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<テーマ021>「息の喪失」を読む(1)

<テーマ21>「息の喪失」を読む(1) 

 

 あなたは文学はお好きでしょうか。ここでは一つの文学作品を取り上げて、その作品を通して考察していこうと思うのですが、文学がお好きでないなら退屈なページとなってしまうかもしれません。その点はあらかじめご了承願いたく思います。 

 本項で取り上げる作品は、エドガー・アラン・ポーの「息の喪失」(Loss of Breath)という短編小説であります。『ポー小説全集1」(創元推理文庫)所収の同作をテキストとします。 

 ここでは本作の物語を追いながら、主人公にどういうことが起きているのかを考察していくという形で進めていきたいと思います。もし、先に原作を読んでみたいという方は、本項を読むのを一旦中断していただいて結構であります。 

 さて、この「息の喪失」という作品ですが、1835年に発表されています。ポーの最初の小説は1833年に出ているので、かなり初期の作品ということになります。それでも随所にポーらしさが感じられる作品であります。 

 主人公は、日本語訳では「息無(いきなし)氏」という名前になっております。原文はラコブレス(Lack of Breath)氏という名前なのですが、本項では個人名を用いないで、単に「主人公」と表記します。 

 それでは私たちは物語に入っていきましょう。 

 

(A・主人公が息を喪失する) 

 作品は前口上のような段落を一つ置いて、二段落目から物語が始まります。 

 最初に読者が目にする場面は、主人公が彼の妻を激しく罵っている光景であります。二人の結婚初夜の翌朝ということが示されています。 

 いきなりこういう場面が提示されるのですが、読者にはどうして新婚ほやほやの主人公が妻をそれほど激しく罵らなければならないのか、まったく理由がわかりません。そのうち理由がわかるだろうと期待して読み進めても、その期待は満たされません。読者を引き込んで放さない見事な始まり方であるように私は思います。 

 主人公は妻を罵り、そして「悪口雑言の決定版」を妻に投げかけようとしたその瞬間、主人公は息を失います。 

 Lost One’s Breathといった表現は、受験英語で学んだ記憶があるのですが、「息が切れた」という意味があります。これは慣用表現であり、字面通りの意味ではありません。 

 主人公が息を失ったという時、慣用表現に従えば、彼が妻を激しく罵ってきたので、ここで「息切れ」したのだろうという意味に解釈するものです。しかし、そうではなく、主人公は、息切れしたのではなく、正真正銘、息を失った(Lost)ということを伝えています。 

 主人公は「いまいうような恐ろしい事件が現実に実際に起こることがあるなんてことは、私もついぞ考えてみたこともなかった」と述べています。慣用表現ではなく、まさにその字面通りに息を喪失するという、考えてもみなかった恐ろしい事件が彼に降りかかってきたのであります。
 ところで、慣用表現というのは、その字面通りの意味ではないということは先述した通りでありますが、慣用表現が通用するためには、私たちがその表現の意味するところのものをお互いに理解しているという前提が不可欠であります。その理解はお互いに身についており、いわば常識的なものとみなされるものであります。
 お互いの間で意味が共有されているからこそ、慣用表現はその意味が伝わるわけであります。言葉の意味が共有されているということは、その人が(その言語を話す国の)人間社会に属しているということでもあります。
  主人公が息を失ったと語る時、彼は慣用表現ではなく、額面通りの意味の世界に生きることになったと言えます。これはどういうことなのでしょうか。端的に言えば、彼は共有される意味の世界に生きなくなったということであります。私たちとは意味が通じない世界に彼が入ってしまったということであります。それは彼が意味が共有されている人間社会から脱落、疎外されてしまったというように解釈できるのであります。
 このような現象は現実に見られることがあるのです。精神的に圧倒された人が、字面通りの世界に生きているということを示す例はいくつもあります。それは「補足」の(1)を参照していただくことにして、私たちは物語を追いましょう。

(B・息を失った 主人公は自室に下がる
 息を失ったことに気付いた主人公は、そのことを妻に悟られないようにごまかし、自室に引き下がります。そして、自分に起きたことの意味を考えます。
 主人公は息を失い、息をしていない自分を自覚しています。言葉を発しようにも、息をしていないのだから、発声できないのです。だから彼は無言で妻から離れ、自室へと下がるのです。
 彼は発声しようとしても、それができない自分を体験しているということですが、この自分で自分がどうにもならない感じ、自分自身をコントロールできない感じというのは、多くの「心の病」において認められることなのであります。 

 彼には、自分に異常なこと、あり得ないことが起きているということが分かっています。こういう時、人はもっとパニックになるのではないかなどと思うかもしれませんが、実際、そうではないことも多いのであります。主人公は、自分に異常なことが起きているにも関わらず、そんなことは起きていないというふうに装うのです。これは自分に起きていることを否認しているわけなのです。この否認によって彼はパニックに陥るのを防いでいると言えるのですが、そのために彼は演技をしなければならなくなるのでした。
 自室に戻っ彼は自分のこの姿について、次のように考えます。「短気を起こせばこういう悪い結果になるという、恐ろしい実例の恰好な見本には違いない」と。この考え方については、私にはそれが子供の考え方という印象を覚えました。短気を起こすことと、息を失うことには、本当は因果関係がないかもしれないのですが、主人公はそこに因果関係を見てとるのです。論理的には関係がない二つの現象を関連付けてしまっているわけであります。悪戯をしたことと、その翌日に雨天で遠足が延期になったこととは、本来何の関係もないのでありますが、悪いことをしたから遠足が中止になってしまったと子供は考えることがあるのです。因果関係がない二つの事柄に対して、大した根拠もなく因果関係を見出しているということは、彼が論理性を失ったということでもあります。だから、子供の思考様式に似ていると私は感じました。もし、彼がそういう子供の思考様式に陥っているのだとすれば、異常な体験が彼に退行(精神的に子供帰りすること)をもたらしたと考えることできそうであります。
 それに続いて、主人公は自分自身を次のように捉えております。「生きておりながら、死者の条件をそなえ―死んでおりながら、生者の特徴をもっている―この地球上に出現した変則の奇型」と。これは、異常な体験(息の喪失)を得てから彼に生じた自己像ということであります 

 このような存在の在り方、生と死のどちらでもないという在り方は、周辺人や異邦人の在り方に近いものと思われます。彼は共人間社会から外れてしまった存在に陥ってしまったと解釈することもできます。つまり、「自分は人間でありながら、あなたたちとは違った人間になってしまった」という感じなのであります。それに近い体験を主人公はしているのかもしれません。
  その部屋の中で、猫が咽喉を鳴らし、猟犬が息を吐くさまを見て、彼は憤慨する。それらは猫や犬にとっては当たり前の行為で、日常生活では当たり前に見てきた光景であるのですが、彼にはそれが自分に対する当てつけのように思われています。要するに、被害感情に襲われているのであります。
 肝心な点 は、日常的に目にする当たり前の光景や、犬や猫の何でもない行為が、彼には脅威となってしまっているということであります。通常の状態であれば何も脅威をもたらすはずのない対象が、脅威をもたらす対象になってしまっているのであります。このことは、彼の体験がそれだけ彼の心を圧倒してしまっていることの証拠であるとみなすことができるように思います。

(C 息を探す
 妻が外出する音を聞いて、主人公は息を失った現場に戻り、息を探そうとする。
 この時、「眼に見えぬ物のみが唯一の実存である」というウィリアム・ゴドウィンの言葉や、アナクサゴラスの「雪は黒い」という主張を思い出し、主人公はそれがその通りであるということに気づいていると語ります。この二人の言葉は(それらがどういう文脈で述べられたのか、私は知らないのだけど)、矛盾であり、非現実的であります。主人公が、今ではそういう言葉の正しさが分かるということは、矛盾や非現実が、彼にとってより親和的になっているということであります。それだけ、彼の心がそれまでの現実から離れていっているのではないかと捉えることができるかと思います。
 捜索を続ける彼は、さまざまのものを発見する。それは「上下一組みの入れ歯が一つ、ヒップ(装身具だろうか)が二組に目玉(義眼だろうか)が一つ、それに息倉氏から女房にあてた恋文の一束だけであった」そうである。(「補足」(2)参照)
 ここで初めて「息倉氏」なる人物のことが語られるのでありますが、この人物は後で重要になりますので、覚えておいてほしいのです。この人物と彼の妻とが恋愛関係にあったようだということがここで初めて読者に分かり、それが、彼が妻を罵ったことと関係があるのかもしれないという予感をもたらします。
 さて、ここで彼が発見したものとは何だったのでしょう。恋文を除いては、すべて身につけるものであり、しかも作られたものであります。こういうものを彼が見つけたということは、こういう物が彼の関心を引いているということであると考えることができます。彼が、身体に関して心の中に何か抱いているために、こうしたものが彼の注意を引くことになったと言えるのであります。異常な体験をしていることが、彼に身体への関心を高めたと言えるかもしれませんし、彼自身がこういう装身具を必要としていて、身を隠したいという感情を抱いているのかもしれません。
 また、それらの装身具以外に、息倉氏の恋文を発見したということも、それが彼の関心事として心の中を占めていたからであると捉えることができるのであります。実際、主人公は息倉氏と自分の体型を、その後で比較しております。息倉氏は背が高くて立派なのに対し、主人公は肥満で背が低いということを述べています。この比較は後ほど考察したいと思います。(「補足」(3)参照)
 ここでは、とにかく、主人公が身体についての関心が非常に強かったのではないかということに注目します。どうして身体に関することが心を占めていたのだろうかということですが、人は自分自身が何かおかしいという体験している時に、自分の身体に関心が集中することがあるのです。実際には「心の状態」がおかしいのに、「身体がおかしい」というように体験される人もあるのです。この主人公にも同じようなことが体験されていたと私は考えています。それは、つまり、主人公は自分がおかしくなったという意識に支配されていっているということを意味するのであります。

 物語はまだ続くのですが、長くなりそうなので、ここで一旦終えて、項を改めて続けていくことにします。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー