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<E1-3>結婚とは「治療」である

<E1-3結婚とは治療」である 

 

 法律の専門家に言わせれば、結婚とは法的制度であると言うことでしょう。経済学者であれば、結婚とは経済活動であり、夫婦とは経済単位であると言うかもしれません。社会学者なら夫婦とは社会を校正する一単位の形成と言うかもしれません。人類学者であれば、結婚とは通過儀礼であると言うかもしれません。宗教家であれば、結婚は秘蹟であると言うかもしれません。 

 私は一応臨床家でありますが、臨床家からすれば結婚とは「治療」であると定義するかもしれません。もちろん、ここで言う「治療」とは心理療法を指しています。 

 実際、私は結婚するとは「治療」することであり、夫婦関係になることは「治療関係」に入ることに等しいと考えています。これこそが本節で主張したい命題なのですが、それについては後で取り上げることにしましょう。 

 

 その前に、なぜこのような前口上を述べるのかということを綴っておくことにします。 

 ある事柄はそれがどのように定義されるかによって、その事柄の性質が変わってきます。性質が変わってくると、その事柄に対する考えや見解も変わってくることになります。当然、その事柄に対する態度や対処にも違いが生まれてきます。 

 ある人が夫婦問題に取り組んでいる時(その他の問題でも同じことが言えるのですが)、この人がこの問題に取り組む姿勢や方法は、この人がこの問題をどのように定義しているかで左右されるのです。 

 結婚や夫婦に関してもさまざまな説があります。冒頭で述べたように、どの学問分野に立脚しているかによっても、定義や学説が異なってくるのです。結婚という一つの行為・現象をとっても、さまざまな角度から述べることが可能なのです。それぞれの説の正否は脇へ置いておくとしても、その定義においてはその説は正しいということもあります。 

 夫婦問題で来談されるクライアントもさまざまな結婚・夫婦説を信奉していたり、独自の結婚観・夫婦観を有していることもあります。何が正しいかといった議論は不毛は活動に終わるだけであると私は思います。 

 それよりも、それぞれの説は結婚と夫婦がどのように定義された上で展開されたものであるかを理解する方がいいと私は考えているのです。他の分野でも同じようなことが見られるのですが、著者がそれをどのように定義しているかをよく把握せずに、著者の説に盲信してしまう人や反論してしまう人がおられるもので、そこは注意する必要があります。 

 

 そのようなわけで、私はまず私が考える結婚・夫婦の定義を最初に提示しておこうと思う次第なのです。 

 結婚とは「治療」であり、夫婦関係になるとは「治療関係」にお互いが入っていくことであります。この定義に基づいて、また、この定義を前提として後の論を進めていくことになります。その点を見失わないようにしていただきいと思います。 

 私がその定義の上に立って述べているということを無視してしまうと、私の言うことは読み手の不快を招くだけになるかもしれません。できるだけそのような事態に陥らないようにしたいので、最初に定義の問題を取り上げているのです。 

 では、なぜ結婚して夫婦になるということが「治療」関係に入ることになるのでしょうか。次にそれを考えていくことにします。 

 

 結婚して夫婦生活を営んでいくと、過去の感情や記憶、克服すべきだった課題などが再浮上してくるということが起きるのです。例えば、甘えの足りなかった人はここで再び自分の甘えの問題に直面することになるのです。親の暴力を見てきた人は、ここで再び暴力の問題に取り組まなければならなくなるのです。夫婦になることでそのようなことが起きるわけです。ずっと昔に見てきたものがここで再燃するということが起きるのです。 

 夫婦に子供が生まれるとさらにその傾向が強まるようです。子供を育てることで、夫婦は改めて自分の子供時代、自分の親との関係を見なおすことになるのです。子供を見ることで自分の子供時代を見てしまい、親になることで自分の親が見えてしまうのです。 

 それはちょうど、マラソンで折り返すようなものかもしれません。かつて通った道を、逆方向から辿り直すようなものであるかもしれません。かつて見た光景と同じ光景が見えているわけではないにしても、一度通過した道をもう一度辿るのです。そういう感じではないかと私は考えています。 

 夫婦になって、夫と妻の双方は改めて自分の未解決だった問題、未解消の感情、未処理の葛藤、未達成の課題などに向き合うことになるのです。当人はそれらに取り組むことが求められるのです。 

 夫婦になることで、もう一度、自分のそうした未解決だった事柄に取り組むのです。結婚するとは、そういう機会を当人たちにもたらすものであります。その機会を与えてくれる経験なのです。夫婦はそれぞれ自身の問題に取り組むことになるのです。その意味で、夫婦になるとは「治療関係」に入ることと等しいのです。 

 夫婦はそれぞれ自分の諸問題に取り組むのです。このことは特に重要なことです。自分の問題に取り組むのであって、相手の問題に取り組むのではないのです。お互いに手を携えて、自身の問題の克服が目指されるのです。 

 ここで一つ指摘しておきたいのですが、問題を抱える夫婦と抱えない夫婦という区別は、本当は間違っているのです。それはちょうど神経症的な人が自分以外の人はすべて人生を上手くやっていると信じるようなものです。夫婦というものは、まず問題を抱えるものであり、夫婦関係を築くが故に問題が生まれてしまうのです。ただ、問題を克服できる夫婦と克服できない夫婦という区別があるだけなのです。私はそのように考えています。 

 そして、その克服の先にあるのは、人格の成熟であり、生の拡充なのです。結婚すること、夫婦になることの最終目標はそれであります。人格と人生の完成なのです。そして、それは「治療」目標となんら異なるものではないのです。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)