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<T2-3>感情と情念

<T2-3>感情と情念 

 

 ここでは感情を二つに分けて考えることにします。一つは感情、もう一つは情念という言葉を用いましょう。 

 怒りは感情であり、憎悪は情念に含まれるものとします。 

 感情と情念の違いは場面性にあります。感情はその場における反応です。情念はその場から離れたところで抱かれる感情であり、引き続きとどまり続ける感情と述べることができます。 

 感情は常に外側の状況に対しての反応であり得るので、感情とは世界と自己とをつなぐ役割があるとみなすことができます。 

 感情を喪失している人と出会うこともありますが、事実、そのような人は自分と世界との結びつきを失っており、世界を喪失しているのです。うつ病やアパシーの人と接しているとこのことはよく理解できるのです。 

 感情は常に何かに対しての反応でありますので、そこには対象があります。怒りについて言えば、それは何か、あるいは誰かの何かに対しての怒りなのです。 

 しかし、対象があるというだけでは感情は生起しません。そこには感情体験をする自己が不可欠です。 

 従って、感情を体験するには、その感情をもたらす対象とその感情を体験する自己とが揃っていなければならないということになります。 

 そのどちらかが欠けても感情は成立しないのです。怒りの対象がなければ、人は怒ることはないということは理解に難くないでしょう。一方、感情を体験する自己がないという人も怒りを体験することがないのです。 

 まったく自己がないという人を私は見たことがないのですが、非常に自己が希薄であったり、曖昧であるというような人とお会いすることがあります。そのような人の内面に占める感情は虚無感なのです。生き生きとした感情体験を持つことができないのです。 

 怒りは感情であり、これは基本的な感情の一つです。それには対象があります。その対象が広がる場合、それは敵意となると私は理解しています。例えば、中学1年生の時の担任の先生に怒りを感じたとします。対象はあくまでもその先生一人です。それが中学校の教師全員に広がったり、「先生」と呼ばれる職業の人全般に広がったとしたら、それは敵意とみなしていいでしょう。漠然とした「先生」に対しての敵意ということであり、これは偏見や差別へと発展することも起こり得るでしょう。 

 一方、怒りの感情が自己に広がる場合、それは憎悪になると私は捉えています。憎悪は必ずしもその場で発露されるものではないのですが、その人の自己に広く浸透して、その人を支配するのです。その人の言動には常に憎悪が通奏低音のように見え隠れするのです。憎悪が自己を支配しているとすれば、その人は憎悪を通して世界と関わることになってしまうのです。 

 感情(怒り)は常に表に現れるものです。情念(憎悪)は表には現れず、その人の内面にあるもので、その人の言動の背後に潜んでいるものであります。そして、怒りを花火だとすれば、憎悪はくすぶり続ける炎のようなものなのです。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表カウンセラー