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2020年4月18日 土曜日

4月18日:コロナ・ジェノサイド~僕の主張(2)

4月18日(土):コロナ・ジェノサイド(27)~僕の主張(2) 

 

 国のトップを見ていると、至る所で否認の機制を働かせてきたように僕には見える。現実否認はその反動形成として妄想的思想を発展させることもある。その思考の元になっている現実認識に歪みが生じているからである。妄想的思考は、現実認識に歪みのない人、否認の機制を働かせていない人の思考とは大きくかけ離れていくことになる。 

 妄想と錯覚とか思い違いとかとの相違は訂正可能性にある。錯覚や思い違いは指摘されたりすると訂正できるのである。妄想は訂正不能性にその特徴がある。国民並びに識者、その他の政治家が訴えてもトップの思考は訂正されることがない。 

 諸外国のトップは非常事態に応じて国民の生活補償を考える。この国だけである。それをないがしろにし、後回しにしているのは。それでいてトップは世界でも類を見ないほど高い支援をやっているとのたまうのだから、妄想も甚だしいと言わざるを得ないわけだ。 

 

 否認の機制が働く。それは心の中にあるものを無かったことにすることである。健常な人ならば否認している領域がその人に迫り、脅かす。本当に無かったことにできるのはかなり病的であると僕は考えている。 

 しかし、大なり小なり、その領域は当人に影響を及ぼす。従って、否認の機制は無意識的に行われるのであるが、その機制を維持するために心的エネルギーが消費されることになる。つまり、否認を続けるには相当のエネルギーを要するということだ。 

 もし、心的エネルギーが否認機制の維持に消耗されるとすれば、その他の領域にエネルギーが分配されなくなる。そのため、心的エネルギーを特に要する活動や行為が損なわれることになる。一か所にエネルギーを集中させてしまうために、他のことにエネルギーが回せず、他のことができなくなるわけだ。 

 決断するという行為はかなりの心的エネルギーを消耗するようである。心的葛藤にエネルギーを消耗している神経症的な人は優柔不断に陥り、些細なことでも延々と逡巡し続けることからもそのことが窺われる。 

 今、日本のトップは何一つ決断ができないのである。会見等でもスローガンを掲げるだけである。スローガンに関しては、言語が魔術的能力を発揮する時代への退行を見る思いがしているのだけれど、今日はそこには触れないでおこう。決断するだけのエネルギーが枯渇しているのではないかと思えてくるのだ。 

 

 さて、感情鈍麻の話をしよう。ここではそれを展開する予定であった。否認機制と心的エネルギーの消耗は、当然のことながら、感情を奪うのである。その人の行動や発言から感情要素が失われることになる。否認されている領域は感情的色彩が濃いであろうし、感情を経験することもエネルギーを要するからである。 

 感情要素が失われた行動というのは、例えば無神経な行動などに見られる。周囲の人々と共有される感情が失われているために無神経な行動に映るわけである。 

 星野源さんとかいう人の動画に首相がコラボしたという。僕も写真で見た。首相が愛犬を膝に乗せて、優雅にティーなどを啜っている図柄であった。当然、批判も多かったようだ。 

 余談だけれど、僕はあの写真を見て、あの犬が可哀そうだと思った。飼い犬の飼い犬だからである。税金でメシを食ってる人は皆国民に飼われているようなものだ。だからそういう人たちは国民に奉仕することが求められるのである。飼い主と飼い犬の関係である。だから、あの写真の犬は飼い犬の飼い犬になるわけだ。いっそのこと野性の犬のままの方が、あの犬も幸せだったんじゃないかと思う。 

 話を戻そう。首相のあの行為、動画にコラボした行為だけれど、あれは感情鈍麻によるところが大きいと僕は感じている。 

 それだけではない。今、この時期に年金改正を通そうとするところにもそれがある。年金は65歳支給であるが、一応、60歳から70歳までの幅が認められている。これを60歳から75歳の幅に変えようという審議を、今この時期にやるわけである。他にもっと取り組まないといけないことがあるだろうと、そういう批判が飛び交いそうである。これもまた感情鈍麻によるところが大きいと僕は思う。 

 もう一つ余談を言えば、夫人の方にもそれがある。クラスターを防ごうと言われ始めていた3月中頃に団体旅行に行ったり、あれだけ批判された桜を見る会も私的に行ったりと、今どういう状況か分かってやっているのかと言いたくもなる。これまた現実吟味の障害と感情鈍麻が伴っているように僕には見えてしまう。 

 

 結論を急ごう。本当はもっと言いたいことがあり、言い足りなさを感じているけれど、長々と書くと、読むほうも疲れるだろうと思う。 

 僕はカウンセリングでいろんな人の話を聞く。たくさんの家族のことを聞いたし、それと同じくらいたくさんの職場、企業の話も聞く。家族にも企業にも上の人間がいる。多くの場合、上の人間が最初に苦しくなるのである。それが下の人間にまで影響するのである。家族の場合、子供時代に苦しい経験をしたという人の話を聞いていると、それ以前に親の方が苦しい状態に陥っていることが見えてくるのである。企業の状態なり、職場の雰囲気が悪くなったと体験している人の話を聞くと、その人が苦しむ以前に上の人間がおかしくなっているのである。 

 ここからが重要だ。上の人間がまずダメになるわけだ。ところが、下の人間がしっかりしていると、その家族や企業は生き残るのである。親がダメになったために、子供が親役割を引き受ける。子どもにとってはたいへん重い役割であり、相当な苦労をする。この子は自分が不幸な子供時代を送ったと回想することが多いのだけれど、この子がしっかりしてくれていたので家庭崩壊や一家離散が防げたのである。 

 企業でもそうである。社長がポンコツになってしまっても、従業員がしっかりしていれば企業はもつのである。 

 一番良くないのは、上の人間がダメになって、下の人間も一緒にダメになるパターンだ。共倒れするパターンだ。このパターンを回避しなければならなくなる。 

 正直に言おう。僕はもう日本のトップはまともではないと考えている。トップが常軌を逸するからこそ、僕たち国民の一人一人が正常でいなければならないのだ。トップが現実吟味できないからこそ、周囲の人間並びに国民が理性をもって現実に対処しなければならないのだ。 

 国が亡びるか存続するかは、もはや首相に委ねられているのではなく、我々一人一人に課せられていることなのだ。 

 軽症者はホテル等の宿泊施設に隔離する。それはけっこうなことであるが、それに協力しない施設もあるという。簡潔に言えばその後の風評被害を恐れているのである。 

 看護師の子供は保育園に来るなと言われたといったことも聞く。子どもを預けないと看護師として働けないし、医療現場で一人足りない状況になる。 

 病院に通院した患者がコロナ陽性だと判明した。とたんにその病院が叩かれる。 

 東京ナンバーをつけた配送車で来た配達員が敬遠される。 

 こうした出来事はすべて国民どうしのつぶし合いである。僕たちがこれをやり続ける限り、トップもろとも共倒れする可能性が高まる。 

 日本は滅びるだろうと、そういう気持ちに襲われる。それは僕の個人的な感情に過ぎないんだけれど。コロナが滅ぼすのではないし、政治家が滅ぼすのでもない。どちらも影響するが割合としては少ない。もっとも影響が多いのは国民である。日本を滅ぼすのは国民である。国民どうしが潰し合いをすればするほど、壊滅速度は速くなる。上がもはやまともな機能を果たさなくなっているので一層速くなるのだ。 

 首相や政治家はもはや当てにできない。当てにできるほど正常とは思えない。だからこそ僕たちがまともでいなければならないのだ。 

 

 人類とコロナウイルスとの闘いだと言われる。日本は二度目の敗戦を迎えるだろう。僕もまた戦争を知らないし、敗戦がどういうことであるかもしれない。敗戦は終戦とはまったく違った経験であるようだ。コロナ収束とコロナ敗戦とはまったく違った経験になるというわけだ。僕はそれがどういう経験なのか予想もできないでいる。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

投稿者 高槻カウンセリングセンター