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<テーマ073>「強制的クライアント」の一例

<テーマ73> 「強制的クライアント」の一例  

 

本項では「強制的クライアント」の一例を掲げて、このようなタイプのクライアントにおいて、どういうことが問題となってくるかを示したいと思います。 

 

 クライアントは男性でした。彼は自発的に訪れたのではありませんでした。その旨は予約を取る際にもはっきりと申されました。「送り主」は彼の会社の上司であります。 

上司の「命令」でカウンセリングを受けることになったと彼が言う時、私はまず彼と上司との間で何が起きているのかが疑問に浮かびました。つまり、その「問題」はクライアントである彼に生じているのか、「送り主」である上司において生じているのかが不明瞭でありますし、双方の抱えている「問題」が、二人の間において顕在化しているという可能性もあります。従って、このような例では、「誰の」「何が」「誰にとって」「どのように」問題であるのかがまったく分からないのであります。このような曖昧さは「強制的クライアント」には常について回っているように感じられるのであります。 

私は彼のカウンセリングを断ることもできました。しかし、私が断ったとしても、彼に与えられる上司の圧力は変わらないでしょうし、余計に彼を苦しめることになるかもしれないと思いました。取りあえず、私を頼って来てくれるからにはお会いしようと決めたのであります。 

 

 彼は予約した日時にきちんと現れました。詳細を述べることは彼のプライバシーにも関わってくるので、大雑把に説明します。 

 彼の仕事ぶりは、上司から見ると芳しくないものでありました。上司からすると、なぜ彼が頑張れないのか、それは彼に問題があるからだと見做されていました。上司は「カウンセリングを受けてこい」と彼に命じたのであります。そして「カウンセラーの診断書を貰って来い」とも彼は言われていたのでした。 

 一方、彼の方からすると、確かに仕事の成績が落ちているのは確かだけど、それは理不尽で一方的な上司に振り回されてしまっているからだということなのであります。彼の話をそのまま信用して私は聴いていくのでありますが、私から見ても、その上司の言動は理不尽に思われてくるのでした。上司の理不尽というよりも、戦前の軍隊のような精神主義で会社全体が動いているという印象を受けました。 

「役立たず」(と上司は見做している)の彼は、他の支店へ異動することが既に決まっていました。彼としては、むしろ、この新天地でやり直したいくらいの気持ちでありました。 

 このような背景があったわけであります。 

 

 面接において、私は、それがクライアントの「問題」でもあるわけですが、むしろ上司の側が抱えている「問題」(またはその会社集団で抱えている「問題」)として、状況を再定義していきました。これは少しでも彼の感じている苦痛を軽減するためでもありましたし、実際、この状況は彼個人の「問題」として定義するのは相応しくないのでありました。 

 一方で、私のそのような働きかけは彼をして落ち着かなくさせてしまっているようにも感じられました。自分だけの「問題」ではないということが分かるということは、彼に安心感をもたらすと同時に不安感も募らせていったようであります。この不安感は、「これをどう上司に説明しよう」というものではなかったかと思います。実際、彼は「上司になんて言えばいいんでしょう」と度々私に尋ねるのであります。自責感情薄らいでいくに従って、上司からの叱責を恐れるようになったわけであります。 

 こういうことはあまりしないのでありますが、私は彼に「上司にはこのように言うといいですよ」と、いくつか提案したのであります。それは無難な説明であり、特定の誰かを「問題」として捉えないというものでありました。もちろん、このようなことは、上司にカウンセリングのことを報告しなければならない彼の義務(そんなことする必要などないのですが)があり、そうしなければ彼の立場が苦しくなりそうだということを考慮した上で、特別にそういうことをしたわけであります。しかし、その説明は彼としても納得できるものでありましたが、彼はそれが言えるだろうか心配だと語りました。 

 彼はこの上司を異常なほど恐れていました。それも理解できないことではありませんでした。常識的な物言いが通用する上司とは思えないことでは私も同感でした。彼の体験している恐れというものが、その原型は彼と父親との関係に在ると考えることは可能でありますが、その可能性の方をここで追及してしまうと、この回のカウンセリングは意味をなさなくなってしまうでしょう。と言うのは、ここではまず彼の安全を確保するということを優先すべきであると私は判断したからであります。この上司から彼を守らなければ、そうした分析的な作業は不可能なことであり、無益なことなのであります。上司への恐れをまずは和らげること、それが最初の目標だったのであります。 

 

 しかしながら、「上司になんて言えばいいのだろう」という心配に話題の焦点が移ってから、このカウンセリングは誰のものなのか不明確になっていきました。もともとそれが不明確なまま始められたカウンセリングであるので、その不明確感が顕在化しただけではありますが、彼にとってもそれは混乱をきたすものであったかもしれません。 

 つまり、このカウンセリングは彼のためであるはずなのですが、そこには常に上司の影がちらついているのであります。常に上司のためのカウンセリングという感覚が、私たちを支配していたように感じられました。従って、彼にとって第一の目的は、上司が納得してくれるような答え、上司が満足してくれるようなものを持って帰るということになってしまっていたのでした。そして、そのためにはそれに見合うだけのものを私から引き出さなければならないということなのであります。 

 私はこのカウンセリングは彼のためのものであり、上司のためにしているのではないということを何回か示しました。上司を喜ばせることは、彼にとっては大事なことかもしれませんが、私にとってはその上司のことなどどうでもいいのであります。しかしながら、私には一種のジレンマのようなものがあったのも確かです。彼の立場を擁護するためには、彼の求むものを与えた方がいいだろう、しかし、それをすると、私は彼の側にではなく、上司の側に立ってしまうことになるというジレンマでした。もし、私が彼の求む通りのことを診断書に書いたとすれば、その上司は「見ろ、やっぱりお前の方に問題があったのだ」と言って、彼を責めるであろうことは目に見えていました。上司にとって、「問題」は彼の方になければならないのでした。その証明としてカウンセラーの診断を求めているとしか思えないのであります。彼はその自分を責めるための材料を貰って来いと脅しをかけられているようなものなのであります。彼もまたジレンマに追い込まれていたのであります。 

 

 私は診断書は書かないと彼に明言しました。彼は書いて欲しがっていました。もちろん、診断書や報告書の類を書くことを私が拒んでいるのではありません。ただ、そうした診断書が上司によってどのように使用されるのかということが不明であるために、私は断ったのであります。先述したように、彼には異動が決まっていました。彼の処置が既に決定しているのに、なぜ診断書が必要なのか私には分かりませんでした。それを彼に尋ねますと、上司はその診断書を異動先の支店に送って、彼の処遇を検討してもらうのだという話を彼はしました。これは明らかに、順序が逆なのであります。通常、医師や専門家の診断書、報告書が先にあって、それに基づいて、その人の処遇が決定されるものではないでしょうか。ところが、彼の場合、診断書や専門家の意見抜きで処遇の方が先に決まっており、上司は自分たちでそのような処遇を決定しておきながら、さらに彼に診断書を貰って来いと要求しているのであります。明らかにおかしいと私は感じていました。異動先の上司が診断書を求めてくるというのでしたら、まだ話は分かるのであります。彼は去ることが決まっているのに、去っていく部下の診断書を上司が求めているのであります。上司は理不尽だと彼は語るのですが、上司のこうした言動を見ると、確かに彼の方がまともなことを言っていて、上司の方が理不尽に見えるのであります。 

 最終的に、診断書は意味がないと、私は判断しました。その診断書は彼のために役立てられることなく、上司が自分の正当性を証明するために用いられるか、あるいは、いわば上司の「覗き見趣味」を満足させるものでしかないであろうと思われたのであります。ですから、私はあくまでも書かないと彼に主張しました。 

 私の主張は彼をかなり困らせたようであります。彼は繰り返し診断書を書いて欲しいと望みました。診断書を必要としているのは上司であります。上司が直々に私に要求するのであれば、私は応じるつもりではおりました。だから会社に戻ったら、上司に直接私に要求するようにしてくださいと彼に伝えました(もっとも、上司が直々に要求してきたとしても、やはり私は書かないと答えていたでしょうけれど)。 

 彼の「問題」は、そこまで上司の言いなりになってはいけないということだと私は捉えていました。彼はあまりにも上司を恐れ、上司に従順すぎるのであります。私が診断書を書けば、少なくともその場は丸く収まるでしょう。しかし、上司はその診断書を用いて、自分が正しくて彼が間違っているという主張を繰り返すでしょう。もし、私の診断書が上司の意に沿わないものであれば、「あのカウンセラーがダメだった」という話に上司は持っていくことでしょう。そして今度は精神科医の診断書を貰って来いと彼に求めるかもしれません。同じことを繰り返すだけであろうということが、私には目に見えるようでした。 

 

 この事例に関してはまだまだ伝えたいことや学ぶべき事柄がたくさんあるのですが、あまりに長文になってしまうので、この辺りで切り上げることにします。 

 この事例において明らかなように、「強制的クライアント」では常に「そこに存在しない 

第三者」が存在してしまうのであります。その第三者とは「送り主」のことであります。この「送り主」の存在のために、クライアントは自身を経験することができないのであります。クライアントには「送り主」の存在が常に意識され、「送り主」の目が光っていたのだろうと思います。それは面接の間を通してずっとそうだったのだと、彼の面接においても感じられたことであります。 

 彼がカウンセリングを受けたのは、上司の命令であり、カウンセラーから診断書を貰うということがその目的でした。しかし、診断書を必要としたのは上司であり、その目的は上司の目的だったはずであります。彼はそれにあまりに従順に従っていたのでしたが、彼自身の目的は常に背後に隠されてしまっていました。背後に隠されていた彼自身の目的というのは、「はたして、自分がそんなに悪いのだろうか」というものだったと思います。この面接において、私が焦点を当てようとしたのはその部分でありました。面接の初めのうちは、それが表に出はじめると彼は必ず上司を引っ張り出して、私の焦点当てを無効にしてしまうのであります。常に上司の目的の方を優先しなければいられなかったのであります。面接の後半にいたって、この傾向が若干緩んだのであります。それだけでも、この回の面接は彼にとって意義があったのではないかと私は捉えております。 

 

 この事例においても顕著だったのですが、「強制的クライアント」は「送り主」の目的を優先してしまう傾向があるのです。「強制的クライアント」がカウンセリングを受けるのは、「送り主」の顔を立てるためであり、そうすることで「送り主」との関係を穏やかなものにしておきたいという気持ちが少なからずあるように私は思います。「強制的クライアント」が「送り主」から自由になることが肝心であり、それは彼が「自発的クライアント」となていくことであると、私は捉えております。それはつまり、「送り主」のために受けるのではなく、自分自身のために受けるということに変わっていくことなのであります。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー