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<E3-17>キレる配偶者~キレられる側のカウンセリング

<E3-17>キレる配偶者~キレられる側のカウンセリング 

 

(キレられる側のカウンセリング) 

 一時期はDV問題などでも「加害者」立場の人の来談が目立っていたのでありますが、近年は「被害者」立場の人の来談が増えてきているように感じています。本節の表現に従えば、要するに「キレられる側」の人たちであります。キレる側に問題があろうと、私のクライアントがキレられた側であれば、その人を援助する姿勢でいます。 

 キレられる側が最初にすることはキレる側の非難であります。気持ちとしてはそうしたいことでしょう。それも理解できるので、私はそれを聞きます。ただし、あまりにも度を超すと話を止めることもあります。というのは、それだけで時間が終わってしまうのは好ましくないからであり、何か有意義な体験をカウンセリングでしなければならないと思うからであります。 

 また、キレる側を治療に引き込みたいと願う人たちもいます。もちろん、キレる側の人が受けたいというのであれば私は受理するのでありますが、そうでない限りキレる側の人は度外視します。あくまでもクライアントは目の前の人(キレられる側)であるので、その人を援助するつもりでいるのです。 

 しかし、最初に試みたいことは、クライアントがどういう人であるかを知っていくのと同じように、パートナーのその人がどういう人であるかも知りたいと思うのであります。これには理由がありまして、しばしばクライアントが危険な目に遭うからであります。相手がどういう人であるかということが分かると対策が立てられるのであります。クライアントの身を守らなければならないのであります。暴力がつきまとう問題ではそのことも考えなければならないのであります。 

 さて、キレられる側としては、このカウンセリングは面白くないものになるでしょう。パートナーを治療に導入することもできず、パートナーへの怒りをぶちまけると途中で止められ、そしてパートナーがどんな人間であるのかということを聞かされてしまうのであります。面白くないことでしょう。 

 そこから若干不真面目な態度を取り始める人もあります。ただし、最初からあまり真面目でない感じの人もおられるのであります。どうして不真面目な感じになるのかというと、それが自分の問題であるという認識に欠けているからであります。キレられる側に反省感情が生まれていないということなのであります。 

 ここで中断する人もあるのです。一方で、継続する人もあれば、再び来談するようになる人もあるのです。いずれにせよ、この段階を過ぎると、ようやくカウンセリングらしくなってくるのであります。 

 

(自分自身がテーマになる) 

 最初はパートナーのことばかりが話題になるのですが、カウンセリングの初期の段階ではこれは仕方がない部分もあります。問題は相手の方にあるという認識をしているからであります。 

 やがてクライアントは自分自身をテーマにしていかれるのであります。パートナーのことばかり話しても、自分がそこに関与していない限り自分自身のためにならないことを悟こともあるのですが、パートナーのことばかり話すことに疲れるとか辟易するといった体験をされる方もおられるようであります。 

 そうしてクライアントは自分自身に取り組み始めるのであります。そこで見えてくるものと言えば、自分がどれだけ自分の人生を築いてこなかったかといったことであったり、パートナーに合わせることでどれだけのものを失ったかといったことであります。これを本当に知ってしまうことは辛いことであると思います。 

 大抵のキレられる側は、パートナーに「犠牲」を払っているのであります。パートナーの方はそれを認めないかもしれません。それでもキレられる側も犠牲を払っているのであります。犠牲を払うこと自体は良くても、それに対してパートナーからは感謝もされなかったり、さらなる犠牲を求められたりするのであります。 

 そこまで尽くしても、感謝されるどころか、パートナーがキレて暴力を振るわれてしまうなども起きるのであります。感謝の代わりに鉄拳が飛んでくるというわけであります。そうして、犠牲を重ね、パートナーに振り回され、挙句の果てにパートナーの暴力に怯えるだけの人生になってしまっているのであります。 

 上の記述は大げさに聞こえるかもしれませんが、それくらい人生を不毛にしてきた人もおられるのであります。それより多少はましだという人もあるでしょうけれど、いずれにしても、キレられる側は自分の幸せとかをいかに考えてこなかったかに思いいたるのであります。 

 そこに洞察が至ると、弱々しい感じの人であっても強くなるのであります。本当に人生を悔いるようになると、人はけっこう強くなるものだと私は思います。まだなんとかなるといった希望的観測のようなものが少しでもあるうちは、その人はそのままなのであります。これ以上自分の人生を失いたくないと、本当にそう思うと、人は強くなるものであります。 

 

(結末) 

 では、そこからキレられる側はどうなるのでしょうか。 

 離婚する人も多いのです。と言っても、それまで離婚しなかったのはキレる側に対する怯えのためであることも見られるのです。いわば恐怖心でつながっているだけというような夫婦もおられるのであります。つまり、ずっと以前から夫婦が成立していないのであります。パートナーのキレるや暴力に怯えて一生を送ることのどこが夫婦であるのか、キレられる側の人は人生の選択に迫られるのであります。 

 離婚しないことを選択した場合、パートナーにはいかなる感情も持たず、いかなることも期待しないといった態度を取られる人もおられます。ある妻は「夫は金だけ稼いで来たらいい、一緒に生活はするけれど夫には何も期待しない」ということを表明され、それを実行するようになりました。ちなみに、この妻は夫に怯えて暮らすことの不毛さをかなり徹底的に思い知ったのでありました。夫のために犠牲を払うこと、夫のために大切なものを失うことの無意味さを本当に知ったのであります。 

 おそらく、こうした結末はキレる側からすれば面白くないことでしょう。私のクライアントはここではキレられる側の人なので、私は私のクライアントの人生が上手くいけばそれでいいと考えております。クライアントでもない人の便宜など図るつもりはありません。 

 

文責寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー