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<T006-08>(R2-13)カウンセリングは答えを提供する場ではない

<Ⅱ-13> カウンセリングは答えを提供する場ではない (約4200字) 

 

 カウンセリングを受ければ私から、何か的確な回答が得られるものだと期待して訪れるクライアントはたくさんいます。ほとんどのクライアントがそうだと言ってもいいでしょう。 

 しかしながら、私には、彼らに答える言葉を持たないのであります。私は、他人の心に関する事柄に対して的確な答えが述べられるほど、「心」や「人生」を十分に理解している人間であるとは、自分でも捉えていません。私には、今だに、人間というものが分からなくてどうしようもないのです。 

 

(事例)答えは得られずとも満足を得たクライアントの例 

 ある女性クライアントは、二回目の面接で、前回の面接を終えてから帰って、夫に「カウンセラーからなんて言われた」と質問されたと話しました。彼女は、「特に何かはっきりしたことは言わなかったけど、よく、話を聞いてもらえた」と答えたのでした。それに対する夫の返事と言うのは「何も言ってもらえないなんて、そんな所に行って大丈夫か?」というものでした。 

 私にはどちらの言い分も頷けるのであります。夫の方は、何か的確なことを言ってもらわなければ受ける価値がないと考えていたわけであります。 

 つまり、妻は答えを求めてカウンセラーの所へ行ったのだろうとこの夫信じていたのです。 

 一方、彼女の方は、的確なことは言ってくれなかったとしても、聞いてもらえて良かったという体験をしているのであります。的確な答えは得られなくても、彼女はカウンセリングに満足して帰ったのであります。夫の方は、彼女のそういう感情がよく理解できないのでしょう。 

 この夫は、私から見れば大人しい方でした。「そんなんやったら行く意味がない」と言って、妻のカウンセリングを強制的に止めさせるような人もあります。実際「夫が、そんな所に行くなと言ったので」と、カウンセリングを中断した女性クライアントもありました。 

 

 答えを求めようとする傾向は、男性の方が強いようです。男性のクライアントは、自分の内面を表現することよりも、どうすれば解決するかを聞きたがることが多いものです。つまり、答えを得ようとするのであります。 

 私が、「あなたの問題に対する答えは私の中にはありませんよ」とか、「どうして私が答えを知っているなんて思われたのでしょう」などと言おうものなら、「それじゃ、お前はなんのためにここにおるねん」とキレる男性クライアントもありました。私のことを神様とでも思ってるのでしょうか、どうして初対面の人の抱えている問題の答えを私が知りつくしており、それを伝授することができるなどと期待できるのでしょうか。「そんな、神様じゃあるまいし」と、私もキレたくなったことを覚えています。 

 

 また、このような事例もあります。これは私が同業のカウンセラーから聞いた話なので、私が直接体験したことではありませんが、関連があるので引用させてもらうことにします。 

 彼の前に、一人のクライアントが座っています。クライアントは尊大な態度で足を組み、鞄から札束を積み上げ、カウンセラーに、「この金で、俺の問題を何とかしろ」と言ったそうです。彼は、とても立派な態度なのですが、そのお金を受け取らず、あなたの期待には添えられないと言って、クライアントに帰ってもらったのでした。このクライアントも、カウンセラーに答えを期待し、解決してくれることまで期待していたのでした。 

 

 そもそも、「心の問題」であるとか「心の病」と言われるものに対しては、明確に答えを出せるような内容のものは一つもないというのが、私の見るところでは、現実ではないかと思うのです。算数の問題のように、問題と回答が一対一で結びついてるようなものではないのであります。次のような例をみてみましょう。 

 

(事例)夫の自殺を経験した女性クライアントの例 

 クライアントは女性です。彼女は語ります。 

 「昨年、夫が自殺をしました。うまくいかないことが重なっていて、たいへんだったということは、見ていてわかっていたんです。最後に勤めていた会社は、夫が望んでいたような仕事ではなかったし、不本意ながら働いてるという感じで、無理をして働いてくれていたのは分かるんです。あの日も、いつもと同じように出勤したのです。いつもと変わらない一日でした。それが、そのまま、帰ってくることなく、こんなことになるなんて・・・。私には何も言ってくれませんでした。夫は、死ぬ時に、私や子供のことを考えてくれなかったのでしょうか? お葬式でも、どこかぼーっとしてしまって、何が何だか分からないうちに終わってしまいました。遺灰を見て、初めて、夫はもういないということを突きつけられたように感じました・・・夫は、私たちを捨てたんです。私と子供のことを考えたら、自殺しようなんて考えることもできなかったでしょう。でも、夫はそれをしてしまったんです。許せないんです・・・私はこれからどう生きていけばいいのでしょう? 夫は、なぜ、自殺を選んだのでしょう?」 

 この発言には、質問と言える箇所が三か所あったのですが、あなたはそれに的確に答えることができるでしょうか。彼女の夫がなぜ自殺をしたか、当然、私にも分かりません。彼女が、この先どう生きていけばいいのかなんて、私には言うべき言葉を持っていません。「子供のために、夫の分もしっかり生きなさい」などと言うことは簡単でしょう。でも、打ちひしがれたようになっている人を目の前にして、そういう言葉を平気で投げかけることができる人は、私から見れば、その人の方が「心の病」であります。 

 そもそも彼女は本当に答えを求めているのでしょうか? まず、そうではないでしょう。誰かに聞いて欲しいと望んでいるわけであります。だから、カウンセラーを訪れているわけであります。そして、特に何を聞いて欲しいかと言えば、この発言では、自殺した夫に対しての恨みの感情なのであります。これは、身内に対してはなかなか表現できない感情なのであります。ここでは、それを聞くことが、彼女の援助になるわけです。彼女は、何一つ的確な答えが得られなくても、その感情を聞いてもらえたという体験が救いとなったわけであります。 

 

 さて、答えを求めようとするクライアントの行動の話に戻りましょう。カウンセラーに答えを求めるということは、結論を先に言ってしまえば、それは自分を捨てていることになるのであります。 

 それはクライアントが自身の内面を見つめていくことによって、見えてくるものなのですが、クライアントはそれをしないで、カウンセラーに答えを求めているのです。それは自分のことを投げ出してしまってるのであります。つまり、「私は何もしません、でもあなたの言うことだけは聞いて帰ります」というような態度なのであります。 

あなたが問題を何か抱えているとして、その解決と言われるものは、私の中にではなく、あなたの中にあるものであり、あなたの中から探求されなければ意味のないものなのです。仮に、私が何か答えを与えたとしましょう。それは、私の中にあったものであって、あなたの中にあったものではないのであります。私が、あなたに何かを与える時、最も注意していることは、それは私に所属している事柄、感情、思考であり、もともとあなたに属していたものではないのだということを明確にして伝えることなのです。これをおろそかにすることはできないと、私は考えています。 

 話が脱線しますが、私が、占いということに嫌悪感を覚えるのもそれに関しています。 

 

(事例)占い師の言葉が纏わりついたクライアントの例 

 あるクライアントは、昔、受けた占い師の言葉をひどく気にするようになり、今だに、その時の占い師の言葉が聞こえてくると言いました。そのクライアントによると、ほとんど常にその声は聞こえており、あたかも、その占い師がクライアントの耳元に絶えず付きまとっているかのようだと言うのです。 

 この人は、占い師の言葉を取り入れてしまったのでした。その言葉、考えというのは、もともとは占い師の側に所属していたものであり、クライアントのものではなかったのであります。それが今では、クライアントの一部のようになってしまったのでした。  

分かりやすく喩えるなら、食物を一方的に詰め込まれて、苦しい状態が続いているような状態なのです。自分の外側にあったものを、取捨選択することも、咀嚼することもできず、飲みこまされたような体験をこのクライアントはしたのであります。 

 占い師によって、与えられた「答え」が、後々まで、その人を苦しめていたのであります。こう考えると、「答え」を与えるということは、本当に人のためになるのか、援助になるのかという疑問すら感じられてくるのであります。 

 あなたは「占い師の言うことなんて、適当に聞き流したり、自分に都合のいいことだけ聞くようにすればいいのに」と主張されるかもしれません。しかし、このクライアントは占い師を頼ったのです。それは、占いが全てを教えてくれると期待していたからでした。このことは、クライアントがその占いを受けに行った時点で、自己の主体性や自分自身を放棄していた状態だったことを思わせます。事実、後々までこうした影響を残すということは、占いを受けた時には既に「自分がなかった」状態だったことの証拠であると考えられるのであります。占い師の影響の強さということも当然あるのですが、クライアントが「空虚」だったからこそ、その影響を全面的に被らなければならなかったわけであります。つまり、占い師の言葉を聞き流したり、取捨選択したりできる自己が、このクライアントにはなかったわけなのです。ここにこのクライアントの不幸があったのです。 

 

 こうなると、一方的に与えられた「回答」というものは、凶器ともなるわけです。クライアントは、どのような状態でカウンセリングを受けに来るのか、少なくとも、初めのうちは私にも分かりません。私を頼って来たクライアントにとって、私がその人を苦しめる存在になるかもしれないわけであります。その悲劇を理解していれば、安直な「回答」や「助言」というものは、なかなかできないものであります 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー