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2018年1月7日 日曜日
1月7日:書架より~『犯罪心理研究 創刊号』
1月7日(日)書架より~『犯罪心理研究 創刊号』(日本犯罪心理研究所)
1998年創刊の本誌を、どういういきさつで購入したのか僕は覚えていない。どこか興味本位で買ったような記憶もある。それでも、創刊から3号までは買ったのだから、何か僕なりの動機が当時はあったのだとは思う。
久しぶりに書架から引っ張り出して、ちょっとばかり読んでみる。
「創刊にあたって」(作田明)
著名な精神科医の作田明先生が創刊の辞を書いている。犯罪を正しく知り、広く認識していくことによって、犯罪の予防に貢献する、それが本誌の目的であるといった趣旨のことが書いてある。
編者や著者の方々には申し訳ないが、僕は上記の主旨がよく分からないし、その主旨を満たす内容となっているかどうか、僕にはあまり感じられない。
「特集『少年の犯罪』」
本号の特集は「少年の犯罪」ということで、以下の4編が収録されている。
「十九歳の凶行」(佐木隆三)
本編では死刑囚・永山則夫の事件を振り返る。ちょうど本誌の前年に永山死刑囚の死刑が実行されたところだったので、もう一度、あの事件を見直そうという目的だろう。
僕はあまり犯罪実話の方には詳しくないので、永山則夫という死刑囚の名前こそ知っているものの、それがどういう事件であったのか、よく分かっていなかった。本稿であの事件の経緯を知り、そういう事件であったのかと認識した。
おそらく、当時はたいへんな衝撃を社会に与えただろうと思われる事件であるが、現代の我々からすれば、まだまだましだという気がしてくる。
永山死刑囚には罪悪の観念がしっかりあるという気がする。永山が苦しんだのは「監視」ということだった。そこには永山死刑囚の内面にある「見られる自己」が確認できるように思う。昨今の「自己」そのものが曖昧な犯罪者に比べると、はるかに「正常」だという気がしてくる。
「なぜ、事件を見にゆく、のか」(吉岡忍)
ノンフィクション作家の著者は、事件があるとその現場へ赴くと言う。それを「事件を見にゆく」と著者は言っているそうであるが、現場に行っても、当事者や関係者と会えるとは限らない。でも、なぜ見にゆくのか。事件を起こした犯人は、まったく違った現場が見えていただろう。一体、犯人にはどのような光景が見えていたのだろうか。
面白い一篇だった。著者は加害者、犯人に見えている光景を探求し、かつ、共有しようとしているかのようで、素晴らしいと感じた。「事件を見にゆく」だけでなく、どこか「犯人」と同じ目を持ちに行くといったニュアンスを僕は感じた。
「神戸の少年事件」(小池振一郎)
著者は弁護士の先生だ。神戸の少年事件でテレビなんかでコメントをされた先生らしい。いかにも弁護士の先生が書いたという感じがしないでもない。
事件を起こした少年のサインに早期に気づいて、適切に対処していくことの重要性を説いているが、僕が思うに、現実にはサインは見過ごされるだけでなく、非常に難しい形でサインが送られることもある。それが難しくなるのは、サインの送り手が我々と共有される言語世界に生きていないためであるかもしれない。
著者の主張することには賛成であるが、少し簡単に考えすぎているのではないかと僕は思った。臨床家の先生ではないので、仕方がないかもしれない。
「少年の犯罪」(原淳)
本誌は「犯罪心理研究」と銘打っているが、ここに至って、ようやく心理学関係の内容に出会えた。精神医学、あるいは司法精神医学方面からの記述である。
著者は、罪を犯す少年を三つのタイプに分ける。犯罪グループ(反社会性人格障害群)、精神病グループ(分裂病などを含む)、葛藤グループ(境界性人格障害群)に分けるが、内容としては、三つ目の葛藤グループの記述が中心となっている。
上記の4編が今号の特集で、以下の4編は連載ものである。
「隠された病歴―頭痛」(米山公啓)
ここでまさかの小説が挿入される。
フリーライターの比留間は激しい頭痛に襲われた。病院で検査してもらうと脳の石灰化が見つかる。比留間は3年前の事故と関係があるかもしれないと思う。3年前、車にはねられて頭を打ち、記憶喪失を起こしたという事故だ。比留間は当時の病院を訪れ、担当だった医師を探し始める。
著者は医師であり作家でもあるということだけど、まあ、読みにくい文章だった。僕も人のことは言えないけど、形容詞の位置をもう少し考えた方がいいのではないかと忠言したくなった。それに無駄な描写もちらほら散見され、どうも興味が持てない。一体、これはミステリなのかどうかもハッキリしない。まあ、その辺りは続編を読んでからの判断としよう。
「殺人幻想論Ⅰ ハーバート・マリン」(柳下毅一郎)
妄想と快楽殺人の関係を考察し、1970年代のハーバート・マリンによる連続殺人事件を取り上げる。マリンの事件は性的な意味合いはなく、魔術的思考による妄想の実現化として考えることができる。では、性的殺人者ではどうなるのか。著者は性的殺人者の例として「切り裂きジャック」を取り上げる。
こういう快楽殺人の話には、普通の殺人事件以上に、血なまぐさい描写が連続するもので、個人的には苦手である。創刊の辞で、事件に関する過剰な表現は慎まなければならないといったことが書いてあったけど、それは違うのだという思いがした。表現が過剰なのではなく、事件をそのまま記述すると、それだけで表現が過剰になってしまうのかもしれないと思った。事件、並びに事件現場がすでに過剰なのだ。
「<映画批評>『フェイク』」(作田明)
ジョニー・デップ主演の映画「フェイク」が紹介されている。1997年の作品で、本誌出版の時期においては新作映画ということになる。
特に思うことはないのだけど、普通の映画批評という感じがした。映画批評家がする映画批評という感じだ。せっかく精神科医の先生が批評するのだから、精神科医の目で批評してほしかったという思いが残る。
それよりも、今号の特集は「少年犯罪」ということなのだから、このテーマにちなんだ映画を選んでも良かったのではないかという気がする。古い映画でも構わないので、精神医学的観点から評してほしかった。その方が雑誌が面白くなるのではないかと思った。
「<書評>『子どもと悪』河合隼雄」(古澤聖子)
映画批評に続いて、書評が来るのだけど、今号では河合隼雄先生の「子どもと悪」が取り上げられている。河合先生のこの本を僕は読んだことはないけど、この書評を読む限り、いかにも河合先生が書きそうなことが書いてあるという感じがした。
さて、以上が本書所収のすべてである。
個々の収録作品に関しては、興味深いものもあれば、今一つと思えるものもあった。内容をバラエティに富まそうと試みたのだろうか、いろんなものを詰め込み過ぎているという印象も拭えない。もっとも不満なのは、「犯罪心理研究」という誌名なのに、「心理」の比重が少ないということだ。「犯罪研究」の方が相応しいという感じがしている。
唯我独断的読書評としては、「なぜ、事件を見にゆく、のか」が一番好きだ。「少年の犯罪」「殺人幻想論」も悪くはない。収録作の中には満足のいくものもあったけど、全体評価は星二つというところだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
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