大阪府高槻市のカウンセリングセンターでうつ病のご相談

大阪府高槻市の心理カウンセリング

お気軽にお電話ください TEL:072-673-8180 営業時間:10時~20時 休診日:火曜日

うつ病、ストレスをお感じなら大阪の高槻カウンセリングセンターへ

「こうあるべき自分」から「こうありたい自分」へと目指していきませんか?
  • ホーム
  • <テーマ132>怒り・不安・自己感情(1)

<テーマ132>怒り・不安・自己感情(1)

<テーマ132> 怒り~不安~自己感情(1) 

 

(132-1)適切な怒りと不適切な怒り 

(132―2)事例~主訴 

(132-3)事例~クライアントの生活歴 

(132-4)事例~感情と同一化しているとその感情を内省できない 

 

 

(132―1)適切な怒りと不適切な怒り 

 怒りは人間が体験する基本的な感情の一つであり、それは周囲との関係において、自分の欲求が挫折しそうになるときの一つの反応であると私は仮定しております。その怒りは適切に対処されることが望ましく、そうでないとそれは誰か、あるいは何物かに対しての敵意となり、ひいては延々と長引く憎悪へと発展すると考えております。 

感情は常にその表出を目指すものであり、対象を必要とするものであります。怒りの感情表出の対象を求めるということは、怒りのはけ口を求めるということであります。そして、この対象は、当の怒りをもたらした対象に限らず、その対象を広げていくということも起こるのです。特に、当人がその怒りについての理解が少なければ少ないほど、対象の幅が広がっていくと考えられるのです。 

 そうして、怒りというものには、それが適切であるものと適切でないものとが生じてしまうと私は見做しております。 

適切というのは、その怒りをもたらした状況とその怒りの感情とが釣り合いが取れているという意味であり、その怒りに対して、第三者でもそれが了解できるということであります。 

 ここで言う不適切な怒りというのは、その場にそぐわず、過剰であったり、延々と長引いたりするものであります。時には怒りを向ける必要のない相手に対して、ひたすら攻撃を続けるというような事態を生じさせるものであります。第三者にも、なぜその人がそのことで相手を延々と憎悪し続けるのかということが理解しにくかったりするものであります。 

 怒りが不適切なものであるほど、それは怒りをもたらした状況以上に、その人の人格的な部分の関与が大きいと考えられるのです。 

 まずは、事例を挙げて、その事例を通じて、こうした不適切と言えるような怒りについての考察をしていきたいと思います。 

 

(132―2)事例~主訴 

 ある時、一人の女性クライアントが訪れました。30代前半の女性でした。彼女は非常に不機嫌な顔をして入室されました。面接への記入さえ非常に不満な表情でされました。何とか心の中のものを表に出さないように必死になって自制されているように私には見えました。 

 どういうことでお越しになられたのか、私が尋ねてみますと、彼女は隣近所におかしな人間たちがいるということを訴えます。おかしな人間というのはどういうことかを私はさらに尋ねてみます。彼女が言うには、常に彼女の家を監視し、スパイしているというのです。それだけでなく、その人たちが繰り返し嫌がらせをしてくると言うのです。 

 監視するというのは、彼らが彼女の家をじろじろ見て、彼女と目線が会うということなのです。それが彼女にはたいへん不愉快なものとして体験されているのでした。嫌がらせというのは、例えば回覧板を速やかに回してくれなかったり、挨拶をしてもきちんと挨拶し返してくれなかったりといったことなのです。 

 彼女の意見では、それは近所の彼らの方が異常だからであり、そういう異常な人たちに囲まれて、とても生活が苦しいとおっしゃるのです。 

 そして、このカウンセリングの前日、彼女はついに近所の人と正面対決をしたのです。現実に彼らの所に赴いて、ありのままの感情をぶちまけたそうです。ところが、近所の人は彼女の言っていることが何のことやらわからなかったようです。そして、彼女はまともに相手をしない彼らに腹を立てて、私のようなカウンセラーを探して来られたのです。 

 私は尋ねます。彼らが異常だということを証明したいのでしょうか、それともご自身の体験されている感情をどうにかされたいのでしょうかと。彼女は両方あると答えました。そこで私はもっと詳しく事情を説明するよう彼女に求めました。 

 誤解のないように申し上げておきたいのですが、怒りに身を震わせているというような状態にある人の話というのは、時に支離滅裂な傾向を帯びることがあります。彼女にもいささかそういう傾向がありました。だから、以下に記述するのは、彼女から窺った話を整理し、再構成したものであります。 

 彼女は近所の人たちとおっしゃるのですが、これはよくよく聴いてみると、彼女の家の左隣の人(これを「お隣さん」と呼ぼう)と、真正面の家の人(こちらは「お向かいさん」と呼びましょう)が問題になっているということが明らかになったのでした。 

 この二軒のお家のしていることが、彼女の神経に触るのです。隣からテレビの音が聞こえてきただけで彼女は居ても立ってもいられないような怒りに打ち震え、お向かいさんが玄関先の掃除をしている姿を見るだけでたまらなく腹立たしい思いをするのでした。そして、この二軒の人たちが彼女の生活を覗き見したり、偵察したりしていると言うわけです。 

 近所の人がジロジロ覗き見したり、スパイしたり、偵察しに来たりしているという訴えを聴くと、注察妄想だとか、被害妄想という診断を与えたくなるものです。確かに彼女の妄想であるかもしれませんが、仮にそれが妄想だとしても、その二軒のお家との間で現実に何かがあるはずで、彼女の中において何かが起きているはずなのです。 

 それに、近所の人たちと言っても、彼女が意識するのはこの二軒だけなのです。左のお隣さんとお向かいさんの二軒だけなのです。言い換えれば、対象が非常に限定されているわけです。この点に、まず彼女の訴えの特殊性、独自性を私は感じ取ったのでした。 

 そこで、私は興味を持って、右隣の人たちは何もしてこないのかと尋ねたのです。また、お向かいさんの両隣の家はどうなのかをも尋ねました。彼女の話では、右隣にはお年寄りの夫婦が住んでいるだけで、この人たちは脅威ではないようでした。お向かいさんの隣は、最近空き家になったそうです。それまで住んでいた人たちはその家を借りていただけなのです。その反対側の隣は、なぜかあまり彼女には脅威とならなかったのです。これは理由ははっきりとはわかりません。しかし、彼女によると、「その人たちは眼中にない」ということなのです。距離の問題か、そこに住んでいる人たちの問題かは、今の所、分かりませんが、ともかくお向かいさんの両隣は彼女の中で除外されているのです。 

 彼女の訴えが妄想である可能性はあるとしても、彼女自身の現実認識はそれなりにしっかりしているようでもありました。この二軒とそれ以外のお家との区別がしっかりついているところに、私はそのことを感じたのです。 

 そこで、この二軒の人たちの何が彼女をそこまで立腹させるのかということが疑問として浮かんできます。他の家にはないものがその二軒にはあるか、あるいは逆に、他の家にはあるものがその二軒にはないのか、とにかくその二軒だけ何か他のご近所さんと特別な違いがあるはずだということが理解できるのです。ところが、これは尋ねてみても、彼女自身も分からないと言うのです。「あの人たちを見たら、すごくイライラする」とおっしゃるのみなのです。 

 それはどういう種類の怒りなのだろうかと尋ねてみました。そんなこと分かりませんと彼女は答えます。許せないような怒りなのだろうか、それとも破壊してしまいたいような怒りなのだろうか、私は疑問をいくつか提示してみました。「どちらかと言えば、許せないというような気分になる」というのが彼女の答えでした。 

 彼女は専業主婦で、子供が生まれると同時に勤めていた会社を退職しました。その子も小学生になっています。彼女の一日はとても嫌な気分で始まるそうです。まず、起きて早々、あの二軒のことが気になるのです。それで朝はできるだけ彼らに会わないように心掛けるそうです。お隣はもう起きただろうかとか、お向かいが出てくる前に新聞を入れないといけないとか、そんなことを朝から考え続けるのです。だから、実際は彼女の方がこの二軒をとても意識していて、云わば、彼女の方が彼らをスパイしながら生活しているようなものなのです。 

 夫が起床して、子供を起こして、朝のごくわずかな時間だけ、彼女はあの二軒を意識しないで過ごせるようでした。夫を送り出し、子供が登校すると、途端に彼女はあの二軒に悩まされ始めるのです。その間、それはそれはとても激しい怒りを抱えながら家事をこなすそうです。 

 午後と言うか、夕方になると子供が帰宅します。子供の習い事に彼女はついて行きます。子供を送っていくという名目なのですが、実際には、その辺りで彼女の限界が来るようです。子供を送ると、買い物なんかをして帰るのです。少しでも帰宅を遅らせたいのかもしれません。 

日中は家を空けるわけにはいかないと、彼女は真剣に考えていました。留守の間に、彼らに何をされるか分からないと言うのです。勝手に入り込まれたり、何か盗まれたり、あるいは盗聴器やなんかを仕掛けられたりするのではないかと恐れていたようです。 

 子供が帰宅してから、少しの間だけ留守の状態になるわけですが、それは彼女には恐ろしくないのだろうか、私は尋ねてみました。もう少しすると夫が帰ってくるので、それは大丈夫なのだそうです。 

 習い事に子供を送って行って、買い物なんかをしてから帰ると、大抵、夫が帰っているということなのです。そして、夫が帰宅してから後の時間は比較的平穏に過ごせることもあるということでした。彼女はこういう生活をすでに何年間も送ってこられていたのです。 

 

(132―3)事例~クライアントの生活歴 

 彼女の問題を整理しておきましょう。彼女はお隣さんとお向かいさんから見られ、スパイされ、嫌がらせをされるということを訴えています。問題となっているのはこの二軒だけです。そして、彼女が激しい怒りを覚えるのは、彼女が独りで居る時であるということも窺えます。子供か夫の、少なくともどちらか一方が一緒の時はそれがましになるのです。ましになると言うのは、夫と子供といる時であっても、時にはこの二軒のことで心が掻き乱されることもあるからで、常にそうとは限らないらしいからです。 

 そして、彼女はついに我慢の限界が来て、彼らに怒りを表明したわけです。行動化したわけです。しかし、彼らにそれは伝わらず、彼女は逆に彼らから軽蔑の眼差しを感じ取ったようであります。 

 その怒りを現実に発散させてしまうと、却って彼女自身が不利になるから、その感情をなるべくここで言葉にして発散してはどうだろうかと、私は彼女にカウンセリングを継続するよう求めました。彼女はそれを承諾してくれました。 

 ここで、カウンセリングの過程に入る前に、一体彼女はどのような人なのかを少し述べておくと後々のことが理解しやすくなるでしょう。これもまた、断片的に語られたことを私が再構成したものであります。 

 子供時代、彼女が言うには、両親の影が薄かったそうです。二人とも終日働いていて、家には不在がちだったようです。父方の祖父母が同居していて、彼女はどちらかと言うと、この祖父母に面倒を見てもらったと言います。彼女の話では、祖父母には懐いていたけれど、両親にはどうしても馴染めなかったということです。この祖父母は彼女にとって望ましい対象だったことが分かります。 

 さて、これはなぜなのか分からず終いでしたが、両親が共働きしているにも関わらず、当時の彼女の生活はとても貧乏だったと言うのです。そのためなのか、家庭の中で変な緊張感が漲っていることがあったそうです。彼女がそういう家庭内の緊張感を感じ取っていたのです。 

 彼女が小学校に上がる頃、祖父が亡くなり、その後を追うようにして祖母も亡くなったそうです。これは彼女にとってはとても痛々しい体験だったはずです。彼女はその時のことを話してくれませんでしたが、彼女の人生が大きく変わった転回点だったと思います。 

この祖父母が逝去したことにより、母親の生活が余儀なく変わっていったのでした。祖父母が彼女の面倒を見てくれていたので、母親は終日仕事に出ることができていたわけですが、面倒を見る人がいなくなった以上、母親は勤務形態を変えて、早く退社するようになったのです。この娘のために、母親は生活を変えざるを得なくなったという状況があるわけであり、勤務時間の減少はそのまま彼らの収入減につながっただろうと私は憶測します。つまり、母親にとってはあまり望ましい状況ではなかったのではないだろうかと思うのです。そういう両親に対して、彼女は母親は好きになれないと言います。父親の印象はさらに薄いようでした。 

中学生頃から、彼女は怒りっぽい性格をそのまま表すようになったようです。中学時代は荒れた生活を送っていたと彼女は語ります。 

 その後、高校に進学し、高卒後はある会社に就職が決まりました。彼女の願いは、何よりも両親の実家を出るということにあり、就職が決まると、家を出て、独り暮らしを始めました。高卒の女性事務員の給料で生計を立てるわけですから、きっと当時は苦しい生活を送っていたのではないかと私は思います。 

 就職して4,5年経過した頃、彼女はとあるパーティーか何かの席で、とても羽振りのいい男性と出会います。この男性が後に彼女の夫となる人でした。彼女はこの裕福な男性に惹かれていきます。 

 いつしか、彼女とこの男性とは交際するようになっていました。あまり詳しく話してくれませんでしたが、欲しい物は買ってくれるし、美味しいものはごちそうしてくれるし、旅行にも連れて行ってくれるしで、彼女はその時初めて贅沢を体験したかもしれません。 

 交際を始めてしばらくして、彼女は妊娠していることがわかりました。彼の子供を宿しているのです。彼女は躊躇することなくこの男性と結婚することに決めたのでした。 

 そうして結婚はしたものの、彼女は愕然としたようです。ずっと、彼はお金持ちだと信じていたのですが、実際は彼の両親、実家が資産家であるというだけで、彼が彼女に与えた贅沢は、すべて彼が親から貰った小遣いでやっていたのです。彼自身は、きちんとした定職に就いているわけでもなく、たまに実家の事業の手伝いをするという程度のものでした。そして、彼個人には資産も何もないということが判明したわけです。そればかりか、結婚して一家の主となるのだから、自分で働いて生計を立てろと親から言われ、彼は親の援助を打ち切られたのでした。 

 彼と結婚することで、彼女はきっとお金に困らないような生活を思い描いていただろうと思います。その夢もこれで粉砕してしまったわけで、彼女たちはマンションを借りて生活することになったのです。 

 子供が生まれ、夫もなんとか就職にありついたものの、生活は楽ではなかったようです。彼女の困り事の一つに夫の浪費ということもありました。派手に遊んでいた頃の癖がなかなか抜けなかったようで、そのたびに彼女は非常に悲しんだようです。 

 この夫のような男性は一つの仕事を長く続けることが難しかったりします。彼女の話では、夫は現在までに何度も転職してきたそうです。仕事を始めるとすごく熱中して、それで短期間で頭角を現すのですが、中堅どころになると、必ず周囲と摩擦を起こすのです。そして、衝動的に会社を辞めるのです。朝「行ってらっしゃい」と送り出した夫が、夕方には「たった今仕事辞めてきた」と言って帰ってくることもあったそうです。 

 幸いなことに、彼の親が顔が広いので、親のコネで就職口には困らなかったようです。しかし、何度も就職しては、また一からやり直しという彼の労働形態に、彼女は気の休まることがなかったでしょう。 

 ある時、親の資産の一部が彼に転がり込むという幸運が降って湧いてきました。彼はその金で豪遊するぞと勢いづいていました。彼女は「お願いだからそんなことしないで、そのお金で住む所を買って」と泣いて縋り付いて、彼に頼んだのでした。彼女の悲痛な願いだっただろうと察します。 

 こうしたいきさつで、彼女たちは今の家に住むことになったのです。生活には厳しい所もあるようでしたが、彼女にとっては自分たちの居場所が確保できたという確かな実感があり、充実した日々を送れるように感じていたようです。少なくとも初めのうちはですが。 

 そして、いざその家で生活を始めると、間もなく、お隣さんとお向かいさんの件が始まったわけなのです。 

 

(132―4)事例~感情と同一化していると、その感情を内省できない 

 以上のような経過を経て、彼女はこうしてカウンセリングを受けに来ることになったのです。最前述べたように、非常にピリピリした表情で、怒りをかろうじて抑制しているという感じでありました。落ち着きなく、そわそわし、ちょっとした手続きにも我慢がならないような仕草をされるのです。 

 彼女の訴えは、近所の二軒から常に見られ、時にいやがらせを受けて困っているというものでした。彼らに対して、激しい憤りを抱えておられました。私は、ここではその人たちがいるわけではないから、思いのままを語ってみませんかと彼女に勧めました。 

 そうして彼女の抑制を少し解いたわけですが、その途端に、彼らに対する罵詈雑言が迸り始めました。その間、私が口をはさむこともできず、次から次へと、彼らに対する罵声が彼女から奔流するのです。それも相当辛辣な言葉を連ねて語るのです。こうして初回の一時間は、大部分、彼らに対する不満をぶつけるだけで終わりました。私はそれでもよいと考えました。 

 彼女には、まず、昨日彼女がしたような行為は、彼女がその感情を十分に語ることができないために起きたのであり、そういう現実の行為に移すことは彼女自身の立ち場が不利になるということを伝えました。つまり、彼らはそれを聴く耳をもたないだろうし、毎回、彼女の方がはねつけられることになるだろうからであること、そして彼らの方が異常なはずなのに、そういう行為をした結果、彼女の方が異常だとみなされてしまうだろうという理由からでした。 

そのことを彼女に伝えると、彼女はそれがとてもよく分かるとおっしゃいました。現に、昨日、ご近所さんに文句を言いにいた後、たまらない敗北感と惨めさ、そして自分の方がおかしいという目で見られた屈辱感などでいっぱいになっていたと言うのです。 

 そこで、私は、だからその感情は闇雲に行動に移さない方が良くて、それをできるだけ言葉にして語るようにしてほしいということ、それをこの場においてのみやって欲しいということを述べました。そして、彼女はしばらく通ってみてはどうかという提案に頷いてくれました。 

 一回目の面接を終えたものの、彼女に関する情報は驚くほど少ないのでした。その代り、お隣さんやお向かいさんに関する情報はふんだんに得られたのでしたが、まあ、それもやむを得ないことでした。と言うのは、怒りの感情と同一化している状態の時、つまり怒りの感情に身を任せている時に、その怒りに対して目を向けるなんてことは誰にとっても不可能なことだからです。 

 強い感情と一体になっている時に、その感情について洞察を深めるなんてことはできないものです。その感情から離れて初めてそのような作業が遂行できるのです。考えてみれば、これは経験的にも自明なことであります。あなたが怒りを発散している時に、自分自身に距離を置いて眺めるということができるでしょうか。怒っていると同時に、この怒りが適切なものかとか、この怒りの起源は何かとか、このような怒りをどういう時に体験するかというようなことを内省できるでしょうか。恐らく無理なことではないでしょうか。そうして、後になって、つまり怒りの感情から距離を置いてからでなければ、そういうことはとても考えられないものなのです。 

 彼女は来談した時からすでに怒りと一体の関係にありました。それはとにかく表現し、表現することで、徐々に、その怒りと自己との間に距離を生み出していくしかないのです。彼女に関する情報がほとんど得られないとしても、それでもこの作業の第一歩にはなっただろうと私は信じていました。 

 彼女に関する情報がほとんど得られないと述べましたが、それでも私に分かるものもありました。まず、彼女は怒りの感情に支配されているということ。そして、恐らくですが、彼女は自分の生活や人生から何一つ満足あるものを得ていないだろうということです。この両者はともに絡み合っているだろうと推測しました。満足が得られないので、彼女はますます欲求不満を体験するだろうし、怒りの感情は彼女が満足を経験することを妨害しているだろうからです。 

 この事例はまだまだ続くのですが、分量が長くなりましたので、ここで一旦、項を改めたいと思います。彼女の不幸な経験から、そしてその後の私の手痛い失敗から、多くの人が真摯に学ばれることを私は望みます。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー