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<E3-18>キレる配偶者~仄めかし

<E3-18>キレる配偶者~仄めかし 

 

 キレる側にしろ、キレられる側にしろ、反省感情がその人を改善へと動かしていくのであり、それがカウンセリングを受ける動機にもなるのであります。ただ、こういう暴力が絡む問題では、一般の人がカウンセリングに関してイメージしているものよりもはるかに前段階のところから取り組まなければならなくなるのであります。なかなかカウンセリングらしいカウンセリングに至らないのであります。 

 キレる側の人で自発的にカウンセリングを受ける人は反省感情を持っていることが多いのであります。一方、キレられる側にはそれを欠いていることもけっこうあります。つまり、相手から受ける暴力や暴言が怖いから受けるといった動機であることも多いのであります。前者の方が、改善の動機づけを持っているので、カウンセリングが成立しやすいのであります。 

 さて、ここまでキレる側の人を中心にして考察してきたのですが、キレられる側の人のことにも触れておきたいと思います。おそらく、本項を読む人はキレられる側の人だと思っております。私はこれをキレられる側の人を想定して書いてきているのです。そのため、キレられる側の人のことを書くことにためらいがあるのですが、それでも記述していくことにします。従って、ここから先は自己判断でお読みいただくようお願いします。 

 

 キレるという問題、あるいはDVなどの問題なども、問題を起こす当事者だけの問題であるとは言い切れず、そこにはパートナーの存在も欠かせないのであります。 

 言語化パターン、行動化パターンのところでも触れましたが、パートナーだけに対してそうなるとか、特定の人や場面に対してのみキレるといった人もおられるのであります。その人は、その他の人間関係ではキレるということがないのであります。 

 キレられる側は、パートナーは外面がいいと評価することもあるのです。確かにキレられる側からすればそう見えるでしょう。自分に対してはパートナーは暴言や暴力をふるい、他の人に対しては人当たりがいいなどと映るわけであります。この時、このキレられる側の人は、キレるパートナーが本当のその人であり、他の人前では自分を偽っていると評価していることになるのであります。それは逆であるかもしれないという可能性には思いいたらないのであります。 

 逆であるというのは、つまりキレる時の方が偽りのその人の姿であり、人当たりのいい方の姿が本来のその人の姿である、ということなのですが、私にはこちらの方が事実であると信じています。パートナーがキレるだけでなく、キレられる側がその人のキレるを許容しているのであります。あるいは、相手がキレるのを助長していることもあるのです。 

 人間の行動は場や関係に規定されるのであります。キレる人は、おそらく大部分のキレる人は、誰彼構わずにキレるわけではないのであります。その人がキレない関係の相手もいるはずなのであります。従って、キレられる側にも問題があるとか、キレられる側にも悪いところがあるとか、そういうことを述べているのではなく、キレるという現象が生まれる関係や場面作りにキレられる側も参与しているということなのであります。良い悪いとか、正しい誤っているとか、そういう価値評価はここには含まれていないということを強調しておきます。 

 さて、キレられる側の人とも私はお会いしてきたのですが、そこでどういうことを体験するのかという話をしていこうと思います。 

 

 キレられる側の人、DVなどの「被害者」立場の人などと面接していると、けっこうイライラする場面があるのであります。もし、その人が他の場面でもそうであるなら、パートナーや周囲の人をイライラさせることがあるかもしれません。ただ、当人はそれに気づいていないのであります。 

 このイライラの要因を以下に述べていくつもりなのですが、当然、個人差があります。人によって違うものであるということをお断りしておきます。すべて私の個人的経験に基づいているものであるので、一般化することはできないということはご了承いただきたく願います。 

 

(仄めかし) 

 これはけっこう頻繁に見られるように私は感じています。「仄めかし」というのは、はっきりと意思表示せずに、婉曲的に相手に悟らせるようなことを言うということであります。端的に言えば、自己主張しないということになるのですが、その自己主張が曖昧なのであります。ハッキリ意思表示してほしいとこちらが願う場面でそれをされると私もちょっと困ってしまうのであります。軽くイラっときてしまうこともあるのであります。 

 例えば、次のような夫婦のやりとりがあります(シチュエーションは変えてます)。 

 休日の昼前、夫(キレる側)が、「今日はみんな揃ってるから家族そろって外食でもしようか」と妻に尋ねます。妻は「行ってもいいけど楽しめない」などと答えます。 

 夫はイエスかノーかで答えてほしいのでありますが、妻はイエスともノーとも言っていないのであります。妻がイエスと言ったのかノーと言ったのか、夫が決めなければならないのであります。そこで夫は次のように言うわけです。 

 夫「それじゃあ、やめとくか」、と。すると妻は「行かないとは言ってない」とお答えになられるのであります。夫は「じゃあ、行こうか」と、妻は「でも、楽しめないから」などと応じるのであります。 

 最初に夫が外食を提案した時に、例えば妻が「今日は気分が乗らないから行きたくない」と言えば、それはそれで夫に通じたでしょう。あるいは、「行きたいけど気分が乗らないから、ちょっと考えさせてくれない」などと言っても夫には通じたでしょう。 

 こういう場面における妻の言い分は、「ノー」と言って夫の気分を害したくないからといったものが多いのですが、私はそうではないと考えています。夫の気分を害したくないということであれば、イエスと言うでしょう、そして、気分が乗らなくても、家族で外食している時間は楽しそうな素振りをすることでしょう。 

 私が思うに、妻は困惑しているのであります。その困惑がイエスともノーともつかない応答を生み出していると思うのです。従って、夫が外食の提案をしたときに、「行きたいけれど、そんな急に言われたら困るわ」というのがかなり本心に近いのではないかと私は思います。もしそうであるなら、「急に言われて困るわ」とそのまま言った方がいいのであります。 

 ここで夫がどういう人であるかによって変わるのでありますが、もし妻がイエスともノーとも分からない返事をしたときに、どちらであるかを妻が決めるまで付き合うという夫であればいいのでありますが、その曖昧さに耐えられない(キレる人には多いと思う)という夫であるかもしれません。 

 

(不誠実・不真面目) 

 キレられる側とかDV被害者側の人と面接している時に、私もその人に尋ねることもあります。イエスかノーか、そこをハッキリ決めてほしいと私が願う場面で曖昧に返答されると、先へ進めない場合もあるのです。イエスなら次はこうする、ノーならああするといった方針が立てられないわけであります。 

 あるいは、非常に真面目な質問をしたのだけれど、どっちつかずの返答が来るということも私は経験するのであります。私はその傾向がその人の抱える問題であるという目で見るのであまり気にならないのでありますが、パートナーにはどう映るだろうかと思うのであります。 

 端的に言うと、その曖昧で仄めかすような返答は、不誠実感とか不真面目感として相手に伝わってしまうのではないかと私は考えています。つまり、妻が曖昧で仄めかすような返事をすると、夫は妻に不誠実さや不真面目さを見て取ってしまうということであります。妻はただ困惑しているだけなのかもしれないのに、全く違った意味合いのものが夫の側に生まれてしまうわけであります。それが夫の何かを刺激してしまうということもあり得ることであると私は考えています。 

 

文責寺戸順司高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー