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<C1-6>長期化要因~原因探求

<C1-6>長期化要因~原因探求 

 

 私たちは経験的に知っていて、尚且つ、それを自明のごとく受け入れている事柄があります。 

 例えば、あなたが歯が痛いとしましょう。あなたは歯科医へ行くでしょう。歯医者さんはどこが痛いかを尋ねるでしょう。それであなたは左の奥歯が痛いなどというでしょう。すると歯医者さんはその箇所を視診して、ここが痛いのですね、と虫歯の箇所をピンポイントで指摘するでしょう。そうなんです、そこが痛いんです、とあなたは答えることでしょう。治療箇所が特定されると、歯医者さんはその箇所に何らかの処置を施していくでしょう。 

 お気づきのように、あなたがなぜその箇所に虫歯を生じさせたのか、その原因なんて尋ねられることはないのであります。あなたがどういう理由で虫歯になったにせよ、そんなこととは関係なく治療が施されるのであります。これは他の科でも同じであります。 

 あなたは歯が痛いのに、歯医者さんに行って、なぜ虫歯になったのですか、歯をきちんと磨いていないのですか、甘いものを食べ過ぎたのですか、などと、いちいち虫歯の原因探求なんかされたらたまったものではないのではないでしょうか。 

 原因探求は治療ではないのであります。なぜ原因探求をしないのかと言いますと、時間がかかるからであります。時間がかかるほど患者さんの苦痛が長引くからであります。私はそのように理解しております。そういう作業は時間と労力の無駄でしかないのであります。 

 よく、精神科などを受診している人から、医師は薬しか処方しないという批判を耳にするのですが、それはその批判の方が間違っているのであります。それが医師の仕事なのであります。医学的には正しいことを医師はしているのであります。 

 眠れないという人がいるとしましょう。何時間もかけてその人がなぜ眠れないのかを考えていくより、睡眠導入剤を処方する方が、その人が感情的には受け入れられなくても、医学的には正しいのであります。 

 確かに医学にもさまざまな分野があり、治療を研究する分野もあれば、診断を研究する分野もあり、同様に病因の研究をする分野もあります。そういう研究分野があるとしても、現実に患者さんの治療に当たっては原因探求などという作業はまずなされることがないのであります。 

 

 最近、塾の講師をしているクライアントから聞いた話があります。塾の講師をするのだから勉強を教えるのにも工夫しているのでしょう、と私が尋ねてみたところ、彼はそれは正しくないと修正します。勉強を教えるのではなく、勉強の仕方を教えるのだ、とそう話されたのであります。 

 聞いていて私はよく分かるような気がしました。それは、その子がどうして勉強ができないのか、なぜ正しい勉強の習慣が身についていないのか、そういうことにまったく触れないのであります。つまり原因とか理由とかには一切触れず、勉強のやり方だけを教えていくということなのであります。 

 私が思うに、その子が勉強できない理由や原因を探求することは講師の仕事ではない上に、そんなことで費やす時間がもったいないという事情もあるのでしょう。 

 

 心の問題では、原因探求ほど不毛な作業はないと私は考えています。確かに原因を研究する学問分野もあるのですが、それは治療ではないのであります。原因探求は治療にはならないのであります。 

 原因探求とは、結局のところ、あることを結果とみなし、その結果から時間的に遡って、原因と思われるところのものを見つけ出すことであります。ここには、それを「結果」とみなす視点があり、ある一時点においてそれを結果とみなすわけであります。時間が経過すれば、かつて結果であったものが次の結果の原因となることもあるでしょう。因果は連鎖的であるからであります。 

 因果を探求しようと思えば、時間を停止しなければならないのであります。しかし、因果関係を追及している間にも生は進行しているのであります。過去の結果の原因をさらにその過去から探すということを延々と積み重ねていくことになるのであり、結局のところ、これは不毛であるのです。そこから実りある何かが生まれるとは私には信じられないのであります。 

 また別の機会で述べたいのでありますが、因果探求的なアプローチよりも、現象学的アプローチで事象に迫っていく方が賢明であります。私たちは何かを体験すると、ついついその原因を探そうとしてしまうところがあるかもしれません。そういう思考を身に着けているためであります。カウンセリングや心理療法では、その思考はむしろその人の妨害として機能してしまうと私は考えております。 

 

 すこしばかり余談でありますが、心の病の原因というものは何でも可能なのであります。どんなことであっても、それがこの病気の原因であると説得することができるのであります。人間は、生まれてから発達していく中で実に膨大な種類の体験をします。数えることさえできないほど、何十万、何百万もの種類の体験をします。そのどれを原因として措定することも可能なのであります。 

 それはなぜかと言いますと、「心の病」というものは、因果が一対一で対応するものではなく、トータルで発現するものであるからです。どんな体験でもその病と関係していると言えるのであります。今現在のその人の「心の病」の原因は、その人のこれまでの人生で経験してきた体験のすべてに求めることができるわけであります。それを特定しようということがいかに不毛な作業となるかイメージできるでしょうか。 

 

 

 さて、カウンセリングや心理療法の期間を短縮化することを目指すのであれば、臨床家は原因探求の誘惑に負けてはいけないということになります。同じように、クライアントもそれを戒めなければならないということになるのであります。 

 もし、クライアントがその方向に向かいそうになれば、臨床家はそれを止めなければならないからであります。臨床家は不毛な議論に入っていくことを回避しなければならないのであります。 

 また、もし臨床家の方がその人の原因を探りたいというのであれば、それは治療とは別の枠でしなければならないのであります。研究のために調べたいというのであれば、それはそれでいいでしょう。しかし、それは治療と混同されてはならないものであると、私は考えています。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)