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2019年12月7日 土曜日

12月7日:不要な共感

12月7日(土):不要な共感 

 

 足の痛みは続いている。程度はひどくないけれど、痛みが常にある。常に痛みがあると、あまり痛みを意識しなくなることもある。要はその状態に慣れるということなんだけれど、どんな状態にも人間は慣れることができるものだと思う瞬間だ。 

 おまけに昨夜は腰痛がひどくなった。痛む足をかばうので無理が生じたのだろうと思う。時々あることだ。腰痛がひどくて、ちょっと前かがみになることさえたいへんだった。体はもうガタガタだ。 

 今朝、足の痛みよりも、腰痛の方に真っ先に意識が向いた。一晩寝てかなりましになった。腰に痛みは感じていないけれど、なんていうのか疲労感というか、そういう感じは残っている。 

 ああ、そうだ。昨日は眼痛にも悩まされた。最初はゴミが入ったのかなと思ったけれど、そうではなかったようだ。チクチク痛い。横になって、上を向いていると、どういうわけか痛みがなくなった。昨日は数回、目の痛みにも襲われた。 

 この体の方もなんとかしなきゃいけないと思うようになった。 

 

 一時期、停滞していたけれど、最近、少し仕事が増え始めた。これからも増えそうな、そういう兆しも見えている。喜ばしいことだ。生きている限り、人様の役に立っていこう。もちろん、僕のできることで、僕の流儀の範囲で、という制限がつくんだけど。 

 先日もクライアントから言われたな。僕はあまり共感しないって。共感なんか何の役に立つものかと僕は思っているので、共感はしない。ただ、共感的であればいいと思っている。 

 これは日本のカウンセラーが誤解しているところだ。共感することではなく、共感的理解なのである。理解の方が大事なのだ。その理解が共感的であれば十分なのであって、共感することは必要ではないのだ。 

 僕のお師匠さんだったI先生を思い出す。僕が辛い話をして、I先生が涙ぐんでおられた。I先生は僕に共感してくれているのだ。でも、そんなものを僕は求めていなかった。I先生には悪いけれど、それは違うって言いたかった。 

 確かに辛い状況にあったけれど、僕はそこを耐えるか乗り切るために必要な洞察を得たかった。得られなくとも、何かそれに貢献するようなことを得たかった。共感は何の役にも立たなかった。 

 まあ、人によって経験の仕方は違うだろうし、考え方も違うだろう。一緒に泣かれて勇気づけられるという人だってあるかもしれない。でも、僕にはそれは不要であり、却って迷惑だ。というのは、僕の話で先生を泣かせてしまったなんて感情を持ってしまうかもしれないからだ。 

 共感よりも自己一致している方がいい。共感できないのに、義務的に共感するよりかは、あるいは共感しているフリをしてしまうよりかは、共感できないところは共感できないと示した方がいいと思っている。 

 僕は、僕にこういうカウンセラーがいたらいいなあと思うようなカウンセラーを目指している。多分、カウンセリングの世界で言えば、こういう考えは邪道なのだろう。おそらく、このカウンセラーは自分の理想のためにクライアントと会っているという誹りを受けてしまうことだろう。それでも僕は構わない。 

 僕は、僕自身に役立つカウンセラーであれば、そしてそういうカウンセラーになれば、おそらく、他にもこのカウンセラーで役に立ったというクライアントが現れるはずだと信じている。役に立ったと感じてもらえる人にだけ役立てばよいと思っている。 

 例えばACのような人たちがいる。自分が不幸なのは親に原因があると頑なに信じているような人がいる。この人にはそのように見えている。それはいいとしよう。でも、その人が不幸なのは親だけに原因があるのではない。人間はもっとトータルな存在であり、あらゆることから影響を受け、自己に取り入れているものである。一人の人間が他者を不幸にしたり、あるいは病気にしたりということは、本当はあり得ないことだと思っている。 

 それと同じように、その人が「治る」のは医師や臨床家のおかげではないのだ。その人が「治る」のは、臨床家の助けを含め、その他多くの要因がそこに働いているからなのだ。だから、自分のクライアントが良くなったとしても、臨床家はそれを自分の手柄にするわけにはいかないのである。良くなっていく過程で、他の人たちとの関係や出会い、幸運ともいえるような偶発的出来事、そして当人自身の意欲とか努力、そうしたものがトータルにその人の「治癒」に貢献しているものだと思う。 

 僕が僕の理想とするカウンセラーになっていったとしても、クライアントが良くなるのは、僕だけの力ではないのだ。むしろ、僕がどんなカウンセラーであろうとお構いなしに、他の要因がまたその人を助けてくれることもあるものだ。 

 え~と、何の話をしているのか分からなくなってきた。この話はここまでにしておこう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

投稿者 高槻カウンセリングセンター

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