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<H1-3>「自称AC」とは

H1-3>「自称AC」とは 

 

 さて、ここで「自称AC」とはどういう人たちのことを指しているかを明記しておこうと思います。 

私の言う「自称AC」とは、直接的な形であれ、あるいは間接的な形であれ、「自分はアダルトチルドレンだ」と告白する人たちを指しています。こういう告白をするのはいかにも彼ららしいという感じがします。そのことに関しては後に取り上げることにしましょう。 

 さらに、そこまであからさまに告白しなくとも、AC理論を信奉している人たちも「自称AC」に含めています。 

「自称AC」の人たちやAC理論を信奉している人たちとは、さらに、どういう人たちであるかと言いますと、この人たちはある特徴的なことをするのです。親を変えようとしたり、親に分からせようとしたり、親にカウンセリングを受けさせたりするのです。こうした行為はAC理論信奉者に特有のものであると私には思われますので、このような行為をする人たちも本章では「自称AC」に含めるということであります。 

 尚、親をカウンセリングに送り込むというケースは、子供のことでカウンセリングを受けに来る親とは全く異なるケースであるという点は押さえておきたいと思います。そういう親たちは自発的にカウンセリングを受けに来るのですが、自称ACケースでは親が半強制的にカウンセリングを受けさせられるのです。両者はまったく異なったケースであるのです。 

 

 開業した初期の頃は、こういう親と何人もお会いしました。カウンセリングに送り込まれる親たちのケースに関しては項を改めて論じたいと思います。 

 以後、親を送り込むケースのことをサイトで書いた所、徐々にそういうケースは影を潜めていきました。 

 その代り、今度は「自称AC」本人たちがよく来られるようになったのです。私はその経験をサイトで綴りました。すると、「自称AC」の人たちも私を敬遠するようになったのでしょうか、あまり訪れることがなくなったのです。 

 その後、近年になって、再び「自称AC」の人たちや親を送り込んでくるケースが目立ち始めたので、再度、このサイトで取り上げている次第であります。 

 

 子供によってカウンセリングに送り込まれた親たちは、その大部分が母親だったのですが、まず良く出来た母親たちでした。私はその点は誤解のないように強調しておきたいと思うのです。 

 「自称AC」の子供たちは、子供と言っても20代30代の若い人たちでしたが、もはや「子供」とは言えない年齢の人たちであります。彼らは別に罪のない人たちであり、どちらかと言えば純粋すぎるくらい純粋無垢な人たちであるという印象を受けています。 

 私たちは誰もが子供時代を経験しています。そこから「大人」という状態へと成熟していくのです。それは確かに苦難の多い道のりであるかもしれませんし、私たちの誰もが子供時代から完全に抜け出ているわけでないのです。大人とは、仮に完全に大人になっていなくても、成熟に方向づけられている人たちであると私は考えています。ちなみに、その反対の方向とは退行であります。子供がえりするという方向であります。 

 ストア哲学のように人が子供であることは罪であるとまては言わなくても、社会が大人で構成され、大人が生きるための社会である以上、子供のままでいることは社会で生きることを困難にしてしまうでしょう。生きていくためには、「自称AC」は大人になっていかなければならないのです。 

 私が彼らに望むのは、彼らがこの世界で生きて行けるようになることだけなのです。親を攻撃したり、親を変えさせることなど、私は望まないのです。「自称AC」はそこを理解しないかもしれませんし、私のその望みは彼らには脅威と映ずるかもしれません。 

 

 さて、「自称AC」の問題は、子供に送り込まれる親たちと、現実にカウンセリングを受けに来たAC信奉者たちと、さらにはその二つとは別のルートで私にもたらされることがあります。それは「職場にいる困った人」という形でもたらされるものであります。 

 クライアントは自分自身のことで来談されるのですが、その話の中に困った部下や生徒のことが登場することがあります。その「困った人」の中に、しばしば、AC信奉者がおられるようであります。 

 前項で少し述べましたが、「自称AC」たちは今やらなければいけないことをそっちのけにして、自分の都合の方に熱中してしまうということをやってしまうのです。職場にこういう人がいれば、確かに周囲には迷惑なことでしょう。 

 あるクライアントが話してくれたことですが、部下が仕事中に仕事以外のことをやっているので困るそうでした。その部下に注意しても、部下は大切なことをやっていると言い返すそうです。その大切なこととは何ぞやと言いますと、「機能不全家族」だかなんだかの掲示板を読むということだったそうです。そのクライアントの言うところでは、会社にとって大切なことと部下個人にとって大切なこととを区別してほしいと嘆いていましたが、私もまったく同感であります。 

 また、別のケースでは、ある部下の女性は、自分が両親からどれだけひどいことをされてきたかという話を仕事中に延々とするのでした。この人の上司(この人が私のクライアントだったわけですが)が言うには、「そんな話はどうでもいいのだ、頼むから今日中に終わらせなければならない仕事を終えてくれ」と心の中では叫んでいるそうでした。まことに、職場に一人ACがいると、周囲に多大な迷惑をかけてしまうものであります。 

 斉藤学先生は親の期待が見えない虐待であると述べておられるのですが、このようなケースを見ると、ACは期待されるということがどういうことなのか、それがそもそも分かっていないのではないかとさえ思えてくるのです。言い換えれば、ACの人たちは今の自分が置かれている状況をきちんと見ないという印象を私は抱くのです。今、自分が期待されていることは何なのかをきちんと見ることができないという感じがしてくるのであります。 

 ちなみに、期待とは、すべて能力以上のものを期待されるのであります。その人の能力以下のものに関しては、いわばそれができて当然なので、そんなことに人は期待をかけないのです。ある人が私に期待をかけます。それは私の能力を超えているように思われています。この人の期待に応じようとすれば、私は私の能力を伸ばしていくか、私の中から引き出してくるかしなければなりません。期待がかかるとは常にそういう状況なのであります。これを暴力と言ってしまったら、人が人に期待するという行為はすべて暴力になってしまうのではないかと私には思われるのです。 

 それはさておき、これらのケースから、ACとは、心的に親と過剰に結びついている人たちであるように見えてきます。親が不在の場面(職場など)においても、(いい意味でも悪い意味でも)親と結びつこうとしている姿が見えてくるように私には思われるのですが、いかがなものでしょう。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)