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<テーマ089>アイデンティティについて~その言葉の意味

<テーマ89> アイデンティティについて~その言葉の意味 

 

 ある時、知り合い夫婦に招かれました。彼らの家で、たまたま来ていた彼らの親戚夫婦も交えて、五人でお酒を飲んでいました。私がアルバイトで食いつないでいた時期の出来事であります。 

 お酒が進むほどに、男性たちの口調に熱がこもり始めます。私は嫌な予感がしていました。そして、間もなくというか、案の定と言うか、二人は熱く語り始めたのであります。二人で議論と言うか、口論を始めたのであります。 

 暑苦しい酒は勘弁してほしいなと思いながら、私は傍観していました。初めはお互いの仕事について、近況などを尋ね合っていたのですが、ヒートアップして、片方がついに怒って「お前のアイデンティティはなんだ! 答えてみろ!」と相手に怒鳴ったのであります。怒鳴られた側も、カッとなって「そういうお前こそ、お前のアイデンティティは何だ!」と怒鳴り返したのであります。 

 聞いていて、「そんな無茶な」と私は心の中で思っていました。最初に怒鳴った方は、「質問を質問で返すな。先に俺の質問に答えろ」などと怒鳴り返すので、事態はさらに穏やかなものではなくなっていったのであります。エラい場面に出くわしたものでした。 

  

 肝心なのはあの二人の口論で交わされた言葉であります。「お前のアイデンティティは何だ!」という言葉であります。結論を言いますと、アイデンティティとは「何」で答えられるようなものではありません。本項ではその点について考えてみることにします。 

 以前も述べたかと思いますが、その人を表す属性はすべてその人のアイデンティティの一部であります。「私は○○です」という文章の「○○」に入るものはすべて私のアイデンティティの一部であります。「私は男性です」「私は日本人です」「私はカウンセラーです」といった事柄は、すべて私のアイデンティティを指します。しかし、それでアイデンティティのすべてが把握できるものではありませんし、その個々のアイデンティティをひっくるめて一つのアイデンティティであると述べることもできないものであります。アイデンティティとはそのような性質があると私は捉えております。 

 

 アイデンティティに関して、私の好きな定義は「アイデンティティとはその人の歴史である」(R・D・レイン)というものであります。アイデンティティについて考えれば考えるほど、この定義の絶妙さが理解できるのであります。そのことは後に述べていくことにします。 

 

 心理学で「アイデンティティ」という言葉を用いたのはエリク・H・エリクソンという人でした。エリクソンの本を日本語訳で出す時に、アイデンティティという単語を日本語にどのように訳すべきかで困ったと訳者が述べられているのを読んだことがあります。確かに訳しにくい単語であります。この時、訳者は「自我同一性」という訳語を創られたのであります。この訳語はとても優れているとは思いますが、どこか腑に落ちない感じも一方ではしています。それに「自我同一性」と言われても、一体何のことやら分からないというのが正直なところではないでしょうか。日本語に訳されても、その訳語の説明がなければどういうことなのか理解できないのではないかと思います。 

この分かりにくさというのは「Identity」という単語そのもののニュアンスにあるかと思います。アイデンティティについて考えていく際に、この単語のみに焦点を当てていっても、一向に埒が明かないという経験を私はしたことがあります。そこで今回は視点を変えてみることにします。この単語の動詞形は「identify」というものです。この動詞形に基づいて、アイデンティティということを理解していこうと思います。 

「identify」という単語には「分かる」という意味合いがあります。しかし、この「分かる」ということの「分かり方」を理解しなければならないのであります。 

 

次のような例文を考えてみましょう。ちなみに、以下に挙げる例文を作成する際に、英語が得意である女性クライアントに協力していただきました。彼女には感謝しております。 

 

さて、例文とは、 

I identified him James(私は彼がジェームスであると分かった) 

であります。 

 

この例文において、彼女は「これでは指名手配犯を発見したようなニュアンスがある」と指摘され、「この場合、recognizeの方が相応しい」とおっしゃられました。この二つの指摘はとても重要でありますので、後ほど取り上げたいと思います。 

 まず、この例文において、「私」にどういうことが起きているかと言いますと、私の目の前にいる男性が私の記憶しているジェームスさんの姿と一致しているということであります。「分かった」と訳しましたが、「確認した」「照合した」という感じに近いかと思います。心の中のジェームスさんと目の前にいるジェームスさんとが同一で、私の中で両者の像が一致したということであります。そのような「分かり方」を示しているわけであります。このニュアンスを把握しておくことが肝心であります。 

 海外旅行をされたことがある方なら、空港でパスポートをチェックされた経験があるはずであります。その時、あなたはidentifyされているのであります。パスポートの写真と実物のあなたとが同一の人間であるかを照合されているわけであります。 

 彼女が例文を見て、これでは指名手配犯を見つけた時のようだと述べられたのは正しいわけであります。指名手配写真の姿と目の前にいる人物の像とが一致しているということを意味しているからであります。 

 

さて、「アイデンティティ」を「自我同一性」と訳されたことは正しいと思いますが、あるいは「自我一致性」というように訳しても良かったかもしれないと私は個人的には考えております。この単語には、両者が「同一」であるという現象を示しているだけでなく、「一致している」というように、より動きがあるようなニュアンスを私は受けるのであります。 

 では、一致するとか照合するとか言う場合に、何と何が一致するのか、何と何が照合されるのかという問題を次に考えてみましょう。 

 

 先ほどの例文に少し付け足してみましょう。 

 I identified him James although he had changed a lot(彼はすっかり変わってしまっていたけど、私は彼がジェームスであると分かった)  

 

 この例文においては、照合されているのは、私の記憶の中にある過去のジェームスさんの姿と、今、私の目の前にいるすっかり変わってしまったジェームスさんの姿であります。私の中で両者が照合され、一致しているということが認識されているわけであります。今現在の姿が記憶にある姿とはすっかり変わってしまっているけれども、何かが以前のまま残っているからこういう照合が可能になっているのであります。ここに「アイデンティティ」ということの「歴史性」があると私は思います。過去の姿と現在との姿とが、両者にどれだけ違いが生じていても、一つのつながりのあるものとして捉えられているのでなければ、このような照合はできないのではないかと思います。 

 

 先ほど、私の女性クライアントが「その場合、recognizeの方が相応しい」と指摘したことを述べました。私が思うところでは、recognizeは「他のものと識別する」ニュアンスがあるのではないかと思います。Aが、BではなくAであると認識する時、それはrecognizeしていると考えてよいのではないかと思います。Identifyは、Aが他ならぬAであることを認識しているということであって、その他のBと区別しているのではないのだと私は思うのであります。 

 例文において、私はその人を見て、その人がジェームスさんであると分かったのであります。この例文は、ジェームスさんの双子の弟のリチャードさんではなく、ジェームスさんの方であると分かったという意味ではないのであります。昔のジェームスさんと同じジェームスさんを私が見ているということであります。アイデンティティについて考えていく際に、どうしてもこのニュアンスは掴んでおく必要があると私は思います。 

 

 本項において、アイデンティティについて考える際に、その動詞形である「identify」を用いて考えてみました。あくまでこの単語に基づいて考えてきました。ここから本題に入って行こうと思うのですが、長文になりますので(熱く語る酔っ払いのことで私が無駄話をしてしまったためなのですが)、次項において、より具体的に個人のアイデンティティについて考えてみることにします。 

 

(文責:寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー