに訪れるクライアントは、その場や対応してくれるカウンセラーに「適応」するということがどうしても求められてしまうのであります。私のカウンセリングを受けにくる場合、私の面接室に適応し、私という人間に適応しなければならなくなります。同じことは私の側にも言えることであります。私もまたそのクライアントに適応することが求められているのであります。ただ、この場合の適応に関しては、クライアントの方が私よりも若干負担が大きいだろうとは思っております。 

 クライアントによっては、こうした「適応」に困難を覚える方も少なくありません。自分が、いわば「不適応」を起こしていたのに、そこは省みずに、カウンセラーをネット上で批判しているようなケースも少なからずあるだろうと私は捉えております。 

 臨床の場に「適応」するということがどういうことなのかを示す例があります。それを以下に引用します。 

 「『非常に若いときに』と自発的に入院したある患者は私に言った。『病院生活とはどういうものかすっかりわかりました。そこでは他の人たちに耐えなければならないということです。なぜなら他の人たちも私に耐えようとしているのですから』」(『反―精神医学と精神分析』モード・マノーニ著 松本雅彦訳 人文書院 p22より) 

 私はこの患者さんの言葉が大好きであります。この人は病院という所が、治療の場というものが、どういう所かが分かったと言います。彼は詳細を語りませんが、そこは自分が独り自由に閉じこもる安全な空間もなく、常に人の目に晒され、自分の領域や世界に無遠慮に踏み込まれてしまう場であることを彼は認識しているように思います。彼はそのような苦痛に満ちた場に自ら飛び込もうとされているのであります。つまり、その場に「適応」しようとされているのではないでしょうか。相当な覚悟をされたのではないかと察します。そして、ここには諦めの感情だけでなく、より積極的な姿勢を見る思いがします。彼の積極的な信念を支えているのは、自分もまた誰かの領域に踏み込み、邪魔をし、耐え難い思いをさせてしまっているだろうということ、彼らもまたそのような自分に対して耐えているのだという洞察であると私は思います。 

 この患者さんがその後どうなったかといったことは同書では述べられていませんが、私はきっと上手く行っただろうと推測します。なぜなら、ここまで治療に協力的になっている患者さんの治療は成功する確率が高くなるからであります。何よりも、この患者さんが治療状況に適応しようとしている姿に、私は感動するのであります。 

 

 クライアントがカウンセリングを受ける時、そのカウンセリングの場に、そしてそのカウンセラーに「適応」していくことが求められるのであります。それはクライアントにとっては一つの試練であり、その後、繰り返し試されることになる試練であると私は思います。クライアントはそれをしなければならないのであります。 

 カウンセラー側にも同じことは言えるのであります。私自身を振り返っても、「適応」に失敗したクライアントを何人か思い浮かべることができます。それは私にも課せられた試練であります。しかし、この試練は、やはり「適応」の場合と同様、クライアントの方がはるかに負担が大きいものであり、それにとても耐えられないクライアントもおられるのであります。しかし、「適応困難」とか「不適応」という言葉で片付けてしまうことよりも、たとえ少しずつであってもいいので、クライアントがそれを達成していけるようになっていくということがとても大事なことであります。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー