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<テーマ085>カウンセリングで何が達成されるのか~概観

<テーマ85> カウンセリングで何が達成されるのか~概観 

 

「カウンセリングで何を達成するのか」というページを設けました。ここに述べるであろう事柄は、「カウンセリングの過程」ページに含めて述べようと思っていたのですが、それではあまりにも「過程」のページ量が多くなりそうなので、敢えて別項目として分けました。内容的に重複するところもあるかと思いますが、便宜上そのように分けるために、そうなるのも仕方がないことであると捉えていただきたいのであります。 

 もし、あなたがカウンセリング(私の目指しているカウンセリングということでもありますが)を理解されるとするなら、「カウンセリングの枠組み」「カウンセリングの過程」とこの「カウンセリングで何を達成するのか」という三項目のみをお読みになられれば結構かと思います。その他の各種テーマは、重要でないとは言えませんが、どちらかと言えば周辺的なテーマであります。 

「枠組み」がルールに関することであり、「過程」はそのプロセスに関することであると考えるなら、「何を達成するのか」というものはカウンセリングのゴールに関する事柄であります。 

「何を達成するのか」ということを、「カウンセリングの効果」と言い換えてもよかったのですが、「効果」という言葉にはいくつもの意味がありますので、私はこの言葉を避けました。しかし、以下の論述のいくつかは「効果」に関することでもあります。しかし、この「効果」は、私たちが通常この言葉からイメージする事柄とは大きく様相が異なっているものでもあります。私は外側に現れる「効果」よりも、クライアントの内面で、内的に達成される事柄に重点を置くつもりでおります。内的に達成された事柄があるとすれば、その人の外的な「効果」となって表れるはずであると私は思います。従って、内的に達成される事柄は、外側に現れる「効果」よりも優先されるものであります。 

 

以下において具体的な内容に触れていく予定でおりますが、記述していく上で、便宜上いくつかの項目に分けて論じることになるかと思います。ただし、それらは別個に達成されるものではなく、いくつもの項目が一人のクライアントの中で、絡み合い、統合されながら達成されていくものであるということを予め強調しておきたいと思います。一人の人間は全体的で統一的な存在であるからであります。 

 

 今後述べていく事柄を若干、前もって概観しておこうと思います。 

 まず、カウンセリングというのはクライアントが自己を「語りなおす」場であると捉えます。この「語りなおし」の作業において、クライアントは何かを体験し、何かが内的に動き始めるのであります。こうした動きは、それが一見して悪化したように思えるものであっても、クライアントの依って立つ位置が変わり始めていることの証として重要なものであります。それが変容の一歩であることをも述べる予定でおります。 

「語りなおし」をしていく際、そこで語られるのはクライアントの過去の経験であることがほとんどであります。私たちはこの過去の自分の経験を、現在の自分の自我において振り返らなければならないのであります。そして、この作業をしている時、クライアントは自分を客観的に見ているということができます。物事の渦中に留まり続ける限り、その物事が本当には理解できないのと同じように、一旦自分自身の枠の外から自分自身を見ることによって、人は自己理解を進めていくものであると思います。 

 この自己理解ということは、「洞察」という言葉で表現します。クライアントがしばしば初めに気づくのは、いかに自分自身のことを理解できていなかったかということであります。自分のことは自分がよく知っていると思い込んでいることの方が私たちには多いのであります。また、しばしば「洞察」の代わりに「知的理解」を「洞察」の代わりにしてきた人たちもよく見られます。それは文献等で得た知識を単に自分自身に当てはめただけなのであります。自分自身の心にまったく触れることなく、図式的に理論を自分に適用してきた人であります。私は、自分の体験からも断言できるのでありますが、人は自分の心に触れることができると、それだけでかなり落ち着くものであるのであります。そして、その体験からもたらされた「洞察」は必ずその人を次の段階へと導くものなのであります。 

 カウンセリングはまた体験でもあります。クライアントは今までの彼の生活では得られなかったことを体験する場合もあります。それは自分が受け入れられる、自分が許されているという感覚であったりします。こうした感覚は、クライアントに安心をもたらすものであります。同時に、私たちは他者から受けいれられた事柄しか自己受容できないものでありますので、彼は徐々に自己受容を達成していくのであります。この受容には、彼にとって望ましくないものも含まれているかもしれません。しかし、それが望ましくないものであっても、私たちは受けいれることができた事柄しか自分で扱うことができないものであります。受け入れることができた問題しか克服することができないのであります。それは克服のための第一歩であると同時に、しっかり受けいれられた体験は、もはや当人に脅威をもたらさなくなるのであります。そうしたことも述べるつもりでおります。 

 

 私は心とは本来躍動的なものであると仮定しています。その躍動は「生命感情」と述べてもよいかと思いますが、心に本来備わっているものだと仮定しているのであります。それがあるから私たちは前進することができるのであります。「生命感情」が枯渇しているということは、その人が停滞状態にあると見做すことができるわけであります。自分の心に触れ、洞察を深めていく中で、そして関係を体験していく中で、「生命感情」は回復していくものであります。 

 

 また、関係や対象は内在化されるものであります。特に、その関係や対象がその人にとって重要なものであればあるほど、この内在化は速やかにかつ深く行われるものだと捉えております。もし、カウンセラーとクライアントとの関係が良好であれば、その良好な関係はクライアントの中に内在化されていき、カウンセラーと離れていてもカウンセラーと一緒に存在している自分を体験されるのであります。このことは医師と患者の関係であっても、教師と生徒の関係であっても同じことが生じるのであります。それらが内在化されていくということは、クライアントが自分自身のカウンセラーになっていくということであり、同じように、患者が自分自身の治療者になっていくこと、生徒が自分自身の教師になっていくことへとつながるものであります。そうして、私たちは自分自身を育て、良くしていくことが可能になるのだと私は思います。 

 

 外側の事柄も含めて見てみましょう。 

 クライアントが自分自身を「語りなおし」、理解と洞察を体験し、それが安心感や自己確実感に発展していくにつれて、彼は日常生活において落ち着いていくでしょう。クライアントは、私の場合では、穏やかになっていくことが多いのであります。そこにはもはや不毛な競争もなければ、不必要な活動や緊張もないのであります。自分自身を拠り所としていくので、葛藤にも処理していくことができるようになるのであります。 

 自分自身を拠り所とするということは、彼の世界において、彼自身が世界の中心に立っているということであります。外側の世界には、客観的に存在している世界とは別に、私たちの現象の場に現前されてくる世界があり、その世界においては常にその人が中心にあるわけであります。この感覚が強くなっていくので、彼はより自己主体的に行動するようになるのであります。ある人は自己主張が増していきますし、他の人は新しい分野へ踏み出していくのであります。そして、彼はそういうことを他者を苦しめるようなやり方ではしないのであります。自己が自己尊重されている限りにおいて、彼は他者を尊重することができるからであります。他者と衝突することはあっても、他者と調和的に生きる方を彼は選ぶようになるのであります。 

そして「生命感情」が回復して、活動性が増していくにつれて、その人は過去において彼を束縛していた事柄から解放されていき、生まれ育った家族の家族神話から自由になっていくのであります。過去は過去として、否定されることなく、そのままの過去としてその人の中に生き続けるのですが、それがもはや彼にとっては苦ではないのであります。それどころか、しばしば過去の体験の違った側面がいくつも見えるようになっていることもあります。彼は過去から現在に至るまでの時間軸の中で生きることができており、そのことは自分自身の未来に対しても開かれているということを意味するわけであります。 

 

 また、自分自身に対しての意識も高まることが多いのであります。それはつまり、より自分自身に対して気づきやすくなるということであります。ある意味では、適度に内省的な活動が増えていくわけでありますが、それによって、彼はより意識的に生きることが可能になっていくわけであります。意識的に自らを生きるということは、その人の主体性に関わることであります。 

 

 また、受容され、理解されるという体験を繰り返していく中で、彼の体験していることが人間の地平において生じていることが理解できるものであります。彼が人間であるからこそ、彼は人間的な体験をしているのだという認識であります。彼が、自分もまた一人の人間であるということが再体験されていくほど、彼は他者との紐帯を回復していき、孤立から救われていくのであります。他者との紐帯が回復されるということは、彼は他者との関係に生きることを可能にしていくことにつながるのであります。彼は人と一緒にいることも、一人でいることも、どちらも苦もなく成し遂げることができるでしょう。飲み込まれ喪失されるか、嫌われ見放されるか、そのどちらかしかなかった人間関係から、彼はそのどちらでもなく、一緒にいて尚且つ一人にもなれるという関係を築くことが容易になっていくわけであります。つまり、対人関係においても、彼は自分が自由であることを認識するのであります。 

 

 この項目においては述べようと思うことがとてもたくさんあります。ここではこれくらいにしておきます。また、上の文章だけではどういうことやら訳が分からないと思われた箇所も多々あったことだと思います。それらは後々、それぞれのテーマ項目において、詳しく論じていくつもりでおります。本項では、「達成」ページにおいて、私がどういうことを展開するつもりでいるのかということを掴んでいただければ、それで十分であります。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー