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<H1-9>ACというカルト集団

<H1-9>ACというカルト集団 

 

 宗教団体や政治団体にはカルト団体が形成されることがあります。あるいは、かつてはそうではなかったのに徐々にカルト化していったという例もあります。こういうカルト団体にはある程度共通してみられる傾向があることが指摘されています。 

 まず、仮想の敵を作るのであります。次に、自分たちが上手くいかないこと、団体が失敗すること、その他、世の中が上手くいかないことなどは、すべてその敵のせいであるという教えが流布されるのであります。団体の構成員、信者たちはその教えを信奉するのであります。そして、その敵を攻撃することは正当化されるだけでなく、時に、積極的にその攻撃が推奨されることもあります。こういう経緯は共通するそうであります。 

 ここからは私の見解でありますが、敵を作るということは、スケープゴートをこしらえるということであります。だから、かなり差別的な見解を持っている団体であることが窺われるのであります。そして、すべての罪がこの敵に押し付けらることになるのですが、これは罪の赦しなどの体験とはならず、罪を敵に擦り付けることで優越を体験できているだけのことであります。そして、敵への攻撃は推奨されるだけでなく、「聖戦」のようなニュアンスを帯びてくるのだと思います。 

 私だけかもしれないのですが、こうしたカルト教団のことを聞くとすぐにAC者が思い浮かんでくるのであります。彼らのやっていることは、カルト教団と差がないように思えてくるのであります。仮想の敵とは、彼らの場合、主にその親であります。私のような反AC論者も敵の一人に数えられているかもしれません。そして、彼らは、穏やかな形であれ激しい形であれ、親を攻撃することを始めるのであります。 

 前項で、AC者はそれ以前は親のことを、嫌悪はしていても憎悪はしていなくて、AC信奉者になってから激しく憎悪するようになると私は述べました。本項の観点に立てば、それは親が親から敵に変わったということになるでしょうか。 

 この親への攻撃二種に分けることができそうに私は思います一つ親の破壊であります。親を直接的に攻撃して、徹底的に罪を認めさせるといったことであります。もう一つ親を変えるということであります。これは宗教で言えば改宗させるということになるでしょうか。それでも、この改宗親が罪を認めることで成り立つ彼らは信じているようなので、根底では共通しているかもしれません。 

 

 私はACカルト教団等しい考えています彼らの親がカウンセリングを受けに来ることもあります。AC信奉する子供に手を焼いてこられるのであります。時に、私はこの親に言うのであります。「もうその子供は戻ってこないという覚悟をしておいてください」と。子供はカルト教団に入信したようなものであるからであります。 

 

 AC関する書籍とか論文とか多数出版されております。私はそのいくつかを読んだ程度であります。読むに耐えるものがほとんどないと感じております。そんなものを読む時間があれば、ミステリでも読んでいる方がましであると考えています。 

 いつぞやも買い物しすぎる女たち』を読んでブログにしたためたことがあります。私はあれは依存症の本だと思っていたのでしたが、蓋を開けてみればただのAC本でした。 

 ある程度学術書や思想書を読みなれた人であれば、あの本が読むに耐えないという気持ちもわかってもらえるかと思います。私はあの本はプロパガンダであると思っています。おそらく、その他のAC本もそうなのだろうと、勝手にではありますが、そう信じております。 

 しかしながら、学術論文にもプロパガンダの要素があることは確かであります。その論証の正しさを宣伝するといったニュアンスが含まれてしまうからであります。それでも学術書などにはそれ以外の要素があるのです。 

 例えばある事柄に関してはXと考えるのが正しいということを著者は主張したいとしましょう。その時に、それに関しては従来A理論が述べられ、近年ではB理論が取り上げられている状況があるとしましょう。そうであれば、A理論について述べ、同じくB理論についても述べるでしょう。その上で、X理論がA理論よりもどういうところで優れ、どういう点でより適正であるかなどを考察していくでしょう。B理論に対しても同じ手続きが取られるでしょう。そして、きちんとした学者さんであれば、A理論のどいうところをX理論に引き継ぎ、B理論のどこをX理論に取り入れたかといったことまで明記することでしょう。そうすることによって、X理論の位置づけが明確になるのであります。さらには、X理論に対して起こり得そうな反論に対してもその妥当性を考察することでしょう。 

 こう言ってよければ、このような書き方をされていると、読者には開かれているのであります。A理論とB理論があります、私はX理論を打ち立てます、どれが正しいか読者は比較検討することもできるので、どれが正しいと思うかは読者に任されていることになります。この意味において、この本は読者にとっては開放的であるわけです。 

 もし、最初からX理論だけを押し付けられるのであれば、読者はその理論を受け入れるしかなくなるのであります。最初から一定の見解、一定の枠組みを読者に課すわけであり、読者はそれ以外の見解と比較検討する道がなくなるのであります。従って、こういう記述は読者を拘束することになり、閉鎖的であるように私には思われるのであります。 

 ちなみにプロパガンダというものは、前者のようなやり方、つまり複数の見解を提示して比較検討するというような記述では成功しないものであると思います。一つの決定的にこれが正しいというものを最初から打ち出さないと成功しないものであるように私は思うのです。 

 「毒親」が子供をだめにするという理論を打ち立てようとすれば、親が毒親でもACにならずに生きている人、親が毒親ではないのにACになっている人をも研究の俎上に載せていかなければならないわけであります。また、もともと毒親である親と、子供が毒親にした親とも比較して検証しなければならないでしょう。そうした手続きがなされていないように私には思われているのです。 

 ACに関する本は私にはプロパガンダのパンフレットのように思えてくるのであります。うまく言えないのでありますが、普通の学術論文などとは異なった印象を受けるのであります。 

 

 こうしてAC信奉者後を絶たないということであれば、このプロパガンダ概ね成功していると言えるのでしょう。しかし、ACのような理論は、いつの時代でも信奉者を獲得してきたものであります。特に目新しい現象というわけでもないように思います。 

 

 さて、カルト化は別として、このプロパガンダが主張していることは、人間とはすべて親による被造物であるということに尽きると私は考えています。子供が善人になるか悪人になるか、親が決定し、親が作るという思想であります。そこには人間の自己形成の可能性などは不問にされているのであります。主体性とか自己決定とか、その見解には含まれていないのであります。 

 人間が親とか誰か他者による被造物であるという考え方は、つまるところ、個人非人間化であります。個人は、人間ではなく、機械のようなモノと等しくなっているのであります。これをすればこういう結果になる、ここを操作するとこう動く、そういった説明書と同じように人間を記述しているように思われてならないのであります。 

 この個人を非人間化する理論を信奉することは、その人は自らを非人間化するに等しいと私は考えています。そこから再び人間の世界に戻ってくることは困難が伴うかもしれません。親たちにもう子供は戻ってこないかもしれないことを覚悟してください、と私がいうのもそのためであります。 

 そして、彼らが自分を非人間化するのと同じように、彼らは親も非人間化していくのであります。親は「毒」なのだそうであります。そうして彼らは非人間の世界に生きるようになるのでしょうか。生命のない世界に彼らは生きているように思われてならない時が私にはあるのですが、生きながら死んでいるようなもので、そこに至ると回復は限りなく困難になると私は考えております。AC者になるとは、人間からの脱落でしかないと私は考えています。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)