大阪府高槻市のカウンセリングセンターでうつ病のご相談

大阪府高槻市の心理カウンセリング

お気軽にお電話ください TEL:072-673-8180 営業時間:10時~20時 休診日:火曜日

うつ病、ストレスをお感じなら大阪の高槻カウンセリングセンターへ

「こうあるべき自分」から「こうありたい自分」へと目指していきませんか?
  • ホーム
  • <テーマ078>保証を求める人たち

<テーマ078>保証を求める人たち

<テーマ78> 保証を求める人たち  

 

 カウンセリングを受けることに対して、クライアントが葛藤し、逡巡するのは、そこに確かな保証が読み取れないからであります。私はそう考えております。 

「料金」に関する項目で、「一日で改善します」という宣伝文句をそのまま信じて、十何万円ものお金を払って合宿に参加した人の例を挙げました。「神経症」的な人にとって、「一日で改善します」という宣伝文句はとても魅力的に響くのだろうと思います。一日で得た効果は、一日しか続かないものだと私は思います。この人の抱えている問題は、「一日で改善します」という文句に表されているような、確かな保証を求め過ぎていたことであると、私は捉えております。 

 この例のような「一日で改善します」とか「自信があります」「成功率90パーセント以上」「30年の実績」と言った言葉は、端的に言えば、不安の強い人や自己信頼に欠けている人に対して強くアピールするものだと私は捉えております。そのような彼ら自身の傾向のために、彼らはそういう言葉に惹かれてしまい、また、そうした言葉を求めてしまうものであります。つまり、彼らは確かな保証を求めているわけであり、そのような保証が得られないと行動に移せない(決断ができない)のであると、私は捉えております。 

 

 旧サイト版で、ホームページ制作会社の担当者から、「成功したケースだけを載せるようにしたらどうか」と提案されたことがあります。私が上手くいった例と同様に、上手くいかなかった例もありのまま載せていたので、それでは宣伝効果がないと考えになられたのかもしれません。ですが、私はそれを拒否しました。成功例だけ掲げて、「これだけの人が良くなりました」と伝えることは、そしてそれだけを伝えることは、私にとっては、「一日で改善します」とアピールするのと同じことだと考えたのであります。 

 ある人の問題が、彼が保証が得られないと動けないということにあるのだとすれば、単純に保証を与えてしまえばいいということになるかもしれません。しかし、それによってその人は行動に移せるかもしれませんが、その問題の本質の部分が取り上げられなくなってしまうかもしれません。私はそれを避けようとしているのであります。 

 また、「一日で改善します」というような文句を載せれば、クライアントはたくさん獲得できるかもしれません。私はそのことを特に重視しているわけではありません。保証されて大船に乗った気持ちで来られるよりも、不安を抱えたまま来られる方が、私には価値があるように思いますし、その人たちの方が私は好きになれるのであります。そのような考え方をしていますので、いかなる保証も、このサイトでは見当たらないだろうと思います。不安が強くて保証を求めてしまう人たちから見ると、私は不親切な人間に映るかもしれませんが、私は自分の考え方に従うつもりでおります。私はいかなる保証も約束もしないつもりでおります。 

 

 以前のサイトでも私は保証に関して同様のことを述べております。基本的にこれに関しては、その当時と考え方は変わっていません。ある人に対して何かを保証するという行為は、その人の将来にある事柄に関して述べることになります。簡潔に申し上げれば、将来その人に起こることなど、私には分からないのであります。予知能力があるわけでもなく、私自身の明日のことさえ分からない人間でありますので、他人の将来、その人が「治る」のかどうかなど、尚更分からないのであります。 

  

では、私から保証を得られないとすれば、この人たちはどういうことをするのかと言いますと、彼らは私を見学しに来るのであります。様子見で訪れる人や、あからさまに「覗きに来ました」というような人までいろいろであります。そして、私に探りを入れて、私を見定めるか、保証を引き出そうと試みられるのであります。私はその人たちのために時間を割くだけのゆとりがありませんので、そのような行為はどうかご辞退願いたいのであります。 

 ある人はいきなり私を訪れては、あれこれ自分自身のことを話し始めるのであります。私は予約を取って下さいとお願いして、早く切り上げようとしました。そして、最後にその人は「どれくらいの人が良くなっていかれているのですか」と尋ねたのであります。私はうんざりして、「9割の人が良くなっていったとしても、あなたが9割の方ではなく、1割の方に入ってしまう可能性は十分にありますよ」と答えたのでした。さすがにその人は「これはダメだ」と思われたのか、そそくさと帰って行きました。 

 

ある機関が「成功率が9割」と謳っていたとしても、それはそこの「過去」の実績であるはずであります。これまでの人たちの成功率が9割だということでありまして、それは今後の人たちの数字ではないはずであります。これまで9割だったから、今後も9割を維持するだろうと考える根拠は何もないはずであります。尋ねる人が本当に知りたいと望んでいることは、自分が今後その9割の方に入るかどうかということだと思います。中には確実に自分は9割の方に入ると信じている人もあるかもしれません。そうでなければそのような数字に魅力を感じないのではないかと思います。 

 どんな場合においても、成功するか失敗するかは半々だと私は思います。コインを投げて、表が出るか裏が出るかという賭けにおいても、どちらが出るかということは五分五分の確率であります。仮に裏が連続して10回出たとしても、次の一回の確立は五分五分なのであります。過去のデータがどうであれ、次の一回で裏が出るか表が出るかの確率は変わらないのであります。もし、こういう話に興味をお持ちになられるなら『確率の世界』(ダレル・ハフ著)という本をお勧めします。今、私が述べたようなことが載っています。(余談ですが、私は前述の『確率の世界』と『統計で嘘をつく方法』[ともに講談社ブルーバックス]という二冊からずいぶんいろいろなことを学びました。この二冊は私のお勧めであります) 

 

 どうもここまで書いてきて、保証を求めてしまう人たちに対して辛辣過ぎたのではないかという気持ちに襲われています。認めることが難しいかもしれませんが、私たちの生きているこの世界においては、何一つ確かな保証というものがないのであります。私は今日生きました。しかし、明日も同じように一日を生きられるという保証はどこにもないのであります。私たちの世界を丁寧に見ていけば、私たちは保証なしにこの世に放り出され、生を営んでいることが理解できるのであります。将来の安心のために保険会社に加入するとします。これは一つの保証を手に入れる行為であります。しかし、その保険会社が今後とも永続するという保証はないのであります。占いに頼るのも、保証を手に入れる行為であります。それは将来のことに関して、何か確かな物を獲得しようとする行為であります。今日、占いで一か月後の私の運勢を見てもらったとします。それは私の今日の段階での一か月後を見てもらうことであります。明日、私は交通事故で亡くなってしまったとしても、この占いが外れたことにはならないのであります。従って、究極的には占いも何一つ保証を与えないものだと私は考えております。私たちは確実な保証がない世界に生きているのだと思います。そして、このような世界で生きなければならないのだと思います。 

 何一つ保証が得られない世界で生きていかなければならないということは、私たちはこのような世界に耐えることを学ばなければならないのだと思います。そのことは保証を得ることよりもはるかに肝心なことだと思います。仮に保証が得られたとしても、その保証はどこまでも部分的なものであるわけであり、その保証が保証し得ない部分というものが生じてしまうのであります。そこを他の保証で埋め合わせたとしても、その埋め合わせに用いられた保証もどこまで追求しても完全なものではないのであります。常に保証され得ない部分が生じるものだと私は思います。 

 

 確率や統計はこのような場合、最も役に立たないものだと私は考えております。先述した人のように、保証を求める人は確率や統計で答えてくれるように質問するものであります。日本人男性の平均寿命は確か77歳だったと記憶しています(もし間違っていたら勘弁してください)。この数字は私には何一つ意味をなさないのであります。なぜなら、日本人男性の平均寿命がそれだけあったとしても、他ならないこの私がその年齢まで生きられるかどうかは、その数字は何も教えてくれないのであります。むしろ、日本人男性の半数はその年齢まで生きられなかったということを、この数字は同時に示しているのであります。従って、ここでも私にとっての確率は、その年齢まで私が生きられるかどうかという確率は五分五分のままなのであります。 

 悲観的な話を私が展開しているように思われる方もいらっしゃるかと思います。将来のことは常に不確実で、不鮮明であります。百パーセント確実に言えることなどほとんどないのではないかと思います。肝心な点は、確実な保証を得られなければ何もできないということではなく、確実な保証が得られなくても生きていくことができるということなのだと思います。私たちはそれを目指さなければならないのだと思います。 

 

 話が脱線してしまったので、この辺りでカウンセリングのことに戻りましょう。 

 これを読んだあなたはこのようにお尋ねになられるかもしれません。「それでは、お宅のカウンセリングを受けに来る人たちは、何の保証もなしに受けに来るのか」と。私は「その通りです」とお答えします。そんな当てにならない所は御免蒙りたいというのであれば、それはあなたの自由でありますので、私はそれで結構であります。過去にどれだけのクライアントが上手くいったとしても、他ならないあなたが私と上手くやっていけるかどうかに関しては、あなたには何一つ保証がないのであります。その保証がないという点に関しては、私の方も同じ条件であります。私があなたとうまくやっていけるかどうかということは、私には何も保証がありません。お互いにやってみなければ分からないのであります。 

そして、実際大多数のクライアントはそのような気持ちで受けに来られているのだと、私は信じております。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー