大阪府高槻市のカウンセリングセンターでうつ病のご相談

大阪府高槻市の心理カウンセリング

お気軽にお電話ください TEL:072-673-8180 営業時間:10時~20時 休診日:火曜日

うつ病、ストレスをお感じなら大阪の高槻カウンセリングセンターへ

「こうあるべき自分」から「こうありたい自分」へと目指していきませんか?
  • ホーム
  • <E2-12>出会いから結婚まで~婚約期(2)

<E2-12>出会いから結婚まで~婚約期(2)

<E2-12>出会いから結婚まで~婚約期(2) 

 

(婚約期~無関心) 

 婚約期では夫婦となる当事者たちは家族や友人たちに婚約発表をします。それで「結婚するの、おめでとう」とスッと流れればいいのですが、その結婚に反対する人たちが現れるのです。上手くいかない夫婦には結婚に反対した人の存在を認めることがけっこうできるのであります。 

 前項ではこうした反対者のことを述べましたが、周囲の人の反応にはまた別の形のものがあります。それは「無関心」と名づけてよいような反応であります。 

 ここでは「無関心」と呼ぶことにしますが、これはその名の通り、まったくその結婚に関心が無い場合から、少しくらいの関心、薄い関心しかないという場合も含めています。結婚しても、祝福してもらえなかったり、感情のこもらない形だけの祝福だけされたという経験を当事者がすることもあります。 

 この無関心も、当事者たちの友人知人に見られることもあれば、家族に見られることもあります。ただ、友人知人の無関心はあまり気にならないけれど、家族、特に親たちの無関心は当事者には引っかかるのであります。つまり、親たちの反応が薄いことによって、自分たちの結婚をあてにできないような気持ちに襲われることがあるようです。反対もされないし祝福もされないということであれば、自分たちがこのまま結婚してもいいのだろうかといった気持ちに襲われるということであります。当事者の心がしっかりしていない場合では尚更であるように私は思います。周囲の反応が無いので自分の結婚に確信が持てないのであります。 

 

 親が自分の子供の結婚に関心が薄いというのは奇異に聞こえるかもしれません。でも、そのようなケースもあるのです。 

 例えば、その女性は30代の後半で結婚したのです。現在ではよくある話であるけれど、この親たちからすればそれは超晩婚であったようです。親たちは娘の結婚をとっくに諦めていたような節があり、孫の顔が見たいなども言い出すことなく、もはや娘には何も期待していないようでありました。この女性が夫婦間で問題を経験し、親には絶対にそのことを相談できないと訴えるのも当然であります。親のこの無関心に遭遇したくないのでしょう(それだけこの無関心に彼女は傷ついてきた可能性があるというわけです)。 

 時に、子供の一方の結婚には多大な関心を寄せて、他方の子供の結婚には関心が薄いというようなパターンもあります。兄の結婚は両親とも盛大に行ったのに、妹の結婚はおざなりに済ませたというような例であります。この妹がもっとも苦しんだのは、自分たちの夫婦が上手くいかなかったことではなくて、兄夫婦が上手くいかなかったことにあったと聞いても驚くには値しません。家族全員の感情が兄の結婚に集まっていたからであります。 

 

 上手くいかない夫婦たちの中には自分たちの結婚が親からあまり祝福されていないという経験をしている人もあるわけなのですが、この親たちのことはあまりよく分からないのであります。親が子に感心が薄いのと同じように、子もまた親への関心が薄い場合があるからです。関心の薄さは敵意の反動であるかもしれません。 

 ある女性は、結婚して数年後、自分の母親に向かって言ったのです。私が結婚するとき、お母さんは一言もおめでとうと言わなかった、と。彼女はカウンセリングの中で自分がそういう経験をしていないことに気づいたのでしたが、それで早速実家に行って母親にそれを確認したわけであります。母親は次のように答えただけでした。「なんで、おめでとうなんて言わなアカンの」と。 

 母親は娘の結婚に秘かに反対していたのでしょう。おめでとうなどと口が裂けても言えなかったのでしょう。娘がどう思うか考えなかったのか、娘はそんなこと気づくはずがない(実際そうでした)と高を括っていたのか、母親の事情はどうあれ、この母親は自分の 

感情にとらわれ過ぎていたのであります。おそらく敵意のような感情であったでしょう。この感情を出さないようにしていたのでしょう。そのため無感情に陥り、娘に対する共感性も失われていたのでしょう。私はそのように思いますが、数年後にその時のことを問われて、そのように答えるということは、母親は現在でもその感情に囚われていることが伺われるのであります。 

 それが敵意であるかどうかは別としても、関心の薄さは激しい感情を抑制しているために生じているのかもしれません。前項で述べたように激しく反対する親たちと同じなのでしょう。それを表に出すか内に秘めるかの違いでしかないのかもしれません。 

 親の敵意(としておきます)の正体がどういうものなのかということも不明であります。それは我が子に対する感情なのか、結婚相手やその家族に対する感情であるのか、それとも結婚そのものに対する感情なのか、それとも昔の自分たちの結婚や自分たち夫婦に関係した感情なのか、この親たちが表に出さないだけに、一切不明なのであります。この不明であることが子たちを困惑させることもあるようです。はっきりと反対してくれる方がまだましな部分もあるかもしれません。 

 中には親が高齢に達していて、年齢とともに感情が鈍磨しているような親もあり(この親はその他の生活場面でも感情が薄いのであります)、どのように考えていいのかはケースバイケースということになるかと思います。 

 

 しかし、夫婦の周囲の人たちのことは置いておいて、夫婦に焦点を戻しましょう。親たちが無関心とか無感情な態度で子の結婚を受け入れるのです。表面的なトラブルがそれで生じるというわけではありません。前項で述べた「反対者」のようにトラブルや諍いをこの親たちは起こさないのであります。反対もせず、祝福もせず、ただ淡々と子供の結婚を受け入れるのです。 

 子からすれば自分たちの結婚を祝ってもらえなかったとか形だけ祝ってもらったという経験をすることになります。たとえ形だけでも祝ってもらえたので文句も言えなくなるのですが、それでも当事者には心に引っかかるものが生まれることもあるようです。 

 引っかかりが生まれるのはその人の個人的な問題であり、その人と親との関係性の問題でもある、とそのように捉えることもできるでしょうし、そのような問題も多少は含まれていることと思います。 

 そして、当事者のすべてがそうであるというわけではなくても、親のその無関心で冷淡な態度から、自分たちの結婚に確信が持てなくなるという人もおられるのであります。自分たちの結婚を本当には承認してもらえていないという気持ちに襲われるのでしょうか、不安な思いで夫婦生活を始めるようであります。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)