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<A2-2>共有をつくること
<A2-2>共有をつくること
(写真を掲載しないこと―続き)
こちらに騙す意図がないことを証明したければ写真は用いない方がいいということ、騙すつもりがなくても閲覧者の方で早合点したり、勘違いするということもあり得るので掲載はしない方がいいということ、前項はそこまで述べたのでした。
写真を掲載しないもう一つの理由に移りましょう。私が別の人の写真を掲載して、その写真の人物が私ですと偽れば詐称になるでしょうし、それで集客を目論めば詐欺と言われても当然であります。大抵のところはそういうことをしないでしょう。臨床家の先生本人の写真が掲載されていることでしょう。
しかしながら、それが私の写真でさえあれば、いつの時代の写真であっても構わないということになります。今現在の写真を掲載しなければならないというわけではないでしょう。その写真は、数年前の写真であるかもしれないし、10年前の写真であるかもしれません。美青年だった時代の私の写真を掲載しても問題はないかもしれません。むしろ、閲覧者の方でそれを確認しようがないというのが問題であります。
その問題は現状ではどうしようもできないのでありますが、これが私ですと称して私の写真を掲載したとき、どの時点までが「私です」と言えるのでしょう。私にはそこが分からないのであります。10年前の写真の私は私であります。そこには同一性を認めることができます。しかし、10年前の私は今の私と違っているはずであります。10年間に大きく変わっています。そうであるとすれば、同一性は認められるけれど、それを私ですと称して公表することに私はいささか躊躇してしまうのであります。
どれくらいの期間であればいいのでしょう。私には基準を設定することができないのであります。もちろん、閲覧者にとってはあまり気にならない問題であるかもしれないのですが、私の方で気になってしまうのであります。
最終的にこの問題にどうケリをつけたかと言いますと、最初から掲載しないことにしようということになったのでした。いちいちそこを考えるのが面倒なのであります。一年以内であれば私ですと言ってもいいということにすれば、毎年写真を撮り直して、掲載していかなければならなくなります。そういう手続きも面倒であります。
それに、極論を言えば、私の顔写真を見ても誰も得する人はいないのであります。私の場合、容姿で選ばれることなんてなさそうに思うので、もうどうでもよくなったのであります。ごくごく普通に目鼻があり、口も耳もついている、人並みの顔をしていると思っていただければそれで十分なのであります。
(思想を伝えること)
顔写真のことは、時々IT業者から提案されるので、少し細かく記述しました。どちらかと言えばIT屋向けに書いた部分でありました。ここで話を戻しましょう。
このサイトでは、私の思想を記述するということを目的としています。私を知ってほしいというのは、私の考えを知ってほしいということでありまして、ルックスは知ってもらわなくてもかまわないのであります。
なぜ、私の考え、思想とか体験とかを知ってもらいたいと思うのか、ということですが、それがクライアントの利益にもつながるからであります。
端的に言うと、カウンセラーとクライアントの双方が同じものを信じている方がカウンセリングとか心理療法は上手くいくのであります。生理学的方法を信用している人が、私のような哲学的な方法を重視しているカウンセラーのカウンセリングを受けると、ちょっと上手くいかないところが生まれるというわけであります。その場合、上手くいくためにはお互いの価値観を適合させていく過程を踏まなければならないと私は考えています。
私は全然そういう方面の人間ではないのですが、スピリチュアルなカウンセラーさんがいます。あれこそクライアントが同じものを信奉していないと成立しないのではないかという気がします。他には、宗教カウンセラーもそうであると私は信じています。そのカウンセラーが仏教を信仰しているのであれば、クライアントも仏教を信仰している方が、キリスト教信者の場合よりも、上手くいくだろうと私は考えています。
私は人間が動物を飼うということに反対している者であります。だから、アニマルセラピーを受けてもなんら効果がないだろうと自分では思っています。アニマルセラピストと私とで共有されるものがほとんど無いからであります。しかし、動物好きなクライアントであれば功を奏するでしょう。
クライアントはカウンセラーを探すときに、そういう基準で探すことがあまりないという印象を私は受けています。カウンセラーの経歴や知名度で選ぶ人もありますが、その人の中に選択の基準、判断の基準が他に無いためではないかと思います。あと、なんとなくよさそうとかいった感覚的、イメージ的なものを優先させて選ぶという人もあるのですが、それもあまりおススメしないのであります。前項の男性クライアント(広告に騙されたといった男性)のようなことも生じえると私は思うのです。
あと、立地条件とか交通の便、その他、料金などで選ぶという人もあるかもしれません。実際的な理由で選ぶわけでありますが、これはまだましであるとは言え、それだけで決めることには私は賛成しないのであります。
では、クライアントが同じものを信じているとかいうことをどこで分かるのかという疑問が生じるかと思います。答えは簡単なのであります。クライアントに訊くのであります。このサイトを見て来ましたというクライアントに、サイトのどこを見て来られたのですかとか、サイトのどこが良かったのでしょうか、サイトのどこが決め手となりましたか、などといった質問をするのであります。
クライアントによってはかなり細かな部分を述べることもあります。このページのこの部分に納得できたとか、あの章の記述に共感できたとか、そういうことをお答えになられるのであります。思想の上で共通のものがあるということなので、こういうクライアントは私の中で上手くいく確率が高まるのであります。
IT屋は(また引き合いに出すのですが)、当センターが検索でヒットすることを一義的に目指すのです。それはそれで大事であることは認めるのでありますが、私の書いたものの中にヒットするものがなければならないのであり、私はむしろそちらの方を第一義的に目指しているのであります。だから多くのものを書いていかなければならないのであります。
クライアントは、特に真面目に取り組もうとされるクライアントは、サイトをよく読むのであります。全部のページを読むことはできなくても、自分に関連がありそうな箇所はよく読まれるのであります。この、「読む」というところがとても重要なのでありますが、それは次項で取り上げましょう。そうして読んでいく中で、クライアントにとって決定打となる箇所が見つかるのであります。そこにヒットすると、その人は来談してくれるのであります。迷わずに来談してくれるのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)