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<E1-1>はじめに~夫婦について(1)

<E1-1>はじめに~夫婦について(1) 

(私の見解を綴るということ) 

 夫婦という関係は、とかく問題を生み出しやすい関係であります。夫婦間の問題にどうにも対処できず来談されるクライアントも少なくありません。そうしたクライアントたちからの経験に基づいて、私は私の見解をここに綴る次第であります。 

 あくまでも私の個人的経験がここで綴られることになります。当然、私がお会いするクライアントから得た経験であるので、そこにはサンプルの偏りがあり、私が述べることにも偏向が生まれるだろうと思います。 

 私は私の経験や見解を一般化するつもりはありませんし、読まれる方も私の言葉を一般化することは控えていただければ幸いに思います。一般化することは個人から多くのものを奪うと私は思います。人はそれぞれ異なり、夫婦もそれぞれであります。個々の夫婦をいかに理解していくかの方が、一般的な公式や定理を構築するよりも有益であると私は考えています。 

(すべてのクライアントは夫婦について話す)  

 夫婦の問題というのは、基本的にはすべてのクライアントから伺う話です。 

 結婚しているクライアントからは自分たち夫婦の話としてそれを伺います。 

 独身のクライアントからはその両親の話として、親がいなかったり片親だったクライアントからは育ての親や友人の親の話として、私は伺います。 

 とにかく夫婦に関することを語らないクライアントなんていないのです。どちらに属するクライアントからも夫婦問題について私は学ばせてもらったように思います。 

(夫婦問題は多岐にわたる) 

 夫婦に関する問題もさまざまであります。DV、浮気や不倫、離婚と再婚、あるいは未婚の問題をも含まれるのであります。 

 また、間接的に夫婦に関係している問題というものもあります。夫婦の問題が子供の上で展開しているというような例であります。あるいは、子供を巻き込むことで夫婦問題が顕在化しているというような例であります。 

 ここでは一部親子関係の問題に触れるかもしれませんが、親子関係を含め、家族についてはまた別に章を設ける予定をしておりますので、重複するかもしれませんし、本章では深く入り込まないかもしれません。 

 いずれにしても、夫婦の問題は多岐にわたるものであります。 

(複数の観点から述べること) 

 さらに、夫婦の問題だけではなく、広く夫婦というものを考察していくことができればとも考えています。 

 夫婦に関してはさまざまな視点から述べることができますが、主に臨床的・治療的観点、発達的観点から取り上げることになるかと思います。できれば、ジェンダーの観点からも、社会の観点からも少し述べることができればと考えています。 

 複数の観点から述べることができればと思っています。 

(愛情に関する問題) 

 結婚・夫婦のテーマで私がもっとも取り上げたいのは愛情に関する諸問題であります。上手くいかない夫婦を見ていると、そこには愛情に関する問題を確認することができるのです。 

 中でも、これは当事者たちが自分でも気づいていないことだと私には思われるのですが、愛情恐怖の問題があります。どこかで愛すること、愛されること、あるいは親密になることを彼らは恐れているのです。彼らは自分がそういう恐れを抱いていることに気づいていないように私には思われるのです。 

 なんでも『嫌われる勇気』なんて本が売れているそうですが、嫌われることに勇気なんていらないのです。嫌われることなんていとも簡単なのです。それに比べれば、愛することの方がはるかに難しく、勇気がいることだと私は思います。 

 今のことを例証するのは簡単です。例えば『聖書』を読んでご覧なさい。そこには敵を愛せよとか、自分を愛するように隣人を愛せよなどと、愛に関する教えが随所で見られます。 

 それだけ愛することに関する教えが繰り返されるということは、それがいかに難しいことであるかを示しているのではないでしょうか。 

 嫌われる勇気を持ちなさいなんて記述はまず見つからないでしょう。嫌われることなんて、人生において大したことではないからであると私は考えています。愛の方が実践が難しいのです。だから、『聖書』に限らず、哲学者や文学者も繰り返しこれを説かなければらならなかったのだと私は思うのです。 

(愛するということは困難なことである) 

 愛するということはそれだけ難しいことなのです。上手くいかない夫婦は、相手を愛したから一緒になったという体験をしています。それは確かにそうでしょう。ただ、その愛が本当に愛と呼べるものであるかどうかは、本人には分かっていないかもしれません。 

 その夫婦が上手くいくかどうかよりも、たとえ夫婦関係が破綻しても、その人が愛について学びを得るなら、それは貴重な体験になると私は考えています。 

(愛情もまた学ばれなければならない) 

 ところで、愛とは本能的な感情であると考える人もあるかもしれません。その人がそう信じているのであれば、それでいいと私は考えます。 

 しかし、これはラッセルが指摘していることですが、本能というものは人間のごく一部においてしか働かないものであります。私もそう思うのです。 

 性衝動は本能的なものかもしれませんが、性衝動の処理、セックスの仕方などは、後から学ばれるものであって、それは本能ではないのです。 

 食欲は本能であるかもしれませんが、何を食べ、どのようにして食べるかは、すべて生まれてから後に学ぶものであり、本能がそれを規定しているのではないのです。 

 愛が本能的感情であるとしても、それを実践するためには、私たちは多くのことを学ばなければならないと思います。本能的に有しているからそれが自動的にできるようになるというわけではないのです。食欲や性衝動においてもそうであったように、愛もまた努力して学び、獲得していき、実践していくものなのです。 

 以上述べた事柄を本章では展開していく予定でおりますが、果たしてどれだけのことを私に語ることができるかはまったく未知数であります。できるだけ私の経験を綴っていきます。少しでも読者に資するところがあれば幸いに思います。 

(注)本項は過去のHP用に作成された原稿に基づいています。本HPと内容に相違が生まれるかもしれません。基本的な考え、方針は変わっていないつもりでありますが、相違点があるかもしれない点はご了承いただければ幸いに思います。 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)