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<T006-10>(R2-15)第三の選択肢

<Ⅱ-15> 第三の選択肢 (約6400字) 

 

 カウンセリングを続けていくと、クライアントはしばしば独特の選択をすることがあります。私はそれを「第三番目の選択肢」と呼んでいます。どういうことなのかをこれから述べていきましょう。 

 「心の問題」というのは、突き詰めて考えてみれば、何らかの葛藤であることが理解されます。葛藤というのは、単純に言えば「あれかこれかで迷っている」という状態であります。「酒を飲んでしまうか飲まないか」「会社に残るか辞めるか」というのも葛藤でありますし、「生きるべきか死ぬべきか」というのも同じように葛藤に置かれていることになるのであります。 

 

 葛藤ということを、もう少し丁寧に見ると、それは「AかBか」という葛藤よりも、「Aかnot Aか」という葛藤の方が多いように思われます。いずれにしても、葛藤というのは、それを体験している人にとっては、この二者間に置き去りにされて、両方から引き裂かれるような体験となるものであります。 

 葛藤がさらに複雑になると、「Aを選択すればBが損なわれ、代わりにCが得られる」というものと「not Aを選択すればBは得られるが、Cが損なわれる」という葛藤のように、そこにいくつもの要因が絡みこんできて、簡単には決断できなくなります。どちらを選択しても、何か望ましいものは得られ、他の望ましいことは失われるというような事態に追い込まれるのであります。 

 多くのクライアントはこのような葛藤を抱えているものであります。人によっては、自分がどのような葛藤を抱えているのかさえも見えなくなっているという例もありますが、それでも何らかの葛藤を抱えていることに変わりはありません。その葛藤は、先に述べたように「AかBか」あるいは「Aかnot Aか」という葛藤であり、そのどちらかしか解決がないと考えているところがクライアントの特徴でもあります。そのどちらかしか道がないと信じているクライアントに、そのどちらでもないという視点が持ち込まれた時に、「第三番目の選択肢」が生まれることになるのであります。 

 

  

「第三番目の選択肢」ということを理解しやすくするために、少し余談になりますが、昔CMで流れていた曲を取り上げます。この曲の歌詞は次のようなものでした。「(ある車種の銘柄)に乗って、買い物に出かけたら、財布を忘れたことに気づいて、そのままドライブ」というものでした。歌の主人公は、買い物に行ったのに、財布を忘れているのです。彼は、買い物をするか止めるか、行くだけ行ってツケにするか財布を取りに戻るかという選択を迫られることになります。これは一つの葛藤状況に置かれていることになります。しかし、主人公は、そのままドライブするという選択肢を選びました。もちろん、財布を取りに帰ることを選んでも、買い物を中止することを選んでも、どちらを選んで差支えがあるというわけではありません。ドライブというのはそのどちらとも無縁の選択肢です。それで、この歌の主人公はこの葛藤を解決したのであります。 

 どちらにするかを迷って、どちらかに決定しなければならないという状況に置かれていながら、この歌の主人公は、そのどちらをもしないことを選び、まったく違うことをするという選択をしたのであります。 

 私の個人的な考えなのでありますが、問題解決の上手な人というのは、こういう「第三番目の選択肢」を見つけることができる人なのではないかと思うのであります。 

 次に事例を掲げることにします。このクライアントがどのようにして「第三番目の選択肢」を獲得し、葛藤状況を乗り越えたかを見ていくことにします。 

 

(事例) 

 クライアントは男性でした。彼の悩みというのは、妻を殴ってしまうということでした。彼は妻を殴った後、激しい後悔の念に苛まれ、今後は二度と殴らないと約束するのですが、彼はその約束を守ることができなくて苦しんでいました。 

 妻の方はと言うと、殴られてもひたすら我慢するタイプの人のようでしたが、さすがに限界がきたのか、「今度、約束を破ったら離婚する」と、彼に言い渡したのでした。 

 彼は、今の家族の生活をとても大切にしていたので、家族を失いたくはないのでした。だからと言って、自分のこみあげてくる感情を、彼は自分ではどうすることもできないのでした。 

 彼の葛藤をまとめると、「妻を殴るか殴らないか」ということになります。それは「妻を殴れば(Aをすれば)、自分の感情は収まる(Bが得られる)けど、大切な家族を失う(Cが損なわれる)」という選択肢と、「妻を殴らなければ(not Aなら)、苦しい感情に襲われる(Bが損なわれる)けど、大切な家族との生活は維持できる(Cが得られる)」という選択肢の間の葛藤ということになります。そして、彼はそのどちらかしか道がないと捉えていたのでした。 

 私は「あなたに妻を殴ることを止めさせるような方法を私は知らない」と述べ、「しかし、あなた御自身を振り返ってみるお手伝いはできるだろうと思います。振り返っていく中で、何か見えてくるものがあるかもしれません」と伝えました。 

 彼は私の提案に同意してくれました。このことはとても重要なことなのであります。もし、私が「こんな風にすれば、妻を殴らなくて済みますよ」と彼にhow toのようなものを教えたとします。そうなると、それは「このカウンセラーの言うことに従うか従わないか」という、新たな葛藤を彼に持ち込むことになりかねません。それは、葛藤の種類が置き換えられただけに過ぎず、彼が自分の葛藤を克服するということに関しては失敗をもたらしてしまうのであります。 

 彼は、まず、自分の子供時代のことを話してくれました。彼の父親というのが暴力的な人だったらしく、母親が殴られるのを、彼は押し入れに隠れて見てきたと言うのです。母親はとても大人しい人だったらしく、無抵抗であったそうです。彼が押し入れに隠れたというのは、母親が父親から守ろうとしてやったことだそうであります。 

 小さかった彼は、母親が殴られるのを見て、自分の無力感を嘆いたことでありましょう。彼はともかく強くならなければいけないと考えたのを覚えていました。ところが、強くなればなったで、学校でも喧嘩をするようになったし、いさかいに巻き込まれることも多かったと言います。不良とみなされ、問題児とみなされたこともあったようです。 

 彼は言います。母親と彼の妻とは、よく似てるそうです。妻も暴力とは無縁の人であり、どちらかと言えば、そういうことを嫌悪する人なのであります。妻と結婚する条件というのが、彼がボクシングを止めるということでした。彼女は、ボクシングのような格闘技にさえ、嫌悪感を持っていたのであります。 

 彼がボクシングをしていたというのは、その時、初めて知りました。彼は中学生頃から、ボクシングを始めたそうであります。彼は、妻を殴ってしまう時でも、正気な自分がどこかに存在していて、手加減していると言うのですが、ボクサーのパンチは、たとえ手加減されていたとしても、相当なダメージを与えてしまうのではないかと私は心配したのを覚えています。 

 私は、彼がボクシングをしていたという話に興味を持ったので、それをもっと聞かしてほしいと頼みました。すると、彼は語ります。自分よりも体の大きい相手をマットに沈めた時の爽快感のこと(父親を打ちのめしたような感じだったことでしょう)や、飲み屋で大乱闘したことなどを。そして、その時に喧嘩した相手がヤクザで、しばらく逃げ回るような生活を送っていたなどということを、とても活き活きと話しました。そういう話をしている時の彼というのは、本当に元気そうで、生命感に満ち溢れているようでした。 

私は「そういう話をしているあなたは活き活きしていますね」と、感じたままを伝え、「そういうことを話す場がないのではありませんか」と尋ねてみました。彼は、「本当にその通りです」と答え、家ではボクシングの話すらできないのだということを語りました。そういう話は妻が嫌がるものだからと言うのです。私は「奥さんの嫌がることは、決してしてこなかったのですね」と伝えました。 

もちろん、ここまでのことは一回の面接で話されたものではなく、何回も回数を重ねる中で語られていったことであります。ある時、彼にちょっとした変化が現れました。彼は、妻にも内緒にしていることがあると言いました。先日、会社の帰り道にあるボクシングジムにふらりと立ち寄ったと言うのです。最初は見学だけのつもりが、勧められてサンドバッグを叩いたそうです。それがとても懐かしいような感触だったので、彼はその後も二度、三度とそのジムに寄り、サンドバッグを叩いたと言うのです。妻には残業で遅くなると嘘をつき、実際は、定時に退社すると、ジムに寄って、汗をかくのでした。そして、今度、そのジムに正式に入会しようと考えているのでした。 

ただ、彼には煮え切らないものがあるようです。それは妻を裏切っているという感じと、嘘をついているという後ろめたさがあるようでした。彼は「どうも悪いことをしているような気分に襲われる」と言うのです。私から見ると、それが悪いことであるとは思えませんでした。彼が叩くのはサンドバッグだけであり、人は殴ってはいないのです。スパーリングでさえ、彼は辞退しているのです。黙々と一人でサンドバッグを叩くだけなのですから、何も悪いことがあるはずはないと思ったのであります。 

私は「生きた魚をさばくことに抵抗がある人でも、スーパーで買ってきた魚をさばくことには罪悪感を感じないものですよね」と、我ながらよく分からないような比喩を持ちだしたのですが、彼は、なんとなく私の言わんとするところを察してくれたようでした。 

そうして、彼は仕事帰りにジムに通うという生活を続けていました。そのうちに彼は気づいたのです。ジムに通うようになってからは、妻を殴ったことがないということに。私は「それはすばらしいことですね」と答えました。それでもまだ妻には言ってないということでした。 

ある時、彼は妻と話をしていて、実はボクシングジムに通っているということを打ち明けたそうです。そのことで妻と口論になったと話しました。妻の方は、夫の暴力がなくなって安心しており、てっきり自分との約束を夫がきちんと守ってくれているのだと信じていたのでした。そして、その話が出た時に、彼はジムに通っているということを告白したのでした。すると、妻は怒ったと言うのです。夫が再び野蛮なことを始めたということで、妻が不安になったようです。それで、ジムに通うのは止めてほしい、殴り合いはもうしないでほしいと彼に頼むのです。彼は、叩くのはサンドバッグだけで、人間とは試合をしていないのだということを繰り返し、根気よく説明していきました。それでも妻の方は、昔の野蛮な夫に戻ってほしくないと頼むのです。それで、彼は頭にきて、つい言ってしまったそうです。「何言うてんねん、野蛮やて言うけど、お前かって、スーパーで買ってきた魚を平気な顔してさばいてるやないか」と。なんと、彼は、私がした下手くそで恥ずかしくなるような比喩を転用したのであります。私は二重に恥かしい思いになりました。ところが、さらに驚いたことに、妻の方はなんとなく彼の言ってることが分かったというのです。こうして、彼のジム通いは、妻の公認のものとなったのでした。 

残業と嘘をつかずに、堂々とジムに寄れるようになると、彼の態度はさらに活き活きとしてきました。おそらく、そういう姿が彼の本来の姿なのだろうと私は思いました。妻を殴るということは、その後はありませんでした。彼が、このカウンセリングに持ち込んだ問題というのは解消されていったので、これで終わっても良かったのですが、彼はもう一つの問題として、職場のことを持ち出しました。彼は、今の職場に不満があると言うのです。 

これまで、仕事のことはあまり話題にならなかったので、少し詳しく聞いていくことにしました。彼の話では、その会社の社長といのが、昔気質というのか、とにかくワンマンで、融通が利かず、民主的でないということでした。部下は、上司の決定に無条件で従うものだというような、専制的な考えをしているそうであります。 

このカウンセリングで、自分を振り返ってみてはという私の提案に従って、彼が一番に子供時代の光景を話されたことが、私にようやく見えてきました。今の社長の下で働くということは、子供時代の体験をやり直しているようなものだったのであります。あまりに強すぎる父親がいて、自分は無力だというあの体験であります。喧嘩に明け暮れた少年時代のように、彼は無力な自分に腹を立てていたのだということを、この頃にはうすうす洞察していました。子供時代と同じことを繰り返したいたということであります。 

ここでも、彼は葛藤を表現しました。それは「今のまま、社長に我慢しながらこの会社にいれば安泰ではあるが、仕事に満足はできない」というものと「いっそのこと会社を辞めてしまおうか、安泰な生活は脅かされるかもしれないが、無理に我慢する必要はなくなる」という葛藤でした。社長に何か提案しても聞く耳をもたないような人なので、会社の中で自己主張していくといった選択肢はなかったようでした。会社に残るか辞めるかのどちらかだったのです。彼は、今の会社と関わりを残しつつ、独立するという選択をしました。自分の会社を立ち上げ、今の会社とは取引関係を結ぶつもりだと考えたのでした。 

そういう話をして、彼は自分の計画を私にいろいろ話して聞かしてくれました。充実感があるだろうなと、私は聞いていて感じました。それで、これから忙しく動かなければならないので、時間に追われるようになるからということで、このカウンセリングをこれで終了にしたいと彼は申し出ました。私はそれを了承しました。妻の方は、彼が独立することについては反対しなかったと言います。「ジム通いの方はどうしますか」という私の問いに、彼は「それだけは続けるつもりでいます」と答えました。 

 

この事例の男性は、カウンセリングの場面に二つの葛藤を持ちこみました。一つは妻を殴るか殴らないかという葛藤でした。これに対して、彼はそのどちらでもない「ボクシングを再開する」という選択をしたのでした。もう一つの葛藤は、今の会社に残るか辞めるかというものでした。これにも、彼はどちらでもない選択をしました。「今の会社との関係を残しつつ独立する」という選択でした。 

人は葛藤状況に置かれてしまうと、そのどちらかしか解決がないように思われてくるものであります。それはその人の視野が狭くなっているということでもあります。視野が狭くなっているのは、危機的な状況に圧倒されていたりして、心にゆとりがないためでもあります。 

 もちろん、二者択一のような葛藤において、そのどちらかを選ぶということにしても解決につながる場合もあります。ただ、事例の男性のように、その葛藤が、彼が価値を置いている領域に関しての葛藤であったり、彼の人生上の大きな出来事と関わるような葛藤であれば、一層、二者択一をすることは難しくなるものです。 

 そして、カウンセリングは、第三の選択肢を提供するものではなく、クライアントの心の負担やわだかまりを整理していくことによって、クライアントがそのどちらでもない選択肢を見出していくことを援助していると言ってもいいかもしれません。時に、クライアントは、突拍子もないような選択肢を新たに持ちこんで、葛藤を克服することさえあります。その時、私はいつもクライアントの独創性に感動するのであります 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー