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<テーマ065>料金に対する葛藤

<テーマ65> 料金に対する葛藤 

 

 私の個人的な見解ですが、ある人のお金に対する態度を調べれば、その人のことがかなり理解されてくるだろうと思います。何にどれくらい、どのようにお金を使うかということは、かなりその人を表すのではないかと思います。お金とは極めて人格的なアイテムであると思います。 

 クライアントは少なからず料金に関して、お金に関して何らかの葛藤を経験するものであると思います。以下に示すのは、実際にクライアントがお金に関して語ったことであります。それに対して、私なりの見解を述べていくことにします。 

 

 あるクライアントはカウンセリングを受けたいと真剣に望んでいるけれど、支払うだけの余裕がないと訴えました。私はその人の生活事情も考慮して、割り引いて受けてもらったのでした。その人は精神科医にもお世話になっていたのですが、そこでも同じことをしていたのでした。ある時、料金のことが話題になったので、私はその方に「どうして臨床家は安くなければならないのですか」と尋ねました。その方は言葉に詰まりました。そして「もういいです」と言って、去って行きました。 

 また、あるクライアントは「保険が使えたらいいのに、どうしてダメなのですか」と尋ねます。医療機関ではないので、医療保険は適用できないだけであります。しかし、保険が使えたからと言って、料金が安くなるとは限らないということだけは申し上げておかなければなりません。現行では三割の負担なので、その人の支払いは6000円より下回るかもしれませんが、国全体が医療費を余計に徴収しなければならなくなるとしたら、同じことであります。 

 この二人の方は、カウンセリングや「心の問題」に対してのある種の反応を示しているのであります。それは料金を懲罰のように捉えているということであります。料金を払うよりも、むしろ罰金を払う感覚に近かったのではないかと私は察します。 

 

 これは私自身の事例ではないのですが、私はとても好きなので、少し述べたいと思います。あるクライアントは規定よりも少ない額だけを支払っていました。臨床家はいつも「かわいそうな人」と、その人を哀れむ気持ちに襲われていたのでした。ある時、臨床家はクライアントと対決しました。そのクライアントに対して「あなたはそれだけの料金で引き受けてくれるカウンセラーを探すことができる」と伝えたのであります。 

 私はこの臨床家の態度は立派だったと思います。私には真似ができないかもしれません。この臨床家は決してクライアントを突き放したのではないのであります。ただ、クライアントを子供扱いすることを改めたのであります。事実、この後、クライアントはより収入のいい仕事に転職し、既定の料金を支払うようになっていったと述べています。哀れな慈悲を乞う子供のポジションから、一人の大人としてのポジションに臨床家はクライアントを引き上げたことになるのであります。従って、この例においては、臨床家とクライアントの関係も変わってきたはずであります。臨床家もクライアントもどちらも一人の人間としての正当な権利を持った存在として会うことができるようになっていったのだと、私は捉えております。 

 

 また、このような例も聞いたことがあります。それは男性のクライアントだったそうですが、その人はカウンセラーの前に札束を積んで、ふんぞり返って、「この金で俺の問題を何とかしろ」と迫ったのだそうです。その臨床家は賢明にも、このクライアントを断りました。この臨床家が断ったのは、このクライアントの要求ではなく、クライアントが自分を放棄しようとする態度を拒否したのであります。私にはそのように思えます。 

 

 次に示すのは、私がクリニックに在籍していた頃に経験したものであります。その人はカウンセリングを受けたいと望まれましたが、その際に、「効果があればお金を払う」という要求を出してきたのであります。彼の言い分では、「お金を払わないとは言っていない。効果があれば払うのだ」ということであり、「効果がなければ払わない」ということを暗に示していたのであります。 

 彼は自分では正当な取引をしているつもりだったかもしれませんが、それは疑問であります。もし、彼を引き受けた場合、起こり得る結果は次の四点のどれかになるはずです。まず、(1)カウンセリングを受けて、効果があって、それまでの面接料を彼が支払う、があります。そして、(2)カウンセリングを受けたけれど、効果がなかったので、彼は面接料を支払わないです。この両者は彼が要求していることと一致しています。次に、(3)カウンセリングを受けて、効果があったけれど、効果がなかったと言って、これまでの面接料を踏み倒すという可能性があります。これは彼にはもっとも有益な結果であり、私たちからすれば、大損の結果であります。最後に、(4)カウンセリングを受けて、効果がなかったけれども、彼はこれまでの面接料を支払うということであります。私は個人的には、この(4)の結果になることが、彼にとってもっとも望ましいものであると考えています。しかし、彼はこの結果になることを一番に恐れていたのであり、最も避けたいと願っている結果なのであります。端的に申せば、この男性はいかなるリスクをも支払うことを避けたいのであります。リスクを背負うだけのものがこの人には育っていなかったのだと思います。 

 

 同じく、クリニック時代にもっともよく耳にしたのが「料金が高い」という苦情でした。この苦情に対しては、私は何とも返答しようがありませんでした。なぜなら、この言葉は「お宅のところは料金が高い」ということを言っているのであって、つまり私たちの側のことを伝えているだけなのであります。「料金が高い」からどうなのかということをこの人たちは決して述べないのであります。何一つ要求するでもなく、主張するでもなく、何かをこちらに察しさせようという感じなのであります。当然、それは通用しません。 

 

 いくつか例を挙げてきましたが、こうした例は他にも挙げることができます。肝心な点は、料金のことを通して、このクライアントたちが何をしているかということであります。端的に申せば、それらは臨床家への不信を表明し、抵抗を示しているのであります。それだけではなく、その人の抱えている問題の一端が、料金を通して顕在化しているのでもあります。つまり、臨床家や機関の設定する料金が問題なのではなく、その人の抱える問題が料金に関わって出てきているのであります。その人の問題が料金を通して表に現れているわけであります。 

 もう少し正確に述べるなら、こういうことであります。料金はクライアントにとって常に葛藤の種になるのであります。葛藤に対してその人がどのような振る舞いをするかということが、面接料を仲介にして出てきているわけなのであります。上記の人たちは、その人それぞれの葛藤対処の仕方を如実に示してもいるわけなのであります。そして、自分の葛藤を自分で処理していく代わりに、あるいは、自分の葛藤に折り合いをつけていく代わりに、臨床家や機関を自分の都合に合わせて動かそうとしていることになるわけであります。そうすることで自分の葛藤を処理しようとしているのであります。このような対処の仕方が、その人の抱える問題の在り方を如実に示しているものと私には思われるのであります。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー