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<E3ー28>キレる配偶者~事例G

<E3-28>キレる配偶者~事例G 

 

 人は発達していく中で、自分の衝動や欲求を抑制することを身に着け、同時に他者や周囲への配慮を身に着け、さらには相手や場面に応じて顔を使い分けるということを学んでいきます。 

 キレる人がキレる場面においても、そうした配慮とか抑制などが、程度の差はあれ、働いていると思われるのであります。 

 例えば、自分と関わりのある人に対してはキレないという感じの人もおられるのです。そういう人は、家族に対してはキレず、それ以外の人であったり、あるいはモノに対して当たり散らすということをするのであります。 

 また、言葉だけで表す人もあれば行動に出てしまう人もあります。この違いも何らかの配慮の存在を認めることができると思います。言葉では言うけれど、決して手を上げないという人があるわけなのですが、ここには抑制や配慮が多少なりともその人の中で機能しているとみることができそうであります。 

 本項では、家族に対してはキレないけれど、その他の人あるいはモノに対してキレるという例を提示しようと思います。ただし、このような例では、家族がその場面を見ていなければ報告されないものであり、あまりまとまった形で例示できないのであります。 

 そこで、キレる配偶者というテーマからは少し外れてしまうのですが、ペットに当たり散らした父親の例を挙げることにします。 

 

 この父親の自慢は、家族に対して一度も怒ったことがない、というものでした。それは事実であったことを娘(この人がクライアントでした)も認めてはいるのです。しかし、この娘さんはずっと父親を恐れて生きてきて、大人になった現在でも父親を恐れているのであります。 

 確かに父親の言う通り、彼女は直接父親から怒られるという経験はしていませんでした。ましてや暴力とか暴言とかもなかったのであります。それでも彼女は父親を恐れ、常に父親とは距離を取らざるを得ないのでした。 

 一体、彼女は父親からどんなことをされると思っているのでしょうか。彼女の返答は、父親から激しく罵倒されてしまうことだということでした。彼女はそういうことを恐れているのですが、現実の父親はそういうことをしそうにない人であります。 

 では、父親が激しく罵倒する姿をみたことがあるのでしょうか。私は彼女に尋ねてみます。実は最初のころはそういう姿を見たことがないと彼女は答えていたのでしたが、後に彼女が小学校低学年頃のエピソードを語ってくれました。これは思い出したのか、言えるようになったのか、定かではありません。ともかく以下のようなエピソードを彼女は語ったのでした。 

 当時、彼女には怖い人がいました。夜になると罵声を発するおじさんがいて、彼女は眠れなくなるほど怖かったそうであります。ある時、ほんの偶然から、その怖いおじさんが父親であったことを彼女は知ってしまったのであります。時折、夜中に聞こえるあの罵声は、父親がペットの犬に浴びせているものであると知ってしまったのであります。いい父親の悪い姿を知ってしまって、彼女は愕然としたでしょうし、混乱もしたかもしれません。それ以来、彼女は父親を恐れるようになったそうであります。 

 しかしながら、父親は決してその姿を家族には見せなかったのであります。激しく怒っている姿は、ペットの前では見せても、娘の前では見せないのであります。父親はそれでいいと思っているかもしれません。それでも娘は安心できないわけであります。 

 話を進める前に、次の点を押さえておきたいと思います。幼い子供は、大人よりも、動物や昆虫に親近感を覚え、同一視する傾向があるのです。だから小さなお子さんの好きなキャラには動物や昆虫の姿をしたものが多いわけであります。子供はそういう対象に親しみを持ち、同一視していく傾向があるのです。 

 対象と同一視するということは、例えば、対象に生じることは自分にも生じると信じてしまったり、対象が経験することは同時に自分も経験することに等しいのであります。そのようなことが生じるのであります。 

 従って、上記を踏まえるなら、父親がペットに当たり散らすことは、彼女が父から当たり散らされているに等しい体験を彼女はしてしまうわけであります。父親はペットに怒鳴っているつもりでも、幼い彼女には自分が父親から怒鳴られているという体験になってしまうのであります。 

 さて、事例Aの項で、初期に形成された相手イメージが修正されることなく後々まで残り続けるということを述べましたが、本項の女性もそうであります。その時に形成された父親イメージが修正されることなく、彼女は大人になったのであります。彼女が父親を恐れなくなるためには、そのイメージが修正されなければなりませんでした。 

 詳述する余地がないので簡潔に記述しておきます。大切なことは、彼女の現在の大人の自我でその当時の体験を処理していくということでした。ペットに当たるのは父親なりの配慮であるかもしれません。父親にはそういう顔もあったのだけれど、それを決して家族には見せないようにしてきたのかもしれません。父親が今後ともそういう配慮を続けていけるのであれば、彼女は父親から罵倒されるという経験をすることはないでしょう。 

 また、彼女の記憶している限りでは、父親がペットに当たり散らしていたのは一時期だけであり、以後、そういう父親の姿を見たことはないということでした。その頃の父親には何か苦しい状況があったのかもしれません。その状況が変わって当たり散らす必要がなくなったのか、あるいは、もっと無害な形で処理するようになったのでしょう。 

 カウンセリング経過において、彼女の中で父親イメージが変わっていったようであり、徐々に父親を恐れることがなくなり、一人の個人として父親を見ることができていったのであります。言うまでもなく、そこに至るまでにはいくつもの紆余曲折を経て、山を越え谷を登りを繰り返したのであります。 

 

 さて、このような事例を取り上げたのは、家族に対してキレているわけではないからいいじゃないか、という理屈が正しくないことを示したかったからであります。 

 実際、妻や子供にキレているわけではないのだからと、開き直る夫がいたりするのであります。自分がキレても、人を傷つけていないから、自分には罪がないなどと正当化したりすることもあります。決してそう思わないでください、ということが本項の主張なのであります。 

 モノも、所有物は所有者の自我の一部になるのであります。ウイリアム・ジェームズの時代からそのことは指摘されているのであります。パートナーに暴力や暴言を振るわなかったとしても、パートナーが大切にしているモノを壊したりすれば、パートナーにとっては自分の一部が棄損されたという体験につながってしまうのであります。 

 娘が同一視し、大切にしていたペットを攻撃することは、娘にとっては自分が攻撃されているのに等しいのと同じなのであります。モノだから構わないという発想はしてはいけないのであります。 

 また、無関係の他者の場合でもそうであります。例えば夫が店員さんにキレているとします。妻は、夫の方ではなく、この店員さんに感情移入していることもあります。この店員さんが体験していることは、妻にとっては自分が体験していることと同じなのであり、妻は直接キレられているわけではないけれど、それに等しい体験や衝撃をその場面から受けるのであります。 

 家族に対してキレているわけではなくても、それに相当する体験を家族たちはしている可能性もあるのであります。モノとか無関係の他者にキレているだけなので問題はないなどと思いあがってはいけないのであります。そういう姿を見せるだけで家族は影響を受けているものと思って間違いないと私は考えています。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)