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<H1-6>親を変えようとする子供たち

H1-6>親を変えようとする子供たち 

 

 ACの人たちの中には、自分の親を変えようとする、もしくは親に何かを分からせようとする人たちがいます。彼らはその活動に躍起になってしまうのです。私からすると、「今さら親を変えたところで何になるのか」と思うのですが、彼らはその活動にひたすら執着するのです。 

 確かに、親子がある程度仲良くなることは望ましいことでしょうし、家族としてまとまっていくことも必要なことでしょう。親と子が反目し合っているよりかは和解をした方がいいでしょう。その達成のために親も子供も変わっていくというのは私も賛成できるのですが、それ以上のものを求めているとなると、それは少し行き過ぎてしまっていると感じてしまうのです。 

 彼らは親を変えようとします。あるいは親にわからせようとします。そのために親をカウンセリングに送り込んだりします。本項では、子供のその行為に関する諸問題を取り上げることにします。 

 

 まず、すでに述べたように、子供が理想とする親に現実の親が変わってくれるという期待、自分にはそれができると信じる万能感は幼児時代のものであると私には思われるのです。また、親が変わることによって、自動的に自分が望ましい状態になれると信じることも幼児の認識であると私は考えています。これは魔術的思考であるように私には思われるのであります。 

 従って、子供がこの行為に従事することは、その子供を幼児の段階に引きとめ続けることになり、そこに一つの問題点があると私は考えています。親を変えるか変えないかの前に、子供はその幼児期の段階のものから卒業しなければならないと私は考えているわけであります。従って、彼らはその行為を断念しなければならないと私は考えています。 

 

 次に、親を変えようとするということは、現実の親を否認する行為と見ることができます。子供はそういう形で親を否認することによって、さらに何を否認しているのでしょうか。否認されているのは現実の親だけなのでしょうか。 

 私が思うに、子供が否認しているのは現実の親だけではなく、その親との間で経験したあらゆる記憶をも含んでいるのです。忌まわしいもの一切を排除したいのだと私は思います。それを親を変える(現実の親の否認)という形で成し遂げようとしてしまうのだと思います。 

 そのように仮定すると、ここにはどういう問題があるのでしょうか。それは自分の中にある経験や記憶を自分から追放するという問題であります。自己分裂を引き起こしてしまうという問題であります。自分の中にあるものを自分には無いということにしてしまうのです。認められるものは残し、認められないものは無化することによって、自己が分断されてしまうのです。こういう問題を孕んでいると私は考えています。 

 

 私は危機に関する項で、「複数の義務」が同時に圧し掛かってくるという状況を挙げました。 

 複数の義務が圧し掛かってきたとしても、やはり、私たちは一つずつこなしていくことになります。同時にはできません。それでも、平行してやっていくことはできます。しかし、パニックになり、自我が機能しなくなると、平行してやっていくことも困難になるかもしれません。そうなると、一つを完全に終えるまでは、その他の義務は放置されてしまうことになります。それでも何もできなくなるよりかはましであるかもしれません。 

 大学卒業に必要な単位を取得することと就職活動を同時にしなければならないという状況に置かれた場合、どちらも不可能になってしまうよりかは、「先に大学を卒業しなさい、その後で就職活動をしなさい」と伝える方がましであるかもしれません。どちらも失うより、一つでも獲得している方がまだいいのかもしれません。その代わり、就職活動が先送りになってしまうというリスクが伴うのですが。 

「自称AC」の人たちには、親を変えること以外にも彼がしなければならないこと、取り組まなければならないものがいくつもあるのです。同時進行で出来ない場合、他を切り捨て、何か一つだけに限定するでしょう。 

 そうなると、彼は親を変えることだけをするのです。他のことは手付かずで放置されてしまうのです。それでも時間は経過し、彼の人生が進んでしまうのです。本当にしなければならなかったことを、ずっと後になって取り組むことになってしまうのです。こういう問題も生まれるのです。他人を変えることに人生上の莫大な時間を費やし、自分のために本当に必要なことが手付かずで残されてしまうのです。 

 

 最後に、親を変えることの最も大きな危機があります。 

 彼は親を変えようとしています。そして、現実に親が変わったとしましょう。そこで彼にもたらされるのはどういうものであるでしょう。二つ想定できます。 

 彼の望むように親が変わった、それで彼が満足して、彼の人生が前に進み始めた、そんなふうに思われるでしょうか。私は「それはない」と考えています。 

 まず、親が望むように変わってくれたとしても、それによって自分にもたらされると期待していたものがもたらされるかどうかは分かりません。親が変わってもそれがもたらされなかったという経験をしてしまうかもしれません。私は必ずこの経験をしてしまうと信じています。なぜなら、子供が親を変えるのは自分のためであるからです。しかも、子供のその期待は現実に根ざしていないからであります。 

 自分にもたらされるはずだと期待されていたものがもたらされなかった時、子供はさらにどういうことをしてしまうでしょうか。簡単であります。期待しているものが得られないのであれば、それは親が悪いとか、もっと親が変わらなければならないという信念が生まれるのです。従って、今まで以上に彼は親を変えなければならなくなるのです。 

 もう一つ、親が変わった場合にもたらされる問題があります。もし、親が変わったとすれば、それ以前の親子関係がますます「異常」なものに子供には見えてしまうという問題であります。親が良い方向に変われば変わるほど、それ以前の親、過去の親との関係で経験したことを子供は受け入れ難くなるのです。 

 その結果、子供はますます自分の過去を受け入れることができなくなり、「異常」意識に囚われてしまうのです。実際、そのように考えられるケースもあるのです。 

 

 以上、親を変える試みとそれがもたらす諸問題を取り上げました。それは子供を幼児心性に留まらせてしまうこと、否認と排除による自己分裂を促進してしまうこと、本当に取り組まなければならないことを先送りしてしまうこと、失望や異常意識の増大ということの4点でありました。 

 これに関しては他にも問題はあるのですが、現段階で私が問題と感じられているものだけを提示しました。 

 

 私は親を変えようと執着している人たちに対して、それを断念するように忠告するのです。ACの人たちはこの忠告には従わないのです。彼らの中で一つの構図が完成されているからだと私は思います。その構図とは、「自分は親による被害者である」という構図であります。この構図に従う限り、自分が親を変えるのは当然のことであると経験されてしまうかもしれません。これを断念するとは、「加害者」を野放しにすることだというふうに思われてしまうかもしれません。しかし、彼がその行為を遂行しようと必死になっている間にも、無情にも、彼の人生は過ぎて行っているのです。多くのことがそうして手遅れになってしまうのだと私は思います。 

 ACの人たちは、大抵の場合、こういう考え方をする私に敵意や反感を抱くのです。確かに、彼らからすると、自分が間違っていると言われているかのように見えてしまうのだと思います。彼らの間違いを指摘する意図(これも多少はある)よりも、彼らが自分の人生を不毛にしてしまうのを私が無念に感じるからであります。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)