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<E2-14>出会いから結婚まで~婚約期(4)

<E2-14>出会いから結婚まで~婚約期(4) 

 

(婚約期~焦点化~続き) 

 「焦点化」ということをもう一度おさらいしておきましょう。結婚する男女の主に親たちがこれをするのですが、ある一つの事柄を巡って、しかも些細な一点を巡って、争いを始めてしまうのであります。親たちは子の結婚に反対しているわけではありませんし、関心がないわけでもありません。ただその一点に過度に拘り、問題を作りだし、トラブルを大きくしてしまうのであります。子たちはその問題処理を背負わなければならない、その問題を解消しなければならないという責任を感じてしまい、あれこれと手を尽くして対処するのですが、どれも功を奏さずに消耗してしまい、なんとも居心地の悪い結婚式を迎えてしまうのであります。 

 このような「焦点化」をどのように考えればよいでしょうか。もちろん、焦点化する人たち一人一人の心的状況が異なるでしょうから、さまざまなことが考えられると思います。いくつか私の頭の中にあるものを綴っていくことにします。 

 

 まず、この一点を巡って家族における未処理だった問題が再燃するということがあります。父と兄との不仲が妹の結婚式を契機に再燃するのであります。 

 あるいは、家族あるいは家族成員の抱える問題が、ただそのままの形で再燃するのではなく、その一点に転換されているということも考えられるでしょう。 

 こうした転換は、より大きな問題をカムフラージュするように機能することもあります。つまり、その背後にはより大きな問題が潜んでいるのだけれど、それよりも小さな問題に固執することによって、その大きな問題に目を背けることができるというわけです。この大きな問題の方は直視できないのであります。そのため、この小さな問題は解消されてはならなくなるのであります。この小さな問題を手放すことができなくなるわけであります。 

 

 時に、この親たちが小さなことにも過度に拘るような性格の人である場合もあるのですが、その場合、子たちは親のそうした性格傾向を考慮することもあります。ただ、普段はそういう性格ではない人たちが、これに関してのみ、小さなことに拘るということもあり、それだけに当事者である子たちは驚愕するのであります。 

 どうしてそのようになるのでしょうか。例えば、親に「自我狭窄」が起きていることも考えられるのであります。これは多大なストレス状況下で自我がその領域を狭めることなのですが、そうなると全体を考慮して、全体的に取り組むことができず、その一小部分に焦点を当て、それだけに取り組んでしまうということも生じると私は思います。 

 ある意味で、それは視野が狭まるということであります。不安があまりに強いと、小さなことが過大な意味を帯びてきて、それが意識を占めることも日常的に経験するところであります。明日は大事な仕事があって早起きしなければならないのに眠れないといった経験をしたことがどの人にもあると思います。寝よう寝ようと思っても寝られず、明日のことに不安を覚えます。そういう時は、普段なら気にならないような音がやたらと気になったりします。神経過敏になっているということでありますが、その小さな音を気にしだすと、それが意識を占めてしまい、それを過大に評価してしまうということが起きるのであります。ここでもそれと類似の現象が起きていると見ることができそうに思います。 

 従って、子供の結婚ということ、あるいはそれに関する諸々の何かが、親たちにとっては過大なストレスとなっていて、親たちの自我が圧倒されている状態にあるのかもしれません。一つのことに執拗に拘るというのは、この圧倒されている自我にとっては精一杯のことなのかもしれません。 

 また、それと同じようなことでありますが、次のようにも言えるでしょう。その一つの事柄が、焦点化している人のコンプレックスを刺激していると。コンプレックスよいうような不明瞭な言葉の使用は控えましょう。その一つの何かが、その人の過去経験の何かを刺激して、何かを想起させていたり、何らかの感情体験を再現しているということであります。執拗に拘るのは、払いのけることのできないものを払いのけようとする試みとして解釈することもできるのであります。 

 

 いろいろなことが考えられるのですが、上記のような仮定に立てば、それを理解しようとする場合、焦点化しているその人のことを詳しく知らない限り理解しようがないのであります。従って、クライアントたち(つまり当事者である子たち)もそれが分からないのであります。自分の親のことでありながら、そこは分からないわけであります。 

 ただ、上記の仮説に基づけば、親たちは子供の結婚に関して動揺しているという仮定が成り立つのであります。親たちを落ち着かなくさせるほどの影響力がそこにあるわけであります。問題となるのは、この動揺は親に属しているものだけれど、その鎮静が子供に任されているというところであります。子供はそこに違和感を覚えないようであります。それはつまり、それがこの親子の間で繰り返されてきた関係パターンであることを伺わせるのであります。 

 

 さて、記述内容が散漫であり、まとまりを欠いているように感じている方もおられることと思います。このようなトラブルが、当事者である子供たちの結婚が決まってから生じるというところも一つのポイントであると私は思っています。この結婚の話が親たちにはダメージになっており、ある一点を焦点化してトラブルに発展するのはこのダメージの反応ではないかということなのです。ただ、それがなぜどのようにしてダメージとなっているのかは親個人のことなのでなんとも言えないのであります。何か明確な「答え」を期待してお読みいただいている方をさぞ失望させたのではないかと思います。 

 こうしたトラブルが起きると、夫婦のうち結婚に対する抵抗の強い方が結婚を取りやめようという動きを見せることがあります。双方の家族でこんなに揉めてしまったから自分たちの結婚をもう諦めようか、などという動きを見せるのであります。このことがまた結婚を望んでいる方の当事者の負担となるのであります。パートナーが協力者でなくなるからであります。この人はかなりな苦労をして結婚まで行き着くのであります。 

 通常なら、結婚して晴れて夫婦となり、これから新生活が始まるぞっていう時に、この人はすでに消耗しきっているなどということもあるようであります。それだけ多難な道のりを経て結婚に至ったのであります。 

 もしかすると、このようにして結婚した人の中には、結婚に苦しい体験が結びついてしまっているかもしれません。結婚とはそれだけ苦労の多いもので、そんなに幸せなことでもないと信じるようになるかもしれません。私の個人的印象ですが、離婚して新しいパートナーを見つけようという気にならない夫婦には最初に多難な結婚をした人が含まれていると思います。新しいパートナーと結婚しようとしても、またあの苦しい体験をしなければならないのかと思うと、それに踏み出せないというわけであります。それよりも、今のパートナーと一緒の方が苦しいのがまだましだと思い、不幸な夫婦を続けてしまうこともあるのではないかと私は思います。 

 いずれにしても、結婚に至るまでに揉めて、そのためにバタバタと奔走して、結婚後もそのトラブルが尾を引いているということになれば、夫婦は自分たちの結婚をいいものとは思えなくなるかもしれません。悪い記憶ばかりが結婚にまとわりついているということになるかもしれません。 

 

 以上、婚約期における諸問題を取り上げてきました。次項では本節のまとめをしておこうと思います。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)