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<H1-2>ACはなぜ成長しないのか

H1-2>ACはなぜ成長しないのか 

 

 私はAC理論や共依存理論には賛成できないので、もしかすると、私の言うことが厳しいものに感じられるという方もおられるかもしれません。もし、そのような体験をされてしまう方がおられるとすれば、たいへん遺憾に思います。 

 一つだけ注意しておきたいことがあります。私の言うことは確かに厳しいもの聞こえるかもしれませんが、それは自称ACの人たちの置かれている状況が厳しいためでもあるのです。彼らがその状況から抜け出すためには多少厳しいことも言わなければならなくなるのです。その点もご了承願えればと思います。 

 

 さて、前項で斉藤学先生の挙げておられる事例を借用しましたが、もう少しあの事例を通していくつかの問題点を考えてみたいと思います。 

 あの息子がどうしてそこまで勉強をしなければならないのかは不明であります。彼が自ら選んだことなのか、親が強制したことなのかは記載されていませんでした。また、彼が将来何を目指しているのかも不明であり、それも彼が自分で決めたことなのか親が決めたことなのかは記載されていませんでした。 

 つまり、どこまでが親の期待で、どこからが本人の意志によるものかが不明なのであります。不明な個所は推測で補っていくしかないのですが、AC理論や共依存理論は、案外、そこを明確に言わないという印象が私にはあるのです。あくまでも個人的印象に過ぎないものですが、どこまでが親の領域で、どこからが子の領域であるか、もしくは、どこまでが親が負わなければならない部分で、どこからが子供が負わなければならない部分であるかがきちんと考察されていないというように私は感じるのです。 

 仮にこの息子は一流の難関大学に合格するために猛勉強しているのだとしましょう。斉藤先生の記述では、こうした目標は親の期待であるというニュアンスが読み取れるのですが、現実のところはどうであるか分からないのです。それは親の期待であったかもしれないし、息子自身が目標としたところであるかもしれません。あるいは親の期待でもあり彼自身の期待であったかもしれません。 

 もし、この子が大学受験に失敗した時、この子は親のせいでこうなったとか、自分は本当はその大学に行きたいとは思っていなかったなどと言うかもしれません。それは事実であるかもしれませんし、この子の自己欺瞞であるかもしれません。 

 仮にそれが親の期待であったとしても、一時期は自分の目標でもあったものではないでしょうか。そうなると、この失敗(受験に不合格だったこと)は彼自身のものでもあるのです。しかし、親のせいでこうなったと彼が訴えれば、彼はこの失敗を自分のものではないことにできるし、無効にしてしまうこともできるでしょう。つまり、その責は私にはなく、親にあるのだということにできるのです。自分の中にあるものを自分にはないものとして、自分中にあるものなのに他者にそれがあるという認識に至るわけでありますが、これは一つ分裂を生み出しているということになります。 

 私がこれを言うのは、自称ACの人の話によくこの種のことが出てくるからです。例えば、ある男性は父親の言うとおりにやったところ上手くいかなかった、だから父親が悪いのだと言います。しかし、父親の方法を必要としていたのは彼自身ではなかったでしょうか。そうなると、この男性は自分が上手くいかないということをただ否認しようとしているということになるのではないでしょうか。さらに、彼がそれを否認しなければならないのは、彼にとってそれが許されないことになっているからでしょう。つまり、それが彼の自己を脅かすということではないかと思います。そう考えると、彼に必要なことは、父親を責めることではなく、父親方法必要としていてそれを採用した自分にも責任があることを認めることであり、上手く行かなくても壊れない自己を形成していくことであるということになるのではないでしょうか。 

 本当に100%純粋に親の期待だけで子供が行動するでしょうか。私はそこは疑問に思う部分であります。 

 

 さて、次にあの事例における疑問点は、あの時、息子は何を求められていたのでしょうか、という問いであります。 

 息子は深夜まで勉強しています。深夜2時まで勉強する計画だったとしましょう。この子が求められているのはその時間まで勉強することであって、母親にラーメンをぶつけることではないのです。従ってある種の義務放棄をこの息子はやっているということのですが、これは大人の行為ではないということは理解できると思います。 

 この種の義務放棄を自称ACたちはやってしまうという印象が私にはあります。 

 例えば、親のせいでこうなったということを何とか親に分からせようと親に説得する人がいます。朝であれ、夜であれ、この人は親をつかまえては昏々と説教をするのです。 

ある時などは、朝の出勤前にこの人はそれをしてしまうのです。親はこれに付き合わされるのです。ちなみに、自称ACの子供の親たちはこういう優れて良い親たちが多いようにも私は感じています。良すぎるくらいであります。 

 この時、親はこう言うべきでした。「今、あなたはそれをする時間ではないでしょ。あなたは今日出勤することが求められているでしょ。会社の人たちはあなたが出勤することを期待しているのでしょ。その話は帰ってから聞いてあげるから、今あなたがするべきことをやりなさい」と。 

 多分、ACの人たちは親のこの発言を気に入らないと思うでしょう。親から突き放されたという経験となってしまうでしょう。そして、やっぱりひどい親だという結論に至ってしまうのでしょう。 

でも、ACの人たちが成長しないのは、今自分が求められていることに取り組まないというところにも起因しているように私は思うのです。今求められていることを放棄して、今の自分に求められていないことを優先するのです。言い換えると、他人のことよりも、自分の都合が優先されるということであります。彼らの問題点一つである「自己への没頭」がここに観られるのであります。 

 もう一度繰り返しましょう。この日は彼の出勤日です。休日ではありません。彼は会社に行くことが要請されているのです。そういう雇用契約がなされているわけです。この契約を遂行することが彼に求められているということです。また、彼が会社に来ることを、会社の人も彼の顧客も期待しているのです。急に彼が欠勤することはその人たちの迷惑になってしまうわけです。だから、まずはそれに応じなさいと私も言いたくなるのです。仕事が手につかなくとも、集中できなくとも構いません。とにかく求められていることに応じてみなさいと言いたくなりました。彼が社会で上手く生きていけない訴えても、私には何も不思議なことではありませんでした。 

 

 AC理論にはそういう観点が欠けているかもしれません。親がどんな人間であれ、どの子供もその子供に求められていること、要請されていることがあるのです。学校に行くこと、試験を受けることもそうであります。ただ学校に行っただけであったとしても、あるいは、試験の結果が芳しくなかったとしても、そこは関係がないのです。ただ、自分に要請されていることに応じるということです。最低限のところで構わないので、それに応じてみるということです。ACたちはそこを回避してしまうので、そこから先に進まないとも私には感じられるのです。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)