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2021年12月2日 木曜日

12月2日:コロナ禍を生きる~マスク着用を巡って

12月2日(木):コロナ禍を生きる~マスク着用を巡って 

 

 僕はマスクを着用している。本当はこんなもの付けたくないのである。 

 マスクを着用するようになってからヒゲを剃るのをサボるようになった。マスクを着用しているとそこがずっとヒリヒリするのでいやなのだ。散髪屋さんにいくと、顔を剃ってもらった後に蒸しタオルを被せられる、あの時のヒリヒリがずっと感じられるわけだ。天候とか季節によってはけっこう「痛い」と思う時もある。 

 マスクなんて本当はつけたくないんだけれど、着用しているのは、基本的には僕の意思によるものである。周囲に順応しているのではない。商店や繁華街、電車内などではマスクを着用しているけれど、人通りの少ない道を歩いている時にはけっこうマスクを外していたりする。どこで着用して、どこで外すかということも、一応、自分で決めている。 

 

 さて、どこでもいいんだけれど、飲食店にしようか。飲食店に行くとマスク着用を求められる。僕はそれを守る。というのは、僕は客なので店の人の言うことに従うのである。ここを勘違いする人もある。客だから守らなくていいとかいう理屈は通用しないのである。客だからこそ店員さんの言うことに従うのが普通のことである。 

 僕はそれを一つの「契約」として理解している。飲食店がこの定食を500円で売りましょうと提示し、僕がその値段で買ったということになれば、一つの契約が成立したことになる。注文した時点で契約が、売買契約が成立しているわけだ。お店はその品を提供する義務を負い、僕はその料金を支払う義務を負う。双方がその義務を遂行して、この契約は遂行されたということになる。僕はそのように考えている。 

 マスク着用ということもそれと同じと考えている。ウチで飲食する際はマスクを着用してくださいというのは、ウチはこの品物をこの料金で販売しますというのと同じように僕は考えている。要するに契約条項の一つという捉え方をしている。契約だから僕は守ろうとするわけだ。 

 

 同じことはその他の場面でも言えることである。公共交通機関を利用する際に、やはりマスク着用を呼び掛けられる。僕は客なので交通会社さんの言うことに従う。電車なら車掌さんの言うことに従う。料金を払って切符を買うのと同じ感覚で捉えている。これもまた一つの契約条項なのだ。 

 

 問題となるのは、そんなことで揉める連中だ。マスク着用を求められてキレる客である。客だから指図するなではなく、客だから店員さんの言うことに従うのが普通のことではないか。そこが逆転しているように僕には思えてくる。 

 そして、僕も分かるのだ。お店にしろ、交通機関にしろ、さらに上からそのように要請されているということも分かるのだ。お店が恣意的にそうしているのではなく、例えば地方自治体なんかの要請がそこにはあって、店側もそれを守らなければならないという立場にあるのだ。だから、そこで揉めるというのはお店の迷惑になってしまうわけだ。僕はマスク着用には反対したいのだけれど、お店に迷惑をかけるつもりはないので、やはりそこではマスクを着用するだろう。 

 ここが信念を持つ者と狂信者との違いである。自分がどのような信念を持っていようと、それが人様に迷惑をかけるということであれば、自分の信念を敢えて曲げることもできるのである。信念を持つ人間にはそういうことができるのである。信念をしっかり持っているので、一つの場面で信念を曲げざるを得ないことがあってもぐらつかないのである。だから柔軟に対応できるわけだ。コペルニクスが「それでも地球が回っている」と呟いたのも然りである。 

 狂信者というのは、決して自分の信念を曲げず、どのような場面でもそれを押し通そうとする。人の迷惑よりも自分の主義主張の方を優先するわけだ。決して自分の信念を曲げないというのは、その信念が脆いというか、信念の持ち方が脆いのである。たった一つの場面でその部分が動揺してしまうのであるからだ。 

 このように店や交通会社と争うような人は、シュナイダー10類型のうちの狂信型の誇大性・好争性の型に属する。発揚情性型(感情高揚型)の好争性とは異なるものだ。 

 

 もし、マスク着用に反対するのであれば、店員さんや車掌さんに噛みついてもどうしようもないのである。彼らがそう決めているわけではないのだから。それを決め、あるいはそれを要請しているもっと上のところに噛みつかなければならない。それなら話も分かる。なんだか下っ端のところで暴れている感じがしないでもないのだが、そうなるとただみっともないだけになってしまう。 

 主義主張、信念は正しく持たなければならない。且つ、正しく表明しなければならない。単に狂信的なだけの人を、信念の人などと思い違うことのないようにしてほしいと僕は願う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

投稿者 高槻カウンセリングセンター