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<T6-12>(R3-11)「守り」という観点

<Ⅲ-11> 「守り」という観点 (約3800字) 

 

 

 「心の病」ということを、その人の「心の守り」という観点で述べることもできます。 

その観点に立てば、「心の病」というのは、その人の守りが弱すぎるか、適切でないかということになり、治療とは、いかにしてその守りを強めていくかということになります。枠組みとして述べたこと、時間や場所や料金ということも、守りを強めるために有効に働くこともあります。 

 「守り」が弱い人は、カウンセリングのような関係に耐えられないこともあります。「自由に話して下さい」と言われると、彼らはパニックになることがしばしばあるものです。それはコミュニケーションがとれないという意味ではなくて、彼らは話題をかなり限定すると会話はできるのです。自由度の高い状況に耐えるのが苦しいわけであります。 

 また、他者からの温かい働きかけであっても、それが脅威となり、攻撃と体験してしまうのも、彼の「心の守り」が弱くなっていることの証左となるのです。 

 こういう「守り」がもっとも弱い状態は「統合失調症」と診断された人によく見られるものであります。「守り」が弱いということがどういうことなのかを示すために、一つの例を挙げたいと思います。ただし、私のようなカウンセラーでは、そのような統合失調症の人と関わることはそれほど多くありません。適切な例がないので、書物から引用させていただきます。 

 

(事例)「精神分裂病者」の体験したこと 

 「母親の面会を受けたある女患者に、お母さんに逢って嬉しかったかと尋ねると、彼女は『あれは運動でした。私はそれをあまり好みません』と答える」(p104) 

 

 これはミンコフスキー著「精神分裂病」(みすず書房)からの引用であります。訳文通りに載せています。この女性患者にどういうことが起きたかお分かりになりますでしょうか。 

 この女性は、恐らく入院していたのだと思います。そこに母親が面会に来たのでした。「お母さんに逢って嬉しかったか」と尋ねたのは医師、並びに病院のスタッフであることは確実なようです。その質問に対する彼女の回答というのは、「あれは運動でした。私はそれをあまり好みません」というものであります。この回答は、どこかおかしいという印象を与えるものであります。会話が成立していない、交流ができていないという感想を持たれるかもしれません。しかし、彼女の中では、これはきちんとした会話として成立しているのではないかと思います。 

 まず、「運動」をしたのは誰だったのでしょう。彼女は面会室に行ったかもしれません。それを彼女にとっては運動のようなものとして体験したのだという解釈も成り立つかもしれません。しかし、病院に足を運んだ母親の方がはるかに「運動」をしているわけであります。従って、この回答は、彼女ではなく、彼女の母親がするような回答であったと見ることができるのです。つまり、この問に答えたのは、彼女であるが、彼女の中に入り込んだ母親が答えたものだということです。 

 彼女は「守り」が弱かったのでしょう。母親と会って、母親の感情や思惑が入り込んで、彼女を支配してしまったかのようです。母親から身を守ることができなかったのでしょう。面会を終えても、彼女は自分に戻ることができず、まだ母親になっていたのです。それで、母親の言葉で問いに応じていたのです。 

 

 このように見ていくと、「守り」というのは「国境」のようなイメージになっていきます。A国とB国の間には国境があるとします。その国境がしっかりしていれば、お互いに侵入しあうことはありません。たとえ敵対していなくても、国境でしっかり分けられている限りにおいて、両国は各々の国を維持できるものです。この国境が弱いということは、相手のわずかの接触であっても、簡単に破られ、隣国に支配されてしまうということが起きるのです。上記の女性の例でもそのようなことが起きていたわけであります。守りが弱すぎたために、母親の侵入が生じたのであります。 

 

 こういう「守り」が弱いということは、必ずしも病的であるとは言えません。もともと、人間はそのような「守り」を持たずして生まれてくるのです。幼児はそのような「守り」を持ちません。「守り」を持たないということは、常に他者や環境と融合的に関わることになるのです。幼児の世界とはそのような世界なのです。その後の成長において、人はそのような「守り」を身に付けていくのであります。 

 ずいぶん以前ですが、テレビで次のような場面を見たことがあります。それは、まだ幼い姉妹が初めてお使いをするというものでした。姉妹は手をつないで、お母さんに言われたお店へと向かうのですが、先に妹の方が不安になって泣きだしたのです。姉の方は、泣く妹を慰めているのですが、次第に姉の方も「○○ちゃんがそんなに泣いたら、お姉ちゃんも悲しくなってくる」というようなことを言って、泣き始めたのでした。なんとかお使いをして、この姉妹は泣きながら帰ってきたのでした。ちなみに、その一部始終をカメラがしっかりと捉えており、テレビの出演者たちは(視聴者も含めて)、その姿を見て楽しんで、盛り上がっているのです。テレビというのは残酷なものだと私は正直に思いました。 

 さて、この姉妹に起きたことは、まだ「守り」が十分に確立していないとはどういうことかをよく示しているように思います。妹の方が先に泣きだしたのですが、その不安は姉の方にあった不安ではないかと私は考えます。なぜなら、妹の方は姉に守られているという安心感を体験していれば、不安はないはずだからであります。だから、姉の不安が妹に伝わって、妹はそれを自分の不安として体験したのでしょう。それで怖くなって泣きだしたのでしょう。姉はそんな妹を慰めるのです。しかし、これもおかしな話で、不安を体験しているのは姉の方であるのに、姉は、自分の不安を、妹を通して慰めなければならなくなっているのです。そして、妹が不安で泣きだしたから、自分も不安になって泣きだしたということになっていくわけであります。精神分析では「投影同一視」と呼ばれる現象が起きているようです。 

 この姉妹、身体的には別々に存在しているわけですが、お互いに「守り」が弱い、つまり「境界」が確立できていないために、お互いに融合してしまうのであります。姉の感じていることを妹が感じとり、妹の感情を姉が体験しているのであります。 

 

 子供の心は一般に「守り」が弱いということになるのですが、この「守り」は親や大人との関係において、家庭において、学校や社会といった環境において、徐々に形成されていくものであります。もちろん、親や大人、学校や社会といった要素が、子供の「守り」を完全に完成させてくれるとは限りません。そのために、子供は他の何かに「守り」を手伝ってもらうということが起きます。 

 私自身を振り返ると、私の場合、それは「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といったヒーローだったり、「ゴジラ」のような怪獣でした。そういうヒーローや怪獣の玩具やグッズに囲まれていると安心感が得られたものでした。 

 ある男性のクライアントは小学校の低学年くらいの時期を振り返って、友達にからかわれたりすると家に帰って、ヒーローが悪物を倒していくという遊びを一人でしていたと語ったことがあります。ヒーローが代わりに闘ってくれているのでした。遊びながら、彼は自分とヒーローを同一視していたことを覚えていました。 

 同世代の他の人たちは、ヒーローでも、もっとロボットのようなものだったり、スポーツ選手であったりしていたわけですが、それでも、そういった存在が、まだ「守り」の弱い子供時代において、彼らの「守り」を補助してくれていたことに違いはありません。世代によって、この対象となるヒーローは異なるでしょうが、補助的な「守り」となっていることに変わりはないでしょう。 

 ところで、私も「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や「ゴジラ」の玩具や人形を持っていました。子供の頃はそれで遊んだものでした。そうした玩具や人形に現在ではたいへん高額な値段がついているそうです。それならば捨てずに残しておけばよかったと後悔するのですが、それは大人の発想なのです。それらを捨てることができたということは、そういう対象に「守って」もらう必要がなくなったということです。それだけ私の中の「守り」が確立されてきたということなのです。 

  

 幼い子供から見ると、世界は脅威に満ちていることでしょう。怖い人や物に囲まれているように思うかもしれません。そのような世界に大人になっても生きているとすれば、その人は「精神病」と診断されることになるでしょう。私たちは、世界は脅威だけでなく、安心できる場所でもあり、周囲の人には怖い人もいれば安心して付き合える人もいることを知っていきます。脅威に満ちた世界の中において、誰がそのような世界で生きていたいと望むでしょうか。脅威に満ちた世界では、生きることはただの苦痛でしかないのであります。この世は生きるに値するということが本当に実感された時に、人は自らの「守り」を確立したことになるの私は思うのです。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)