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<E2-13>出会いから結婚まで~婚約期(3)

<E2-13>出会いから結婚まで~婚約期(3) 

 

(婚約期~焦点化) 

 婚約期において問題となることの三つめは「焦点化」と私が名づけているものであります。これは子供の結婚に反対するわけでもなく、感情が薄いわけでもないのですが、親たちが何かある一点を巡ってモメたりゴネたりするというものです。時に、本当に些細な一つのことが延々と尾を引いてトラブルになるということもあります。いくつか例を挙げれば「焦点化」という言葉で表現しているものが理解していただけるかと思います。 

 

 ある女性は結婚することになり、結婚式には家族全員を招待したいと望んでいました。ところで、この女性の家族ですが、父親と兄とが長年不仲でした。兄はほとんど勘当のような形で家を出ています。彼女はこの兄も結婚式には招待したいと望んでいたわけであります。そのことを知った父親は彼女に兄を呼ぶなと命令します。兄もまた招待されたけれど、出席していいものかどうか迷っていたようであります。彼女は父親を説得します。兄とは席を離すからなどといろいろ譲歩するのでありますが、父親は頑固に兄は呼ぶなの一点張りでありました。結婚式の日取りは決まっているのに、家族の出席者が未定という状況の中で彼女は何度も父と話しあいの場を持ちました。彼女の努力の甲斐もなく、父親は兄は呼ぶなという主張を曲げようともしません。ついに彼女は兄を招待するのを断念したのでした。 

 娘の結婚式なのだから娘の意向に従ったらどうかとこの父親には言いたいところですが、彼女は自分たちの結婚式なのに、自分の意向ではなく父の意向に従うことになったのでした。ちなみに、上記では省略していますが、この父と娘の話しあいは、後に母親も巻き込んでの言い合いになっていったのでした。母親は娘に父の望む通りのことをさせようと欲していたのでした。父親は兄を呼ぶなと言い、母親は父親の言う通りにしなさいと言うわけであります。この娘さんからすれば、一体これは誰の結婚式なのかと不確実に思えてくるのではないかという気がします。 

 

 また別の夫婦の話です。この夫婦は双方の家族が犬猿の仲になってしまったのでした。事の発端は、双方の家族が顔合わせをした時に、相手の挨拶が気にくわなかったというものであります。これは妻側の両親がそのように訴え始めたのでした。夫側の両親は、少し気が緩んでいたのか有頂天になっていたのか、若干、不注意な言葉を漏らしてしまったようであります。そのわずかな一言に妻側の両親が噛みついているというわけであります。夫側の両親は何度も謝るのですが、妻側の両親たちは水に流そうともしないのであります。どこまでも自分たちが体験した不愉快さを訴え続けるのであります。あまりにも頑固なその姿勢に、夫側の両親もしだいに怒りを募らせ、両家の全面的闘争に発展していったのでした。彼らはなんとか自分たちの両親を宥めるためにと奔走しなければならなくなったのでした。 

 彼ら夫婦は結婚式の当日までに双方の親を和解させようと骨を折るのですが、その甲斐もなく、結婚式当日は、両家の間でギスギスした空気が充満していたようでした。そして、この両家の論争は彼らの結婚後も引き続いているのであります。 

 

 また、一人の妻は結婚前に相手のことを父親に話したのでした。正確に言えば、父親の方が執拗に夫になる男性のことについて問いただしたのだろうと私は思っています。結婚する相手の男はどんな男だなどとしつこく尋ねたのでしょう。彼女は、これもおそらくですが、父親の問うことに対して従順なまでに素直にお答えになられたのでしょう。それは今はいいとしましょう。 

 この夫となる男性の経歴にあるちょっとしたことが父親の癇に障ったようでした。どの人のキャリアにも多少の難点が見られるものであり、父親が難癖をつけたのもそうした類のものでありました。例えば、大学が三流大学であるとか、転職したとか、そのようなことであります。その一点で、父親はこの男と結婚して大丈夫かなどと娘に迫るようになったのでした。 

 この夫の弁解もしておきたいのですが、彼のキャリアはトータルとして見れば何もおかしなことはないのであります。10年近く前にちょっと上手くいかないことがあったといった程度のものであります。 

 しかしながら、父親はそこに拘ります。娘は何度も父親に話して彼がそんなに悪い人間ではないことを訴えるのですが、父親にはまったく伝わりません。挙句の果てに、まだ他に隠していることがあるかもしれないなどと疑いはじめ、興信所に頼んで彼のことを洗いざらい調べてもらうとまで父親は言い出したのでした。 

 この父親なら本当にそれをしでかすかもしれないと思ったのでしょうか、彼女はそれ以後、父親の挙動が気になって仕方がなくなりました。仕事中でも家に電話して、父親は今何をしている?と母親に尋ねたりして、父親が変なことをしていないか確認しなければ落ち着けなくなるのでした。 

 そんな矢先に、彼が彼女の両親に挨拶に行きたいと言い出したのでした。父親は彼のことを疑っているので、なんとかその疑いを鎮静してからと彼女は希望していたのですが、本当のところを彼にも言い出せず、そんな状態のまま彼は彼女の父親に挨拶にいったのでした。 

 当然、彼と父親との対面は彼女にとっては緊張の場でしかありませんでした。彼は丁寧に自己紹介し、挨拶もきちんとしたそうなのですが、父親はあくまでも彼に対して無愛想で心を開こうともしませんでした。父親のこの態度は、後に両家の家族が対面した時も変わらずでありました。 

 彼女にとってさらに不幸なのは、今度は彼が彼女を疑い始めたのであります。父親のあの態度をみて、俺のことを父親にどう言っているのだ、などと彼は彼女に詰め寄るようになります。彼女はあれは父親の偏見であって、彼には関係ないことなのだと弁明するのですが、彼の害された気分が治まるまでに相当な月日を必要としたのであります。 

 

 以上、三例挙げたのですが、「焦点化」ということが多少とも理解してもらえたでしょうか。夫婦当事者の親子間、あるいは双方の家族間で、諍いなりトラブルが発生するのですが、それがある特定の一つのことに焦点化されているわけであります。この焦点化された一点を巡って延々と争いが続き、そして、関係や感情がこじれたまま当事者たちは結婚式を迎えてしまうのであります。 

 もともとこの焦点化は、夫婦当事者ではなく、上記の例では、親たちに属していることなのであります。私だったら親たちに勝手に喧嘩させとけばいいやと思って放っておくところなのですが、彼らはこのトラブルを鎮圧する責任を負ってしまうのであります。自分たちの結婚式を良いものにしたいと願う気持ちからでしょうか、ただでさえ忙しい婚約期において、余計な仕事を彼らは背負い込んでしまうのであります。 

 こういう例はけっこう耳にするのです。そして、夫婦当事者は結婚までにトラブルを鎮めようと奔走するものの、大抵の場合、これは上手くいかないようであります。と言うのは、焦点化づけられたその一点が問題ではないからであります。問題は他にあり、その問題がその一点に転換されていることが多いように私は思います。 

 次項ではもう少しこの「焦点化」について考えてみようと思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)