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2022年6月21日 火曜日

6月21日:ラブユー貧乏

6月21日(火):ラブユー貧乏 

 

 今日はもう一本ブログを書いちゃえ。 

 

 帰宅後、少しだけホームページ関係の作業をする。と言っても、データなどを参照する程度で、何か更新したわけではないが。 

 その後、食事。今日はやたらと疲れた。少しだけ横になる。パソコンがあるので、ユーチューブでも開いてみる。 

 

 懐かしいテレビ番組がアップされている。そういうのを見るのが好きだ。ユーチューバーの動画なんて見る気がしない。 

 今日はあの「おれたちひょうきん族」をチョイス。思わず「ラブユー貧乏」を見てしまう。けっこう好きなコーナーだった。 

 

 これはロス・プリモスの「ラブユー東京」の替え歌をバックに、三人の貧乏芸人たちが貧乏話を披露するというコーナーだ。今でいうところの貧乏あるある的な感じだ。司会進行役にさんまさんだ。 

 三人の芸人さん。まず前田せいじ(漢字がどうだったかな)さんがつかみの感じで貧乏ネタを披露。次にMr.オクレさんだ。この人は出ているだけで笑いを誘うな。オクレさんで中程度の笑いを取る。トリに村上ショージさんだ。ショージさんでオチが着くという流れだ。 

 後ろで歌っていたのは本物のロス・プリモスさんだったのね。「ひょうきん族」は意外と大物の先輩たちがゲストで出ていたりする。あと、さんまさんを初め、みんな若い。 

 

 さて、「ラブユー貧乏」コーナーだけれど、貧乏がネタになるなんて、当時はやはり日本が豊かだったのだなという気がする。今の日本にそこまで貧乏なやつはおらんやろ、みたいな感じの笑いが起きる。 

 また、そのネタに笑いが誘われるのだけれど、貧乏を蔑んだりするような雰囲気が無いのも好感が持てるところだ。ひょうきん族は、当時、とても批判を浴びていた番組だったけれど、現在のバラエティに比べると、はるかに健全な部分も多かったとも思う。 

 

 今、ラブユー貧乏コーナーをバラエティでやったら、きっと笑えない人たちも多いだろう。一日に三食とれない子供も多いと聞く。限りなく最低限の生活を送っているという人たちも多いだろう。 

 今なら、金持ちネタの方が却ってウケるかもしれない。ラブユー金持ちで、バカなカネの使い方をしたというネタを披露する方がウケるかもしれない。 

 30年前のラブユー貧乏を見て、日本は貧しくなったなあと感じるのは僕だけだろうか。 

 

 (寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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2022年6月21日 火曜日

6月21日:サバイバルの時代

6月21日(火):サバイバルの時代 

 

 今日は高槻は定休日だ。代わりに副業の方へ行く。 

  

 昨日、太もものスジをいわしてしまい、常にそれが不安だった。足首辺りにも痛みが生まれている。それらを庇うと腰がやられるのだけれど、腰の辺りにも疲労感が強く感じられている。そして、膝の心配もある。 

 従って、ヒザ、太もも、足首、腰の4か所の痛みを気にしながら動かなければならない。いい加減、神経が参ってしまう。 

 痛くても、痛みは隠さなければならない。余計な心配をかけないことと、余計なペナルティを生み出さないためだ。見た目だけでも健康そうにしていなければならない。 

 ナチスの強制収容所に送られたユダヤ人の気持ちで今は生きないといけない。彼らは収容所に到着すると、仕事のできる人間か否かで選別される。ウソでも「これこれのことができます」と言わなければならないのだ。仕事のできない人間はガス室送りになるからだ。 

 今の日本、仕事ができなくても生きることはできるだろうけれど、気持ちの上ではそれくらいの気持ちを維持していないといけない。特に僕のような人間の場合は。 

 

 仕事の方は、精彩を欠く。構わないさ。確かに、僕の方でももっと努力できる余地があったのに、いわばそこをサボってしまっているのだから、僕の方にも落ち度がある。そこは正直に認めよう。 

 ただ、何としてでもここに食らいついて、長く雇ってもらおうっていう気持ちは薄らいでいる。そこまで「後がない」という感覚はなくなってきている。 

 ここで使ってもらえなくても、どこかで僕を使ってくれるところもあるだろう。気長に探し続けた方がいいのかもしれない。そう、最初からすべて決めてしまおうという僕の考えを多少は修正した方がいいということなのだ。 

 とにかく、今はできるだけのことはしよう。体のあちこちに爆弾抱えてて、それを気にしながらの仕事になるかもしれないけれど、できるだけのことをすればそれでいいかと今は思うようになっている。 

 

 本業の方で仕事が減っても、拠点となる事務所があれば、何かとできることもあるだろう。とりあえずは、経費と資金を獲得していくことだ。 

 コロナが憎い。いや、日本の政治が憎い。加えて、このHPを作成しているIT屋も憎い。検索順位が落ちまくっているのに指をくわえて眺めていたのはIT屋の連中である。僕の方は何とかしようと、こまめに更新もしてきた。指をくわえて眺めていただけのくせに、こまめに更新しても無理ですねえなどとほざきおる。それならそれに代わる提案をもっとしたらどうだと言いたいくらいだ。 

 

 世界全体が厳しい状態に入っている。1930年前後の状況が再び世界に降りかかるだろうと僕は思っている。戦争は長期化し、尚且つ、規模が大きくなっていくだろうと思う。そしておそらく核兵器も使用されることだろう。日本は直接的に参戦しないかもしれないし、核兵器の被害に遭わないかもしれないが、間接的に多大な影響、被害を被ることだろう。 

 国も、企業も、個人も、すべてサバイバルの時代に入っていくのではないか。そんな気もする。 

 だからというか、僕は一足早く、サバイバルの世界で生き始めることにした。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月20日 月曜日

6月20日:ミステリバカにクスリなし~『リマから来た男』

6月20日(月):ミステリバカにクスリなし~『リマから来た男』 

 

 僕が読んだジョン・ブラックバーン唯一の本。若いころに、「コワいなあ」などと思いながら読んだのを覚えているのだけれど、どいうわけかもっと他の作品も読みたいという感じにはならなかった。 

 面白く読んだ記憶はあるのに、最後の方を覚えていない。今回、処分しようと思うので、もう一度だけ読んでお別れしようと決めた。 

 

 冒頭でリマから来た男が南米の町マチパロを焼き払う場面が描かれる。リマから来た男の悪魔的性格が刻印づけられる。 

 それから16年後。各国で大臣や要人が暗殺される事件が相次いで起きていた。ウイリアム・レイヴン外相も雪だるまに潜んでいた殺人犯に殺されてしまう。 

 細菌学者マーカス・レヴィン卿はある男の死体鑑定に立ち会うことを要請される。男は外相を殺した犯人であるが、その血液中から未知の微生物が検出されたのだ。それはかつて、狂気の学者クルト・ベルゲンが南米の奥地で発見したウルスス・セルヴァエのようであった。 

 この微生物は自然界の法則に反するさまざまな兆候が見られた。マーカスは弟子であるピーターに培養を頼むが、ピーターは感染し、狂死する。 

 マーカスは、妻のタニアとともに、調査をする。一体、この微生物はどこから来たのか。要人たちはなぜ相次いで暗殺されるのか。調査線上に南米の小国家ヌエヴォ・レオンが浮上してくる。  

 彼らはこの小国家にダムを建設しようとする技師に面会を求めるが、僅差で敵に出し抜かれてしまう。彼らの面前で技師が殺されてしまうのだ。 

 マーカスとタニア、それにチャールズ・カーク将軍はヌエヴォ・レオンに向けて旅立つ。 

 ヌエヴォ・レオンにて大統領と面会することのできた二人だが、そこでも大統領の暗殺事件が起きる。小国家の崩壊である。各地でクーデターが起こり、討伐隊が派遣される。混乱を極める中、三人とヌエヴォ・レオンの警察長官ブライアン・ジョイス大佐は逃亡を試みる。 

 彼らはジョイス大佐の所有するローズ号に乗って、密林の奥地、かつてマチパロの町があり、ベルゲンが初めてウルスス・セルヴァエを発見したかの地へと向けて川を遡行していく。 

 

 ここまでが前半の大まかな流れだ。僕が書くと何の緊迫感も生まれないのだけれど、実際に読むとハラハラする展開である。 

 後半は、ついにかつてマチパロであった場にたどり着く。リマから来た男とも対峙する。男は、あの微生物を人工的に変異させ、人類滅亡を企んでいる。囚われの身となった四人は、なんとかしてリマから来た男の陰謀を阻止しなければならない。 

 彼らは脱走し、兵隊蟻のゾーンを通り抜け、ローズ号から反撃を加える。一難去ってまた一難の冒険が展開される。おまけにタイムリミットまである。通信機も使えない。使える武器といえば、かつてのドイツ軍からの払下げで船に装備された古びた88ミリ砲だけときた。 

 どんな苦境であれ、どんな悪条件であれ、どんなに最悪なものに見舞われようとも、最後は主人公たちが勝つことが分かっている。分かっていても読んでしまう。冒険小説の面白さが十分に堪能できる。 

 前半にはスリラーの面白さがあり、後半には冒険小説の面白さがある。一冊で両方楽しめるという豪華さである。でも、僕は前半方が好きだ 

 

 さて、本書は面白く読んだのだけれど、だんだん僕の好みと合わなくなってきてる。こういうスリラーとかちょいホラーっぽいのが受け付けなくなってきている。僕が年をとったせいだろうか。 

 一応、僕の唯我独断的読書評価では4つ星半だ。面白いことは面白い。でも、僕は本書とはお別れするよ。 

 

<テキスト> 

 『リマから来た男』(The Young Man From Lima, 1968)ジョン・ブラックバーン 著 

 菊池光 訳 創元推理文庫 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月19日 日曜日

6月19日:メガネを捨てた日

6月19日(日):メガネを捨てた日 

 

 工場でアルバイトが決まっている。今まで経験したことのない世界だ。いろんな体験をできればと思っている。 

 すでに二回ほど工場入りしているのだけれど、メガネがあった方がいいと思うようになった。 

 メガネはあるんだけれど、20年以上昔に買ったものだ。掛けると遠くが見えるのは確かだ。それでも視力の方が落ちているので合わなくなっている。それにレンズ面が傷だらけだ。 

 この際、思い切ってメガネを新調してやろうと決めた。 

 

 昨日、高槻周辺にあるいくつかのメガネ屋を覗いてみた。買うならここと決めた店がある。それで今朝、その店に行ってみた。 

 しばらく待たされたのであるが、僕の順番が来た。いきなり申込用紙みたいなものの記入を求められた。まあ、それはいいとしよう。 

 それでレンズは何にするかなどと質問されるのである。遠視用か、近視用か、遠近両用か、などと。 

 僕は近視なので、遠くが見える方がいい。その場合、近くのものは裸眼よりも見えなくなると言う。遠くのものを見るためにかけて、手元を見る時は外すなりすればいいと店員は言うのであるが、そうはいかない。工場内ではメガネを外すわけにはいかないのである。 

 遠くを見るのを諦めるのはいいが、もう一つ欲しいのは、暗所でよく見えるようになりたいのだ。視力よりもコントラストに関わる部分なので、メガネでどうにかなるのかどうかも分からないのだけれど、メガネでカバーできるのであれば、そうしたい。 

 遠近両用にしてもいいのだけれど、値が張る。工場で使うだけなのに。加えて、視力によっては値段が加算されることになるという。一体、いくらの予算を組んだらいいのか分からない。 

 僕は訳がわからんと思い、「もういい」と店を出た。遠近云々よりも、0.8が1.0にでもなれば十分なのだ。日常生活ではまず使うことのないメガネなのだ。そこを店員は理解しなかったようだ。 

 

 もとい。 

 そうではないのだ。僕が思うに、先に検査をするべきなのだ。僕の目が現状ではどれくらい見えるのか検査するのだ。その検査結果に基づいて、こういうメガネがよろしいのではないかなどと勧めてくれる方が良かった。こっちはどんなのを買っていいのかさえ分かっていないのだから。 

 店員がそこに気が回らないのだ。どういうのを買うのがいいか分からないようでしたら、一度検査してみて、その上で検討してみませんか、などと言えばいいのである。 

 僕が思うに、メガネ屋からすれば、顧客の目の情報は喉から手が出るほど欲しいだろうに。というのは、その人の目の状態を知っていれば、それに適した商品やサービスが提案できるからである。 

 だから、「視力検査だけでもしてみませんか」と勧めればいいのである。多分、あまり出来のいい店員ではないのだろう。 

 

 メガネを新調するという目的はこうして挫折。無性に腹が立つ。駅前の喫煙所まで来て、憤懣の喫煙をする。 

 煙草をプカプカ吹かしているうちに、第二案が思い浮かんだ。 

 そうなのだ、メガネなんて視力によって買い替えなければならない。視力が悪くなればメガネの方を適合させていかなければならない。こういうのはイタチごっごのようなものだ。それならいっそのこと視力そのものを良くすればいいじゃないか。メガネの要らない人間になればいいじゃないか。そんなことを思った。 

 

 でも、どうやって視力を回復するか。 

 闇雲でドラッグストアに入る。視力回復に資するようなサプリメントなんかがあるだろう。その種のサプリを購入する。 

 点眼薬も見てみたが、ああいうのは疲れ目などの用途であり、直接視力回復に役立つようなものはなかった。 

 

 そうだ。本だ。昔、視力回復の本を買って練習したことがあるのを思い出した。 

 今度はジュンク堂に足を運ぶ。なるほど、いろいろある。 

 ガボールパッチの本を選ぶ。立ち読みしながらやってみて、暗所で作業する時と近い感覚があった。なんとなく、これは良さそうと思い、購入する。 

 

 僕はメガネを捨てるよ。メガネに振り回されるのもゴメンだ。時間はかかるだろうけれど、視力回復を地道にやっていくつもりだ。 

 別にオスマン・サンコンさんほど見えなくてもいいのだ。3.0とか4.0とかなくてもいいのだ。両目で1.0から1.2くらいの視力があれば当面はやっていける。その程度の回復なら不可能ではないはずだ。 

 さっそく、今日からとりかかる。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月17日 金曜日

6月17日:アルバイト開始

6月17日(金):アルバイト開始 

 

 週に二回ほどアルバイトをしようと今月から動いている。 

 昨年からの仕事の激減と未知の世界に飛び込んでみたいという、二つの欲求を同時に満たそうとする試みである。 

 工場、製造の仕事は経験したことがないので、一度やってみたいと思った。一応、採用はされているが、いつ解雇されるやら危なかしいところである。 

 今日、工場内に入るのは二日目である。まだ実際の作業に入ったわけではないけれど、すでに先が思いやられる思いがしている。 

 一つを意識すると他が抜け落ちるとか、そんなことの繰り返しである。上手くいかないことの方が圧倒的に多い。 

 緊張感も半端じゃない。けっこうカチコチになって動いている。不自然さが普通じゃない感じだ。 

 初めてのことなんだからそういうことも覚悟していたつもりだったけれど、現実に体験すると自分の見立てがいかに甘かったかを痛感する。 

 とにかくやっていかなければ。 

 

 覚えることが多いのである。まず、工場内のルール、その他の規則などをしっかり内面化していこう。そういうところに意識が割かれることのないようにしよう。そして仕事に注意が集中できる状態になっていこうと思う。 

 そして、一つ一つの言葉をしっかり覚えていこう。その業種特有の専門語なんかもあるわけで、そういう言葉も覚えていこう。 

 実際に工場に入ってみると、いろいろ課題が見えてきた。足の心配を僕はしていたのだけれど、それ以上に目だ。細かな作業をすることもあり、照明が暗い場所での作業もある。目がよく見えないのだ。視力回復の何かをやっていこう。 

 体力的な問題はなさそうである。それほど体を動かす場面は少ない。腕力やその他の筋力も特に鍛える必要はなさそうである。もっとも、健康のために鍛えるというのであれば別であるが。 

 日常では用いることのない工具を上手く使いこなせるようになりたいとは思うのだけれど、これはどうやって練習すればよいか、まだ明確ではない。 

 実際の工程作業に入ると、一人で黙々と作業するような感じになるので、人間関係の問題とかは起きなさそうである。それでも、周囲の人とは気持ちよくやっていきたいとは思っている。 

 とにかく、何事も上達していきたいと今は思っている。 

 

 とはいえ、さすがに今日は疲れた。昨夜はあまり寝られなかった。妙に緊張してしまい寝付けなかったのだ。そのため、今日は頭がボケていた。こんなことではイカンと反省する次第である。 

 夕方に帰宅して、すぐに横になる。けっこうぐっすりと熟睡してしもうた。あまり意識はしていなかったのだけれど、寝不足だけでなく、精神的な疲労も大きかったのかもしれない。 

 とにもかくにも、生きていかなければならない。生まれてきた以上は死ぬまで生を営まなければならない。生きるということはそんな生易しいものじゃない。それだけは肝に銘じておこう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月15日 水曜日

6月15日:唯我独断的読書評~『美しき冒険旅行』

6月15日(水):唯我独断的読書評~『美しき冒険旅行』 

 

 海外文学にのめり込んでいた時期に買い込んだ一冊で、未読だった。処分する前に一読だけでもしておこうと思い、読み始めたのであるが、たまらなく面白くなり、思わず一気読みしてしまった。 

 

 飛行機事故により、オーストラリアの奥地に投げ出された姉弟の冒険譚である。姉メリー13歳、弟ピーター8歳。 

 大自然広がる大陸に投げ出された二人は生きるために彷徨する。食べるものも飲み水も見当たらない。 

 やがて、彼らは一人の原住民と出会う。放浪の儀式の最中のブッシュボーイだった。 

 放浪の儀式というのは、男子が13歳ころになると、6~8か月間大陸を放浪し、帰還できた者のみが父親の資格を与えらえるという通過儀礼である。 

 ブッシュボーイは困惑している姉弟を放っておけず、一緒に行動を共にする。 

 ピーターは幼いだけに順応が早く、すぐにブッシュボーイと打ち解け、火の起こし方、魚や獲物の捕り方まで覚えていく。こうして姉弟は自然の中で自然人としての生活を始めていくのである。 

 

 自然人であるブッシュボーイが素晴らしい。夜遅くまで眠らずに警戒し、夜明けとともに起きる。目が覚めるや、すべての神経細胞も筋肉組織も瞬時に目覚める。あくびをして、目をこすって、ようやく起きだすピーターとは対照的である。自然人の素晴らしさを僕は感じた。 

 

 ピーターの方はともかくとして、メリーはどうしてもブッシュボーイに対して悪い感情を持ってしまう。 

 最初、弟が、自分ではなく、ブッシュボーイに頼ることへの嫉妬であると彼女は感じた。 

 次に、そのブッシュボーイが自分と年齢的に変わらない若い男性であるということに彼女の意識が向かう。 

 しかし、ブッシュボーイが熱病で死を迎える瞬間、メリーはその感情が何かわかったのである。それは差別意識だったのだ。白人の黒人に対する差別意識、先進国の後進国に対する差別意識であったのだ。 

 自分の中にある差別意識に気がついた瞬間、メリーの中ですべてのわだかまりが解消されていくくだりは感動的だった。 

 

 彼らはブッシュボーイを葬ってやる。そして、彼が示した道を二人は旅することになる。あたかも、ブッシュボーイの通過儀礼を姉弟が引き継いだ形である。 

 姉弟は、自然の厳しさと恵みを、荘厳さと雄大さを、身をもって体験していく。困難があってもブッシュボーイの魂が導いてくれると信じている。なんという素朴で人間的な信仰だろうと僕は思った。 

 メリーもまた自然人になっていく。しがみついた赤ちゃんコアラに服を破かれても、それを母コアラに返してやるシーンは象徴的だ。自分の衣服よりも、そこには生命への尊敬があるように感じられた。 

 やがて、彼らは水と緑の豊かな土地へとたどり着く。ここまで二週間近くの旅であった。ここから都会への道筋を原住民に教えられ、彼らは新たに旅立つ。 

 

 以上がおおまかなストーリーである。 

 自然は人を寄せ付けないと同時に、人に寝床を用意してくれる。飲み水も食べ物もどこかにある。自然はかくも厳しく優しい。 

 この自然描写も優れていて、作者は現実にこういう世界を見たのだろう。原住民のことにも詳しいので、文化人類学的なフィールドワークの経験があるのかもしれない。あいにく、作者のことはよくわからないのである。 

 

 本書はジェームズ・ヴァンス・マーシャルという人の書いた本である。1970年の出版とある。それから映画化もされたようであり、当時、かなり人気を博した作品であるようだ。 

 僕の唯我独断的読書評価は4つ星半である。5つ星をつけてもいいくらいだけれど、すぐに読み終えてしまったところが残念だ。 

 

<テキスト> 

『美しき冒険旅行』(Walkabout)―J・V・マーシャル著(1970年) 

(斎藤伯好訳 角川文庫) 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月15日 水曜日

6月15日:献血不可

6月15日(水):献血不可 

 

 ブログもこまめに書こう。今日経験したことなんかも書いて残しておこう。 

 

 今日は午前中は仕事があり、午後からはいくつかの雑用を片付ける。仕事はそれなりに上手くいったような実感がある。なんとなく調子が良かった。 

 

 夕方頃、鎮痛剤を買っておこうと思い立ち、薬局に行く。昨日から足が痛むのだ。 

 鎮痛剤購入は間に合った。それから駅周辺を一周すると、高架下で献血をやっている。けっこうこの場所で献血をしているのである。 

 特に考えもなく、ふと、献血を申し込んだ。今まで献血なんてしたことがないのだ。未経験だからこそ経験してみたいという気持ちが強かった。とはいえ、そんなことをいちいち意識するよりも先に申し込みをしたのだ。 

 係りの人が飲み物をくれる。これを読むようにという書面を渡してくれる。こういう人は献血できませんという案内なのである。その他の項目は一切該当しなかったのに、どうしても一個だけ当てはまってしまうものがあった。「三日以内に薬を服用している」という項目だ。 

 ああ、昨夜、鎮痛剤を飲んでいる。僕は係りの人に訊いてみた。やはりダメだということだった。どんなものであれ、薬を服用すると、その血液を妊婦に使った場合に胎児に影響が出るかもしれないということなのだそうだ。 

 しゃあない、今日は諦めるか。飲み物だけ無料でもらって悪い気もするが、まあいいか。僕は応募したのに、向こうから断られた形になるのだから、もらっておこう。 

 未経験の事柄を経験するという試みはこうしてお流れになったけれど、いつか再挑戦したい。 

 

 今日はたまたま歩いていて献血車に遭遇したのだ。ああ、献血やってるなと思い、迷わず受付の方に向かった。 

 たまに躊躇することもある。そういう時は少し時間を取って、やるかやらないかを決める。やるならやるでハラを決めることが肝心だ、と最近になって実感するようになった。 

 やらないという選択肢は、どうしてもできない事情がある場合を除いては選択しないことにしている。今は何でも経験してみたいのだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月14日 火曜日

6月14日:身辺整理

6月14日(火):身辺整理 

 

 今日は定休日である。身辺整理関係のことをずっとやる。不用品はすべて売りに出す。捨てるとごみになるからだ。 

 今日はCDをすべて処分した。もう音楽を聴く時間も確保できない。どうしても置いておきたいものは、パソコンに取り入れておいて、一応パソコンで聴けるようにしておく。あとはすべて売却だ。 

 60枚くらいのCDを鞄につめて、河原町まで出て、ブックオフに売る。少々の金になった。買わせるだけ買わせるのは悪い気もするので、そのお金で少しだけ本も買っておいた。読みたい本も探せば見つかるのであるが、お礼の気持ちを込めての買い物だ。そのくせ5冊も買ってしまう。 

 店を出て、公園の喫煙場所へ向かう。そこで一冊を紐解く。雨上がりなのでベンチが濡れているのが難点だった。 

 それからまた歩く。立ち食いうどんにて昼食を取る。ああ、そうだ、歯が痛みだしているのだ。熱いおつゆが歯に染みる。 

 その後、ぶらぶらして、今度はパチンコ店に入る。休憩室に入り、喫煙する。先ほどの本も再び紐解く。こうして5冊中一冊目を読み終える。 

 

 どこにも行くところがない。ちょっと一杯という気分にもならない。酒は飲んでも行きつけの店だけで飲む。新たにお店を開拓する元気がない。 

 もう一度散策して、電車に乗る。電車内で2冊目を紐解く。 

 駅から家へ帰る前に、再びパチンコ屋に入る。また休憩だ。鞄の中に手を突っ込んで、本を取り出す。別の本を取ってしまう。そうして二冊目が読み終わっていないのに三冊目に手を付けてしまう。煙草をふかしながら読む。 

 「煙が目に染みる」(Smoke Gets in Your Eyes)という曲があるけれど、僕の場合、「煙が歯に染みる」(Smoke Gets in my Teeth)といったところだ。歯が痛いのなら喫わなければいいのにとも思うのだが。 

 帰宅して、食事。歯が痛いけれど、なんとか食べることはできた。それから少し横になる。当然、今日買ってきた本を読みながらだ。夜まで読んで過ごす。結果的に、一冊目は完読し、二冊目は8割ほど読み終えており、三冊目と四冊目はどちらも手を付けて最初の方だけ読み終え、五冊目はまったくの手つかずである。こういう読み方をしてはいかんと日ごろから思っているにもかかわらず、ついついやってしまう。一冊ずつ読まなくては。 

 一冊の本の体験は、一冊ずつ読まないとはっきりしないという感じがするのだ。一冊の本を限りなく堪能するためにも、本は一度に一冊ずつ読むようにしたいのである。 

 一冊の本ともいつか別れの時がくる。一日だけの付き合いだった本でもいいじゃないかとも思う。一期一会を満喫するのも良しだ。本との出会いも何かの縁、本を読むとか以前にそうした縁も大切にしたい。出会いと別れ、どちらも大切にしたい。CDとは別れをしていっているけれど、いずれ本の方でも別れを経験していくことになるだろう。でも、絶対に後悔はしないようにしたい。よく付き合って、そしてお別れしていこう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月9日 木曜日

6月9日:腐らないこと

6月9日(木):腐らないこと 

 

 今日はもう一本ブログを書いておこう。最近、ブログは疎かになっているので、時間のある時は書いて残しておこう。日々の記録を残しておこう。書いて残したものは、僕が生きたということの証拠になる。 

 

 最近はけっこう頑張っている方だ。仕事の方は激減しているけれど、その他の作業はけっこう捗っていたりする。 

 身辺整理関係のこともそれなりに進んでいる。アルバイトの方も話が進んでいる。サイト作業は、以前よりかはペースダウンしているものの、それなりに進捗している。とにかく何かを常に前に進めておきたい。 

 

 サイトに関しては、だんだんと何に力を入れていけばいいかが分かってきた。 

 グーグルのマイビジネスは強い。今はそちらに力を入れようかと考えている。このサイトなんかは下の下だ。高槻カウンセリングセンターで検索してもトップに出てこない。2か月以上もサイトの復旧作業や更新作業しているにも関わらず、検索にかすりもしない。 

 一時期、ランディングページの方がましかと思えてきたけれど、蓋を開けてみれば、大した違いはない。 

 だから、今はマイビジネス、ランディングページ、そしてこのサイトの3本柱でやっているのだけれど、このサイトが一番出来が悪い。 

 そもそもシステムを新しくするという話だったのに、結局まっさらから作り直しときた。11年かけて蓄積してきた原稿もパーだ。一からやり直しだ。ものすごい作業だ。いい加減、過去のものは捨てたくなる。それでも、捨てるわけにはいかないという気持ちが強まる。 

 まずは、旧サイト原稿を復旧したい。<テーマ>で書いていた分だ。全部で<テーマ220>くらいまである。今日、<テーマ121>から<テーマ130>までを復旧した。10ページだと3時間かかる。5ページずつ復旧していくようにしている。 

 それから新たに書いた原稿もいくつかある。それらも見直して、校正なり修正なりをして公開していきたいとも思う。ところが、一度にあちらもこちらもやると頭が混乱しそうである。だから、一つずつやっていく。もしくは、一つをメインにして他をサブ的にやっていく。 

 

 肝心なことは、腐らないことだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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2022年6月9日 木曜日

6月9日:定休日・営業時間の変更

6月9日(木):定休日・営業時間の変更 

 

 しばらく前から考えていたことであるが、定休日と営業時間を一部変更することにした。 

 

 定休日は、火曜日だけだったのが、火曜日と金曜日にする。 

 これは以前もそうだったのだけれど、どういうわけか金曜日にレギュラーで入るクライアントが少ないのである。 

  

 営業時間は10時から18時までとする。 

 これまでも18時以降に来るクライアントはあまり多くなかった。その時間に来る人は大抵仕事帰りに来られるのだけど、変更も多い。 

 その時間帯はオフィス街であればいいのかもしれないけれど、住宅街である場合、こちらまでお帰りになられてから受けるという形になる。クライアントの負担も大きいかもしれない。 

 

 毎日、長時間、この職場で仕事をするのがきついと感じられている。仕事と言っても、今は大半がサイト作業に充てられている。原稿を書いたり、公開したりをしている。正直言ってキツイ。 

 昨年より仕事の方が激減しているのもある。ここを短くして他の仕事もしようと考えている。というか、すでに動き始めており、近日中に一つ決まりそうである。可能であればさらにもう一つ仕事をしたいと考えている。 

 従って、当センターと他二つの仕事をしようと思っている。キツイけど、できないことはない。数年前はそれをしていたのだから。 

 

 他の仕事とは、まあ、アルバイトになるのだけれど、これはお金を稼ぐという目的もあるけれど、やはり多少は外の世界を見た方がいいと思うからでもある。ずっと一人でやっていると、世界からの隔絶感が半端じゃない気がする。 

 現代の世界がいいとは思わないけれど、その世界で生きている以上、その世界で生きられるようにならなければとも思う。 

 それで、もしアルバイトをするならカウンセリング関係の何かを探してもいいのだけれど、敢えてそれはしなかった。僕のカウンセリングは自分の仕事場だけで通用するものであると考えているからである。加えて、違った世界、まだ経験したことのない職業世界を見てみたいという思いもあるのだ。 

 今でも自分にできることがあるだろうか。もしあるとすれば、何ができるのか、そういうことも知っていきたい。いろんな形で世の中のためになりたいと今は思っている。 

 

 アルバイトをするというのも一つの理由であるが、心身の不安もある。その他、身辺のことや家族のことなどもある。定休日、営業時間の短縮はそれらのためでもある。 

 常に足のことが心配である。これから他の仕事をしていく上で、足が常にネックとなっている。痛くなったらどうしようという不安ばかりが先走る。その不安が僕にブレーキをかけるのだ。 

 

 以前も本業とアルバイトのダブルワーク、トリプルワークをやっていたけれど、足の問題は以前にはなかったものだ。未経験だけに怖い。 

 もう一つ以前と異なるところは、以前よりも欲がなくなっているということだ。以前なら、給料を稼いであれをしようとか、これをしたいとか、いろいろあった。今は何もない。足を悪くしてから少しずつ欲がなくなっていったように思う。 

 ショッピングを楽しむということも今はない。コロナ禍もあって、お店がなくなったりすることもあるし、あちこち歩き回って足が痛みだしたらどうしようという不安もあった。目的のものだけを買って、すぐに帰るというパターンが定着しつつある。 

 欲しいものもない。モノを買う時に、いつかそれを処分する日が来ることを考えてしまう。そうなると安易に買い物もできなくなる。 

 食べたいとか飲みたいといった欲も失せてしまった。美味しいものに興味がなくなった。食事も腹が膨らめばそれでいいといった感覚に陥っている。お酒は、たまには飲むけれど、飲んで楽しいという気分になることは少なくなっている。 

 お酒も、ほとんどは人付き合いが目的だ。人の集まる場に顔を出さないとさらにヘンコな人間になりそうに思う。でも、外の世界にもっと出るようになれば、もうその目的で呑み屋に顔を出す必要もなくなるかもしれない。 

 音楽はまったく聴かなくなった。CD等は買うことがなくなり、また、本も買うことがなくなった。本は新しく読みたいものはなく、かつて読んだものの中にもう一度読みたいと思うものが増えている。読み直しをやっていこうと思っている。 

 

 ふう、我ながら老けたものだと思う。 

 ボーヴォワールが50歳の時、「ボーヴォワールってオバハンなのね」といった言葉を耳にして愕然としたというエピソードを彼女は述べているのだけれど、僕もそれと同じ年齢に達した。オジンと呼ばれてもおかしくない年齢だ。 

 オジンにはオジンなりの生き方があるというものだ。今から模索していくのも悪くないな。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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