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<E3-10>キレる配偶者~行為と人格の水準(1)

<E3-10>キレる配偶者~行為人格の水準(1) 

 

行動の水準 

 配偶者がキレるという問題について、私たちはキレる人のパターンを分け、さらに反省感情の有無という観点からも考察してきました。ここでさらにキレる人はどの水準の活動をしていることになるのかといった問題を考えていきたいと思います。 

 ここで「水準」という概念が登場するのですが、論を進める前にいくつか認識を共有しておきたいと思います。 

 心理学では人の行動には階層があると考えています。その分類の仕方は学者により相違があるのですが、基本的に共通しているのは、低い次元のものから高い次元のものへと至るということであります。低次のものとは、より原始的であり、より発達初期であるものです。また動物にも認められるものもあります。高次元の行動とは、より発達後期に生まれ、意図や意志が深く関与する行動であり、人格的要素が含まれ、より複雑であり、さらに動物には見られず人間固有の行動であります。人間のあらゆる行動は、低次のものから高次のものが枝分かれしていく、あるいは低次のものを土台にして高次のものが伸びていくというのであります。 

 低次元の行動から高次元の行動まで、私たちはそのすべてを実際に行為するのであります。高次元の行動を獲得している人であっても、時によっては低次元の活動が前面に出てくるということもあります。また、高次元の活動をしていながら部分的に低次元の活動をもしているということもあります。 

 私もよくやってしまうのですが、何か一つのことを思考している時、だんだん疲労してきて、集中が散漫になり、夢想しているような状態にある自分を発見します。夢想は思考よりもはるかに低い次元の活動であります。さらに続けると最後はボンヤリしてしまうのですが、これはさらに低次の活動であります。そして、どれだけボンヤリしていても手に持っているペンは落とさずに持っているのであります。手に持つというのはさらに低次の活動になるでしょうか。高次の行動が低下してくると、高次の活動は影を潜め、代わりに低次の行動が現れるわけであります。 

 詳細は心理学の成書をひも解いていただければけっこうであります。ここでは論を進めたいと思います。とりあえずは、人間の行動にはいくつかの次元があるのだなという程度にご理解していただければけっこうであります。 

 その上で、キレるという状態は次元としては高次に属するのか低次に属するのかという問題を考えていきたいと思うのです。私は、キレるというのは、まず低次元の活動であると考えています。あまり高次ではないと捉えています。 

 キレることに関しては三つくらいの次元があるように私は思いますので、まずその三種を概観しておくことにします。 

 

感情・情動レベル) 

 まず、感情とか情動レベルの活動があります。思考や論理ではなく、感情で動くといった行動であります。このレベルのキレるというものがまず思いつくのであります。 

 これは、何らかの感情や情動が込み上げてきて、それに突き動かされるというもので、「引き下がり」パターンでよく見られるものであると私は考えています。イライラとか、その他の不愉快な感情が込み上げてくるのであります。それを表に出さないようにと抵抗を試みるのでありますが、最後にはそれを表出してしまうわけであります。堪忍袋の緒が切れたという状況であります。こういうものを「キレる」とみなしている人も多いのではないかと思います。 

 

反応レベル 

 次に、それよりより低いかあるいは同程度のものとして反応レベルの行動があります。このレベルでキレるという人もあると私は想定しています。 

 反応というのは、要するに習慣であるとか、学習とか条件づけと類似の概念であります。ここには個人的な経験の差も入ってきます。 

 例えば、梅干しを見て唾が出るという人がいるでしょう。それは梅干しを食べてきて唾が出るという経験を通して身に着けた反応であります。梅干しという刺激と唾が出るという反応とが学習されているわけであります。 

 ちなみに私は梅干しを食べないので梅干しを見て唾が出るということがずっと分かりませんでした。でも、私の場合、レモンを見ると唾が出ることに気づいて、こういうことを言っているのかと後から知ったのであります。ここには個人の経験によって違いが生まれるのでありますが、その人の中では刺激と反応の一つのセットが生まれているわけであります。 

 このレベルでキレるというのは、特定のある事柄が生じる(刺激)とその人がキレる(反応)というものであります。この刺激と反応は一つのセットのようになっているので、当人にはどうすることもできないと感じられるものであります。自動的にそうなってしまうのであります。 

 

 最後に反射レベルのキレるもあると私は考えています。反射というのは行動次元では一番底辺に位置するものであります。 

 椅子に座って膝を叩くと、足がピコンと動くなどは反射であります。「かっけ」検査使われるものであります。大きく動く人もあれば、動きの小さい人もあるかもしれませんが、これは誰にも見られる反射であります。膝のある個所を打つという条件が整えば見られる反射であります。 

 また、大きな音が起きてびっくりして体がギクッとなるというのも反射であります。驚愕して一瞬体が硬直するわけです。小さな音でもびっくりする人もあれば、相当大きな音がしないとびっくりしないという人もあるかもしれませんが、びっくりすると同じ反射をしてしまうのであります。ここには個人的な体験の影響は全く見られないのであります。そして、ある条件(大きな音がする)が整えばびっくりして体がギクッとなる反射が生まれるのであります。 

 反射的にキレるという人もあると私は考えているのでありますが、これはもう刺激の種類とかも関係なく、ある条件が整えばキレてしまうというものであります。個人的な経験有無関係なく生じるものであると私は考えています。 

 

三者明確にしがたい) 

 情動、反応、反射と、それぞれの次元でキレるが生まれると私は考えているのですが、三者はそれぞれ明確には区別できないかもしれません。 

 特に問題となるのは、反応と反射の次元であります。これは自動的に生じているということなので、当人にもどうしようもないのであります。この「自動的に生じている」という観点は後に重要になりますのでご記憶願えればと思います。 

 そして、感情というものは後から生まれるものであると私は思います。つまり、反射や反応の次元では、先にキレるが生じて、後から感情が込み上げてくるものであると考えています。平常の状態からキレた状態へと飛躍する人、中間段階が見られないという人の場合、これらの次元の「キレる」ではないかと私は考えている次第であります。感情は、キレるよりも後のことなのであります。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)